先週の週末は仕事上の付き合いで伊東温泉まで行きました。お得意先に出入りしている業者で
作られている親睦会の一泊旅行です。総勢80名ぐらいの参加者。元宰相の別邸であった高級
旅館を借り切って行われた。で、何故か幹事の一人である私が宴会の司会でしたが、ギターの
発表会に比べりゃなぁ~んもプレッシャー無し。(笑)
宴会の後、旅館内三ヶ所で二次会が開かれた。幹事が各会場の世話役として各々付くことに。
当然私も係になったのだが、一箇所だけカラオケが準備されていない和室の担当におさまった。
けれども、飲むだけという訳にはいかない。何かアトラクションが必要になる。そこで、毎回この
旅行会に参加する会員さんの中に江戸小噺(こばなし)を嗜む方がいらっしゃるので、その方に
一芸をお願いすることになった。高齢の方にはこの手の余興が好きな方がいらっしゃいます。
ちょっとエッチで洒落た、落語のような話芸で私も過去に何回か聴いたことがあります。ただ、
失礼だけれども正直なところ、自分には興味を惹くものでは無かったのです。(笑)
でも今回は違った。別の意味で興味深かった。
この親睦会の会員会社はどちらかと言えば中小規模のところが多く、必然的に大体は社長さんが
参加されている。この小噺の方も、お歳の頃80歳台後半でやはり社長さんです。今回は横に
芸者さんをはべらせ、二人の掛けあいで皆さんを笑わせてくれた。が、お歳でもあり、さすがに
レパートリーも忘れがちのご様子。それでも10本ぐらい披露してくれた。
「昔は200本以上持ちネタがあったのになぁ。イヤになっちゃうな歳とると・・・」
こう言いながら膝の上でチマチマと爪をいじっている両手に目をやり、うつむきながら
「お前には苦労を掛け続けちゃって・・・」
と、今日初めて会った芸者さんに声をかける。すると、芸者さんも心得たもので
「お前さん、わたしは幸せヨ」
と返す。そんな軽妙なやりとりを繰り返して小噺が終了した。すると、小噺を聴いていた人から
「インパール作戦の話をしてくださいよ」と声がかかった。
この社長さん、会員の間では“生きた英霊”と呼ばれている。普通、英霊は亡くなってこそ
呼称されるものなので思わず笑ってしまうのだが、そう呼ばれる理由があって、社長さんは
あの悪名高き
インパール作戦に兵士として参加されていた方なのです。
私は詳しい知識を持っていませんが、インパール作戦の概要程度は知っています。特に、その
立案者である牟田口司令官の悪評振りは一般的にも知られているところでしょう。一説によれば
戦死者よりも餓死者の方が多かったと言われるほど、いたずらに多数の若者の命を奪った最悪の
作戦を指揮した人物です。
史上最悪の作戦に駆り出されていた元兵士に、戦争を知らない世代が興味本位でエピソードを
求めるのは宜しくないことなんだろうけれども、社長さんは少しだけ語ってくれます。
牟田口はホントにひどいヤツだ。初めから無理なことは分かっていたんだ。
あいつのせいで仲間が何人死んだか・・・。でも、不思議なことに俺は何度も助かってるんだ。
ある時は並んでいた両隣の仲間が敵の弾にやられた。
それだって、たまたま自分の目の前に木があっただけだ。
それと自分が動いた直後、後に入った仲間がその場所に砲撃を受けてやられたこともあったサ
この社長さんは、私などには想像出来ない経験を自分の人生の中に取り込んでいる。そもそも
戦争を最前線の兵士として体験してきたこと、生死の境目を行き来していたであろうこと、
きっと悲惨な場面を見てきたであろうこと・・・。多く語らずとも容易に分かる。
で、自分が興味深かったのは、そんな“暗”の部分と“明”である小噺とのコントラストでした。
きっと、固まった心や精神の緊張を解放させるモノが御自身の中に必要だったのだろう。考え
過ぎかもしれないけれど、他人である私にはそう思えたのです。自分の落ち着かせどころ、
そこに戻れば自分を保てる場所。今の自分にとって、それがギターであることは間違いない。
自分が80歳の後半まで生きていたとして、あの社長さんの小噺のように洒脱にギターを弾けて
いたらそれは楽しいことだなぁ、と思います。
自分は運良く銃弾や砲弾に当たらなかったというインパール作戦の話。締めの一言を耳にして
そんなことを感じました。社長は最後にこう言って皆を笑わせたのです。
『 俺は一生、“カネ”には縁がないんだよ 』
お見事!
※社長さんと同じ経験をされた方が事実を伝えるべくアップしているサイトがあります。興味の
ある方は下のURLからどうぞ。
http://www.geocities.jp/tondaseishun/
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