生活しているといつの間にか同じモノが溜まってきてしまうことがある。
私の場合、その大部分は“無駄”に重複して買ってしまったモノ。ガム・目薬・
生CD・生DVDあたりが代表的なアイテム。
こういうモノって重複してしまうと確かに無駄だけれども、逆にそれが便利な
こともあって、例えば目薬などは会社のデスク・スーツのポケット(上着とズボン
の両方だったりする)・車の中・家庭のPCデスク・ダイニングテーブル・枕元・
洗面台・下駄箱の上、などなど大概のところにあって、欲しい時にはいつでもすぐ
使用できるのです。(笑)ところが、「いざ使おう!」と思った時には大体それが
見つからない。これがモノの溜まるきっかけです。
仕事中にコンタクトレンズが乾いて眼に潤いが欲しくなっても、デスクに置いた
目薬が直ぐに見つからないので(引き出しやら書類の間とか、まぁそんなところに
隠れているのでしょう)スーツのポケットをゴソゴソと探って引っ張り出すことに
なる。結局、そうして使ったその目薬はデスクに置去りにされ、仕事中にペン等を
しまう時に勢いで何気なく引き出しの中に入れ込んだりする。当然、次に外出して
ポケットを手探りした時にはもう無くなっている訳です。で、ふたたび購入・・・。
そうしたループが生活の中で途切れることなく循環している。モノを大事にしない
自分が悪いのだが本当にひどい。ガムや飴も同じで、玄関とダイニングテーブルの
上に置かれたディズニーランドのクッキー缶の中には、中途半端に残った残骸が
何種類も山のように・・・。
今、自分の身の周りに目薬は果たしていったい幾つあるのだろうか。
ドラマ「北の国から」の主人公黒板五郎はモノを大事に使い、決して“無駄”を
出さない人です。その五郎を敬愛しているくせに、私の日常は反対に“消費”の
連続。目薬やガムはその一端であり、生活の中で繰り返している無駄なことは他
にもたくさん・・・。モノだけで収まらず最近は(平気でタクシーを使ってしまうとか)
時間も簡単に買うようになってきている。五郎のように自力で井戸を掘ったり、
水道を引いたり、家を作ったり、風力発電機を築いたり、そんなことは出来ない
けれど、せめて無駄をしないことぐらいはちゃんとやれないとダメだよなぁ。
昨日、長女と会話していたら「指輪が見つからないのよ。誰か見なかった?」と
私とカミサンに訊ねてきた。カミサンが「今度は指輪!? あなた、そういえばこの
前見つからないって言っていた時計はどうしたの?」と言う。そのあともカミサン
からは「あれは? あれは? あれは?・・・」出るわ出るわ。そして、それが
全て高額商品。(笑)
“コイツは俺以上の馬鹿者なんだぁ”と呆れて口をあんぐりしていたら、カミサン
から「自分を見てるみたいでしょう」と言われたので、「そんなことは無い。俺は
決して高い物は失くさない。一緒にするな。レベルが違うんだよッ!」と、返して
やった。
昨日の朝、出勤途中にいつものようにお決まりのスポーツ紙を買った。が、乗り換
えの駅についた時、既にその新聞は見当たらなかった。たかだか5分間強の時間の
中で一文字も読まない内に同じ新聞を再度購入したのは流石に自分でも始めての
経験だ。(笑)
「塵も積もれば山となる」
その通り。
本質は娘と変わりないね、こりゃ。
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