去年の10月の初旬に届いていたサザンオールスターズの「キラーストリート」を半年以上
経ってからやっと聴くことができた。近頃はほとんどギターのインストしか聴かなくなって
しまったため、封を開ける気にもならなかったヤツです。以前それに関連したブログも書いた。
・・・が、今回実際に聴いてみたらなかなか宜しかった。(笑)
不思議なもので、今度は昔のサザンが懐かしくなり、立て続けに数枚聴いた。(笑) その中に
85年発売の「KAMAKURA」があって、ある曲を何度もリピート・・・。
それは “ 夕陽に別れを告げて~メリーゴーランド ” という、こんな歌詞を含む曲。
遠く離れて High-school
揺れる想い出
心にしみる 夏の日
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あの日々はもう帰らない
幻に染まる
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Oh もう逢えないのだろ My friends
時が流れるまま
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色あせた校舎に
別れを告げる
鎌倉の陽よ サヨナラ
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これ、自分の中では、現実から逃避したくなると必ず聴きたくなる曲です。(笑)そういう時は
どうしても『あの頃に還りたい』と思ってしまう。
私の通っていた高校は都立の共学校でした。前身は(東京)府立の高等女学校です。
なので、生徒構成比としては男子よりも女子の方がやや多かったくらい。
今のシステムは分からないけれど、私の時代は都立高校は学校群制度というものがあって、
単独で一つの「校」を受験できませんでした。ほぼ同じ偏差値の高校がグルーピングされた
「群」を受験する訳です。なので、合格してもどこの高校に行くかは分かりません。どちらかと
言えば、希望と違った学校に決定してしまう方が確率的には高い。自分も「群」の中で行き
たい高校というのがあったけれどダメでした。ただ、当時の志望校も、その先に控える進学
などを考えて単純に漠然と希望していただけのように思います。運悪く自分の期待は外れて
しまったのですが、三年間を過ごした結果としては、逆に神様にはとても良い選択をしてもら
えたように思います。自由でのんびりした校風、ギスギスしていない、女子が多くて楽しい、
などなど。自分にはとても居心地の良い高校でした。
なので、小学校~中学校~高校~大学と進んだ履歴の中で、どの時代が思い出深い? と
問われたら、私は間違いなく「高校」と答えます。人によって違うので何とも言えませんが、
バカをする、楽しむ、悲しむ、悩む、恋をする・・・などなど、大人になりかけていた中途半端な
時期を一緒に過ごし、時間の大半を共有した友人が私にはやっぱり貴重です。その仲間には
男子に限らず女子もいる。最近は会う機会も滅多に無くなっていて、それぞれの家族に不幸が
起きた時に会う程度。それでも心の中では近いところに居る友人ばかり。その当時を思い出
すと何故か落ち着くのです。
高校は繁華街から外れた荒川の土手沿いにあって、この環境が凄く好きでした。川の流れを
眺めては落ち着き、夕闇の中を友達と土手に座り、遠くに見える鉄橋を通過する電車の灯りに
いたく感傷的になったり・・・。今じゃ考えられないけれど純粋だったんですねぇ、あの頃は。(笑)
放課後の教室で毎日意味も無く会話を続けても全然飽きなかった。自分はサッカー部に入って
いたけれど、部活より楽しくてよく練習をサボっていたため、部員からひんしゅくをかって何回か
見せしめでシゴキも受けたなぁ。(笑) それでもクラスメートと話している方が断然楽しかった。
建物には校歌にも謳(うた)われているシンボルのような存在の時計台があった。既に当時の
校舎はなくなり新しい建物に代わっている。でも、(新しくはなったが)あの時計台はしっかりと
残っている。後輩達も同じように毎日見上げているのだろう。
背の高い建物が増えて視界は徐々に狭くなってきているが、今でも、毎日通勤電車に乗って
変わらず時計台を目にすることはできる。(電車内から)見えなくなるまで時計台を追っている
朝があって、弱っている時ほどそうなるようだ。(笑) あの頃、時計台の方から純粋なキモチで
眺めていた川と鉄橋。今、その鉄橋を渡る自分は少し濁ったキモチで逆方向からあの時計台を
見ている。
キモチを還す場所、それが時計台。
もうこれ以上視界が遮られませんように・・・。
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