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Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

カテゴリー「感動」の記事一覧

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凄い青年です。

栗城くんがダウラギリ登頂に成功した。


18日の行動は・・・

■01:00 *7,238m
    C3を出発。気温マイナス20度、風速20m。 

  ※C=キャンプ  
   4,700m地点のスタッフ常駐ベースキャンプ(BC)から
   7,238mのC3まで4箇所に設営。
   C3は、登頂アタックに向かう最終のテント設営地点。
   C1から上は、食料など必要な全てのモノを登頂者が荷揚げする。
   単独登頂ゆえ、栗城くんは一人で運ぶことになります。

■06:00 *7,600m
    低酸素状況からか、目の前がかすみ始める。

・膝まで沈む雪をラッセルして登り続ける。

■08:00 *7,733m

・目がかすむ状況がひどければ、撤退も選択することを確認。

■10:00 *7,844m

■12:00 *8,000m

■13:50 *8,100m
    頂上の稜線上に出る。気温マイナス18度、強風。

■14:00 *8,167m
    登頂成功。頂上で号泣。気温マイナス15度、快晴無風。
    が、陽が落ちる時間を考慮し、直ぐに下山行動。
    一気にC1(5,800m)まで下りる計画。

■20:00 *7,238m
    C3に到着。気温マイナス10度、微風。
    「体力低下で歩く力が残っていない」とBCに連絡。
    C3で一旦休息して体力を回復した後、翌朝に再出発
    する行動に計画を変更。

    しかし、

    最終アタックの為に設営されたC3は、(荷揚げの軽量化により)
    テントの材質が薄くて寒さをしのげず。
    更に、湯を沸かすガスボンべの容量も少なく、却って体力を
    失うとの判断から、そのままC2まで下りることに再変更。

・夜間の下山。

 途中で滑落するが幸いにも顔に擦過傷を負っただけですむ。
   が、体調は低下し、嘔吐しながら山を下りる。

■23:00 *6,700m
  C2に無事到着。気温マイナス10度、快晴無風(満天の星空)。
  「もうパワーが残っていない」とBCに連絡。

凄い。

氷点下20度、風速20メートルの風と闘いながら、
1/3の酸素しか得られない高地で、生身(なまみ)の身体が
急傾斜する氷と雪の世界をひたすら前に進む。
22時間ぶっ通しで、登って、下りた2,396m。

ただ、ただ、凄い。

栗城くんが号泣した登頂のその時、
頂上は快晴無風だったらしい。それが自分のことのように嬉しい。
何にも変えがたく素晴らしい景色だっただろう、と思う。


満天の星空の下で休息する栗城くんに “オメデトウ!”
そして、最後まで無事に下りてきて欲しい。

本当に凄い青年です。

「感動」・・・他に言葉無し。

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一人の青年に感動

 
観られた方がいるかもしれません。


22日、日曜日の午後。偶然目にしたテレビ。
画面の中に登場する人物に強く惹きつけられた。

フジTVの「ザ・ノンフィクション」という番組で採りあげられた
栗城史多(くりき・のぶかず)という26歳の青年。
ソロ・アルピニスト、登山家です。

この番組を観るまで、彼の存在は知らなかった。

栗城君が登山を始めたのは大学に入った2002年からなので、
未だ6年の経験年数に過ぎない。
自分は山登りをしないので分からないけれど、
あの過酷なスポーツの「経験6年」は、多分、ベテランの領域
では無いだろうと思う。しかし、彼は、山登り経験僅か二年で
北米大陸最高峰の「マッキンリー」の登頂に成功し、以後、
各大陸の最高峰を次々に制覇して、7大陸の内で残すのは
あの「エベレスト」だけになっている。

7大陸全ての最高峰を登頂すると“7(セブン)サミッター”と
称されるらしい。興味が湧いて調べてみたが、それだけの
比較なら、栗城君よりも若くして達成した日本人もいる。
確かに限られた人数とは言え、この視点だけで捉えるなら
特別な偉業ということではないのかもしれない。
ただ、彼が凄いのは、全てが単独・無酸素による登頂ということ。
おまけに彼は、登頂までの様子を自分でビデオカメラを回し、
映像に残しているのです。

高度7,500mを超えるとデスゾーンと呼ばれる領域に入り、
高度順応していない場合は5分で死に至るという。
酸素の薄い8,000m級の山。ちょっとしたタイミングで雪崩に
呑まれるかもしれないし、不注意で転落することも有り得る。
実際、番組の中では、クレバスに掛けられた華奢な梯子を
渡る怖い足元映像があった。そんな険しい山を登りながら
セルフで撮影するなんて、本来は考えないだろう。
でも彼は、「生きる力」や「壁を越えることの楽しさ」を他者に
伝えたくてそんな行動をとっている。


この春、栗城君は「エベレスト」に挑戦する。

その準備として、去年10月に8,163mの「マナスル」に挑み、
日本人としては初となる単独・無酸素登頂に成功した。
加えて、山頂からスキーで滑降することもやってのけたのです。
単純に凄い。感心というよりは、もう、久し振りに感動です。

テレビの中の栗城君からは功名心の欠片も感じられなかった。
極めて素朴な人。マナスル登頂時の一連の映像から伺える
『ありのままの弱さ』と『さりげない強さ』の均衡が素晴らしかった。
そこに強く人間性を感じる。何より、“不誠実な人間”と
“パフォーマー”が大嫌いな自分は、(反対側に立つ)こういった
飾らない人間には無条件で惹かれてしまう。

エベレストの単独無酸素登頂は、日本人では一人も達成
できていない。是非、是非、成功してもらいたい。
そう思います。


※ご興味あれば・・・

栗城史多HP
http://kurikiyama.jp/

栗城史多ブログ
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/bt_nobukazu/

マナスル登頂の動画
http://toko.dai2ntv.jp/user/userid/toko024


特に動画は緊迫感あり。

泣きながら生きて

ご覧になった方も多いと思います。
ブログ表題の「泣きながら生きて」は、
昨晩放映されたフジテレビのドキュメンタリー番組のタイトル。
張麗玲(ちょう れいれい)さんという日本に留学していた
中国人女性のプロデュースによるもので、
過去、シリーズ的に何本か放映されており今回が最終章。
このシリーズの切っ掛けそのものにも意味深いものがあって、
「志し」のある人のところには良いものが生まれるという
その典型のような番組です。
もともと私は、テレビのジャンルではドキュメンタリーが
一番好きでよく見ますが、その中でも相当上質の番組
だったように思います。

全編通して泣き通し・・・。

     ・

主人公は中国人の男性、丁尚彪(てい しょうひょう)さん。
彼は上海に妻と娘を残し、借金で工面したお金で日本語を学ぶ為に
35歳で来日します。

言葉を学びながら働いて借金を返す。
そして卒業後は日本の大学に進学することを目指していました。

何故日本で? 

というのも、彼は中国の文化大革命下放政策により、
一番勉強したい時期に遠方の農村に“強制学習”に行かされ
本当の勉学の機会を逸したから。
夢を抱いて日本に向かった訳です。

ところが入学した日本語学校は北海道阿寒町の山の中。
当時、炭坑が閉山され過疎化に困窮した自治体が
日本語学校を誘致して、そこに中国人留学生を受け入れる目的で
スタートさせたもの。来日に関する彼らの金銭的な背景や
環境などは考えない、安易な人集めプラン。
働く場所も無いところでは借金は返せません。
結局、彼は学校を飛び出し、働き場所を求めて東京に向かいます。
留学目的で発給されたビザは更新を認められず、
彼は不法滞在の身で生活することになる。

ここで彼は自分の「志し」を諦め、一人娘に夢を託します。
借金を返した後も帰国せずに複数の仕事をこなし、
質素な生活の中から中国に送金。
全てを娘の勉学(進学)に向けて捧げる。
もし見つかれば強制帰国。
再入国は出来なくなってしまう事情の中、
ひたすら娘の為に一生懸命働き続ける。

幸い、娘はアメリカの大学に合格し東京経由で米国に向かう。
トランジットで許された24時間だけ接触できるタイミングが生まれる。
8年ぶりに出会えた親子、そして、また別離、親子の涙・・・。

母親はアメリカの娘に会うためビザを申請するが発給されない。
結局、五年間を費やして12回目の申請でアメリカ行きが実現し、
東京経由で米国に向かう。
その機会を利用し、娘と同じようにトランジットで許された
72時間を使って13年ぶりに夫婦が出会う。
そして、また別れ、夫婦の涙・・・。

娘の進路に目処がついた時点で彼は帰国を決意する。
帰国前に故郷(ふるさと)と呼ぶ阿寒町に出向き、
今は廃校になった校舎で涙する。
学校を抜け出したことに「申し訳ないことをした」と話し、
去り際に阿寒の地に何度も頭を下げる。
そして、ラストシーン。
辛かっただけの日本の生活だったはずなのに、
離陸する飛行機の中で日本の地に向かい
手を合わせて万感の涙を流す・・・。


この人は凄い人です。
インタビューのシーンで印象的だった言葉が幾つかある。

  「親は子供に果すべき責任がある」
  「人生すてたものではない」

自分の夢を捨て、家族の為に必死になり、
過酷な人生の時期を長きに渡って送りながらも
自信を持った表情でこの言葉を発していた。

この源(みなもと)はどこにあるのだろう?

多分、「心」や「絆」や「愛」といった言葉で割と簡単に
表せるものかもしれないが、そこにはもっと強い何かが
あるような気がする。

それは上手く言えないけれど、
「生きることの責任」みたいなものなんだと思う。
まず、あるべき自分を持つ。
それがあるから家族に向き合える。
親が果そうとしている責任を子供が感じ、
それに報いるために子供は一生懸命になる。
そうして人間は連鎖していく。

  「私は胸を張れるような人間になりたいのです」

彼が発したこの言葉。これが全てなんだろう。
胸を張っていい人間なのに、彼の終着点は未だ先にある。
人間はずっとそれを追っていないとダメなんでしょうね。


感動だけじゃ終われない番組でした。
再放送があることを願いたいですね。

尊敬すべき人

昨夜帰宅後、カミサンから聞いた話でとてもいいキモチになった。で、眠いけれど
こういう時はどうしても書きたくなってしまう。(笑)


夏の限定した時期、カミサンの勤務する公立保育園にアルバイトとして働いていた
Nさんという女性がいる。彼女は宮崎出身の45歳。御主人の仕事の関係で今年に
なってから東京に引っ越してきた。御主人の東京勤務は2年間の予定。転居する迄
宮崎の公立保育園に25年間勤務していたが、転勤に合わせて退職したらしい。
人それぞれの考え方というものがあるので何とも言えないが、自分なら単身赴任を
してもらって保母の職(正職員の公務員)を続けると思う。が、Nさんはキッパリ辞めた。

それというのも・・・

彼女は高校卒業後、本当は東京の音楽大学に進みたかったのだが、将来の就職を
心配する両親の強い反対にあってやむなく断念。地元の保育短大で保母の資格を
取って職に就いた。そんな経緯から、東京という都会での生活をどうしても経験
したくて、例え2年間であってもご主人と一緒に東京に行くことを決めたのだ。
27年前の希望や憧れを実行するNさんの意志に先ず感心した。

アルバイトで働いていた彼女はとても有能で、正規職員として直ぐに活躍して欲しい
ほどだったらしい。間違いなく宮崎でも優秀な保母だったのでしょう。

でも、彼女が本当に凄いのはそんなことではない。

失業保険の関係で保育園でのアルバイトは8月末までの期間限定。以降は11月
からでないと働けないらしい。それなのにNさんは9月に入っても度々、そして10月
からは連日、本人の意思で引き続き保育園の仕事を続けている。勿論、無給です。
完全なボランティア。これには理由がある。

まず・・・

カミサンの保育園ではもう直ぐ運動会が開かれる。この時期、保育園は超多忙であり、
それこそ猫の手も借りたいほど。保育園の勤務経験がある彼女は、通常の保育に
加えて運動会の準備が入り込むこの時期がどれほど大変なものかを理解していて、
既に8月のアルバイトの時点から手伝いをするつもりでいたようだ。しかも運動会
当日だけの手伝いは(プログラムの理解とそれに伴う準備や動きなど事前にすべき
ことがたくさんあるので)何のヘルプにもならないことも知っており「自分も予め準備
する必要がある」として、毎日8:00~16:00迄しっかり働いているのです。

そして・・・

このボランティア行動にも理由がある。宮崎の保育園に勤務していた際、豪雨で
(おそらく去年の夏の14号台風かと思われます)保育園が浸水したことがあった
らしい。職員が途方に暮れていたその時に、多くの人たちがボランティアで詰めて
修復に協力してくれた、というのです。Nさんは「あの時のことは忘れられない。
いつかどんな形でもいいから何かお返しがしたかった」と仰られたそう。

凄いなぁ。

結果としての偉業を残した人は勿論尊敬の対象です。でも、真に尊敬に値する人物
とはNさんみたいな人かもしれない。自分の中に綺麗なキモチを持てる人、意思を
もってさり気なく行動に移せる人、ホントに素敵です。


素晴らしい人って身近にいるんですね。


いい夢見れそうです。


おやすみなさい。





幸せの黄色いハンカチ

「幸せの黄色いハンカチ」のレンタルDVDを借りた。映画館では観ていないが、テレビで
何度か観たことがある。ちょっとしたきっかけがあり、ふと借りてみようと思い立ったのだ
けれども、ホントにいい映画ですよね。

刑期を終えた男(高倉健)が出所する。刑務所に入った理由は喧嘩で人を殺(あや)めて
しまったから。そんな境遇になってしまった過去の伏線を追いながら、ひょんなことから知り
あった若い男・女二人(武田鉄也・桃井かおり)とのやりとりを絡めて物語は進んで行く。
ストーリーのポイントはただ一点。

過ちを犯した自分のことを妻(倍賞千恵子)が変わらぬ気持ちで待っていてくれるのか?

ということ。男は、

「もし、まだ一人暮しで待ってくれているなら・・・黄色いハンカチをぶらさげておいてくれ。
それが目印だ。もし下がっていなかったらそのまま引き返して、二度と現れないから・・・」

こう書いた葉書を出して、自分の住んでいた家に足を進める。そして、クライマックス・・・。

目の前に現れるたくさんの黄色いハンカチ・・・。

結局、妻は待っていてくれたのである。

何度観ても泣いてしまう。その人を信じるだけの理由があれば人間の絆はちょっとやそっとで
壊れるものでないことを教えてくれているようです。

振り返ってみて自分は果たしてこの映画の中の “倍賞千恵子” になれるのだろうか?、と
考えてしまう。それがカミサンであれ、子供であれ、友人であれ、自分に関わる全ての人に
対してそう思えるだろうか? 自分にも当てはまるものがあるが、人間、長いこと生きていれば、
物理的な環境やちょっとしたすれ違いで離れていった人もいるでしょう。それでも(決してキレイ
ごとではなく)いつもハンカチを上げていられる人間になりたいと思う。それで相手にキモチを
伝えることが出来るのであれば手段は何でもいい。ともかく、自分の根底にはそんなココロを
持ち続けていたいと思う。 


“絆”って言葉が好きです。


お互いが決して相手に求めず、ただ伝えたいことを相手に届くよう自らの心の中に繰り返し
刻んでいく作業。“絆”はそうやって深まるのでしょう。


目印になるハンカチを一枚ずつ結んでいく・・・。
時々忘れがちになる。

それじゃいかん。


大事、大事。


最後に “愛” は勝つ

卓球の世界選手権が終わりました。今回は地上波(テレビ東京)で衛星中継されていましたが、
これって凄いことですね。

かつて卓球は自分にはマイナースポーツのイメージしかなくて、どうしても暗い体育館の隅っこで
練習しているところを想像しがちでした。それと、蛙の足みたいに異常に発達する太ももとか(笑)、
中学~高校の頃はあまり良い印象がなかったのは確か。でも、長男が卓球を始めてからという
もの、それも変わりました。かなり魅力的です。強打のラリーが続いたりするとそれこそ目が点に
なるし、スマッシュは時速150キロのスピードになると言われる程のスピード感あふれるスポーツ
です。それと、画面では分らない「回転」対「回転」という他人には見えない世界での勝負があり
ます。あのボールは何気なく打たれて往復している訳ではなく、ラケットに貼られたラバーの
種類によって生み出される複雑な「回転」がかけられてネット上を行き来しているのです。言って
見れば「回転」の科学に身体能力と動体視力が組み合わされた奥深いスポーツ。ヨーロッパじゃ
確実にメジャーな扱いですし、我が家においてもスカパーの「卓球専門チャンネル」の契約視聴を
継続しており同じくメジャー級の扱い。(笑) 残念ながら日本ではまだマイナーですが、だから
こそ今回の衛星中継は凄いことだと感じます。

で、ここで浮かぶのが“愛ちゃん”です。今回の放映だって『愛ちゃん ありき』ってことは間違い
ありません。でも、彼女は凄いなぁ・・・と率直に思う。何が凄いのだろう? 自分は二つの要素で
それを感じています。


以前「天才卓球少女」と呼ばれてテレビに登場していた幼少の頃。あの時だって本人は卓球という
スポーツに純粋に取り組んでいたはずだけれど、テレビの前の我々は彼女が“泣いちゃう”ところ、
要するに「ちっちゃな普通の可愛い女の子」を見たかっただけなのではなかったかしら? その子が
今17歳まで成長して立派な乙女に変化し、しかも代表のエースとして君臨しているそのギャップに
まず私は感心します。ここまで、並大抵の練習じゃなかったであろうことは簡単に想像できる。彼女は
周りの目など関係なく(自分が強くなるために)泣きながら頑張っていたあの小さい頃と同じキモチで
ず~っと頑張ってきたのだろう。変わらない卓球“愛”とでも言ったらいいのかなぁ。強い信念を感じ
ます。凄いです。

それと、もう一つ。卓球を切り離しても何だってできそうな人間に成長している感じを強く受けました。
中国で現地に溶け込んで生活していること。強敵との試合をこなしながら相手のデータをきちんと
分析出来ていること。試合に向かう自分のスタンスが分っていること。負けた時の自己分析が冷静で
あること。みんな素晴らしいです。同じ年頃の子に同じものを求めても、ここまでの成長振りを表現
できる子はいないでしょ。みんな、どこかで生意気だったりするのに愛ちゃんにはそれが感じられ
ない。顔は幼いけれど精神的には立派な大人です。


結局、卓球にかける“愛”をずっと継続していたってこと。それがアスリートとしても、人間と
しても大きな成長につながっているということなんだろう。やり続けることは大事ですね。


試合に負けても愛ちゃんはキラキラしていました。

今回はおじさんが代わりに泣いてあげましょう。(笑)


あなたは立派に“勝ち”ましたよ。


爽やかな気分にさせてくれた愛ちゃんに感謝!


岡崎朋美さんの笑顔

トリノオリンピック、女子スピードスケート500Mの岡崎朋美さん、惜しかったですね。0.05秒の差で
メダルを逃した訳だけれど、これは距離にするとたった65センチぐらいのことらしい。残念、残念。
テレビで観たけれど、あの人のトレーニング風景には感動します。競技に対する取組姿勢、気持ちの
出し方も含め、私の好きなタイプのアスリート。ストイックなのに明るいのがいいなぁ。特にあの笑顔。

スポーツライターの増島みどりさんが東京中日スポーツ新聞のコラム「心の旅」で、この岡崎さんに
ついて触れていた。目にとまったテキストがあったので忘れない内に感想を書いてしまおう。

それは岡崎さんの言葉。

「(オリンピック出場)4回なんて私が一番驚いています。私は不器用なのが才能じゃないかって最近
思うんです。失敗をたくさんするから競技に飽きない。達成したはずがすぐに次が見えるんですよね」

   “不器用が才能”

素晴らしい言葉だなぁ、これ。

単純に言い換えれば、「上手く(強く)なるには練習するしかない」ってことですよね。練習すれば
練習するほど足りない部分が見えてくる。心・技・体、アスリートの究極ポイントに向かって自分を
高めていく人間の美しさを感じます。あの橋本聖子さんと同じチームに所属していて、当時全盛期の
橋本さんについて行く為、岡崎さんはいつも泣きながら練習していたらしい。今、彼女が見せるあの
笑顔は、自分を向上させる中で発見した本人だけが味わえる楽しさそのもの。人に見せる為ではなく、
納得できるまで追い込んだ自分を確信できている表れ・・・そう思えるほどいい表情です。

取組対象も違うし、もちろん岡崎さんのように高いレベルでもないけれど、これってギターの練習
にも繋がりそうだ。一歩、一歩、確実に自分を向上させる意志を持ち続けるのが大事ってことです。
やっぱり何をやるにも自分なりの究極を求めることが必要なんだ。

忙しくなったり、いろいろことで精神的スランプに陥ったり、このところの自分は気持ちが落ちっぱなし。
ダメですね、これじゃ。

まずはギターで切っ掛け作って調子を上げよう。練習に没頭しているうちに自然と笑えるように
なるかもしれない。

岡崎さんを見習って気合入れ直し! 練習、練習。




変わっちゃいけないもの

少し前にRIJNファミリーの菌ちゃんが、映画「ALWAYS~三丁目の夕日」についてmixiで
日記を書いていた。ずっと読んでいる好きな漫画なのでワタクシも気にしてました。けど
行けるタイミングが無くてやっと先日鑑賞。いいですね。自分の子供の頃を思い出しました。
東京タワーは確か昭和33年に出来たはずだから、映画の舞台となっている頃は丁度
ワタクシが生まれた時。だから本当にリアルとは言えないのですが、それでも共有できる
内容が結構ありました。例えば「富山の薬売りとおまけの紙風船」「公園に置かれた土管」
「家の間の狭い隙間を近道に使う」などなど。懐かしいですね。その中で忘れかかっていた
言葉が出てきました。

    【人さらい】

『誘拐犯』と同義なのでしょうがホントに恐いなぁ、この言葉。(笑) 小さい時にはよく
聞きました。

「遅くまで外で遊んでいると "人さらい" に連れられて行っちゃうよ」

言葉の印象度が強いせいか(しっかり頭にすり込まれていて)暗くなり始めると本当に家に
帰ったものです。けれども、当時は今と比べてそんなに危険だったのだろうか? 誘拐の
犯罪頻度はそれほど違わない気もするし、決してそんな事はないですよね。ある意味、
警笛のようなものだったのでしょう。夕方になれば近所の大人がよその家の子にも声を
掛けて帰宅を促す。大人がきちんと子供を見てあげてた時代。今は隣に誰が住んでいるか
分からないなんて事が実際にある訳だし、メディアが発達すればするほど自覚の無い
人間は更におかしくなってくる。危険度レベルでいったら現在の方が圧倒的に高いはず。

最近、小さい女の子が殺害される痛ましい事件が続いた。今は "人さらい" では済まされ
ないから本当に恐い。大人は他人事ではなく、自分の子供と同じように(他人の)子供を
守る気配り、目配りを心掛ける必要がありますね。

「ALWAYS~三丁目の夕日」で、ストーリーの中心となっている家にテレビが届き、近所の
人が大挙押し寄せてワーワーやりながら一体となって力道山に声援を送る場面があった。
スローで回していたあのシーンから一番伝えたいメッセージを感じました。今の時代に
あんな状況はさすがに無いけれど、「自分だけの物にしないで皆で一緒に」っていう気持ちを
持つことは大事。

時代が移っても変わっちゃいけない部分だと思います。

56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

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