倫理感の欠如から発生する企業の不祥事や不始末が、最近は本当に多いですね。ヒナ壇に
ズラッと並んだ経営側の人達が深々と頭を下げる・・・というテレビから流れるあのお決まりの画。
珍しくもなくなってきちゃいました。コンプライアンス(≒法令遵守)という言葉も一般的な名詞に
なっているけれど、これは何も企業に限ったことではなく、個人にも同様のことかと思います。
カミサンが保育士をしているので、福祉関係の救済措置を悪用していると思われる現実を山ほど
耳にしている。世の中には宜しくない人が多すぎますね。
保育に欠ける状態にある児童を保護者の代わりに保育するのが保育園。ということは、親は日中
働いている訳でしょ。なのに、ある母親はひと月に数千円(なんと片手以内!)程度の支払証明で
子供をあずけているらしい。そんな金額で確たる労働状況があるとは思えない。その人にとって、
昼間は自分の好きなことをして過ごすフリータイムなのでしょう。その為に子どもを保育園にあずけて
いるのである。自分の遊び時間を確保するべく公的な福祉を利用し、子供の保育を放棄する・・・。
挙句、病気だろうと何だろうと平気であずけ入れる。子どもが熱を出したのでお迎えしてもらうよう
連絡しても、イエデン・ケータイどっちにも出ず(こういう人に限って)夕方BMWに乗って悠々と
お迎えにいらっしゃったりするらしい。可哀そうなのは本当に保育に欠けている状況の人がワリを
食うこと。こういうのって、もう絶対に許せない。かと思えば、内縁関係で確実に世帯が構築されて
いるというのに、法的には母子家庭状態を続けて保育料を免除されているなんてのは、今や珍しくも
ないようです。いつからこんなひどい人たちが増えちゃったのかな?
子どもも可哀そうですよ。こういった人たちの子どもの素行はというと、カミサン曰く、たいがいは
「推して知るべし。私たちが代わりに育てているようなものよ」子どもは親を見て育つということです。
結局そこに尽きるのでしょう。
“秩序”っていう言葉のニュアンスが好きです。「社会の諸要素が相互に一定の関係・規則によって
結びつき、調和を保っている状態」という意味合い。 “秩序”というとガチガチに縛られた状態を想像
しがちだけれども、実は違うように思う。助け合う、補填しあう、支えあう。何も言わなくてもそんな風に
出来上がっていく、人間性豊かに正直に形成される世界を私はイメージします。
社会の一員として生活する以上、秩序の中に身を置くのは当然のこと。子どもにそれを教えられる
のはやっばり親。自分の子ども達はもう大きくなっていますが、どこまで行っても教え続けることに
なるのでしょう。秩序は個人が常に倫理観をもってみんなで作るもの。それには背中で物言える
くらいの自分であり続けないといけませんね。
けど、これがだらしない親なんだよなぁ・・・。
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