遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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先週の土曜日、会社の後輩の実家が営む八千代の梨園にお邪魔した。
この梨園は観光農園ではないので、本来は梨狩りが出来ません。そこを
上司の権力に物言わせて強引に実現させたというワケ。半分ホント。(笑)
行く前は「2トン車を借りて行く」とか、「根こそぎ狩って積み込んでそのまま
船橋の駅前で売る」とか、「来年は桃も作ってもらうよう進言する」などと
冗談をかましていたが、小心者ゆえ・・・
現地に着くと途端に大人しくなって、
結局、梨は10個ほどしか持ち帰れず、却って持参したお土産代の方が高く
つくことになった。(笑)
以前、自宅(船橋)近隣の鎌ヶ谷で梨狩りをしたことがあって、もぎたての
梨が本当に美味しいのは分かっていたが、それにしてもホントに美味い。
冷えていなくても問題なし。やっぱり採りたてに優る物はないのです。
で、今回は糖度14の「幸水」を頂きました。
チョ~ッッッ、美味いッ!
みずみずしくて果汁の量が凄く、食べるというよりは口の中で崩して “飲む” に
近い感じ。
いいねぇ。やっぱりもぎたては最高です。
梨狩りも良かったけれど、今回は他にも楽しいことがあった。
梨園は後輩のオジイチャンとオバアチャンが切り盛りしているのだが、
このオジイチャンが素敵。手先が器用で、収穫・販売作業の合間にそこらに
ある素材でいろいろなモノを作ってしまう。竹とんぼ、草鞋(わらじ)、昆虫の
フィギュアなどなど。
たとえばこのバッタ。
シュロの葉を切り裂いてテープ状にして編み上げたモノ。10分ぐらいで
チャチャッと完成。常連客の中には、『子供が喜ぶので、宅配の箱の中に
これを入れてもらいたい』 とリクエストする方が多くいらっしゃるらしい。
これはカタツムリ。
竹で作っています。
そして、これがカブトムシ。
ボディの素材は梨の根。足は竹箒(たけぼうき)を流用している。
ちゃんと目玉も動くのです。凄い!
楽しくて全部もらっちゃいました。(笑) それと、ついでにこんなモノも。
デカイ瓢箪!
梨の棚の隣で作っている瓢箪。商品として加工する製作家からの注文で
栽培しているそうです。
オジイチャンは葡萄も栽培していて、
これは “ポートランド” という種類で、当日計った糖度は17。要求した訳では
ないが、何故かしっかり手に入ってしまった。帰宅後、冷やして食べたら最高。
ものすごく甘くて美味い。
梨だけじゃなくて、お土産もいっぱいで単純に嬉しい。
梨園の場所も、「幸水」と「巨峰」の棚の位置も把握できたので、これからは
いつでも採りにいける。夜、暗くてもOK!
・・・じゃ、なくって(笑)
来年からはきちんとお客さんとしてお邪魔することにします。
後輩、そしてオジイチャンとオバアチャンには
ありがとうございました。
と、 感謝しつつも
やっぱり来年は桃も欲しい・・・。(笑)
今朝、家を出てから駅に向かう途中で素晴らしい音楽家に出会った。ある
種のストリートプレーヤーとも言えるこの音楽家は、最早アーチストと
称した方が良いのかもしれない。
実は少し前にも一度遭遇しており(その時も朝でした)、当時の感動が
凄かったもので、再びの出逢いにとても嬉しくなってしまった。
このアーチストとは直接言葉を交わした訳でもなく、どんな容姿かも
知らない。というか、どこにいるのかも分からない。綺麗な声だけが耳に
届く “謎” の存在なのです。
そのアーチストとは・・・ “鶯(うぐいす)” です。(笑)
十日ほど前のこと。自宅を出てすぐに綺麗な鳴き声が聴こえてきた。
船橋に引っ越してから13年。今までに聴いた中ではダントツ!ホントに
上手い鶯です。
ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……
先ず、入り始めの最初のフレーズ。 “ホー” から “ホケキョ” に繋がっていく
クレッシェンドが秀逸。微妙なニュアンスを保ちながらとにかく長く、よく伸ばし
つつ、引き込むように最高潮にもっていく。透明感を感じさせる高い声質で、
周囲に放たれた声には適度なリヴァーブがかかり、観客を引きずりこむ。
そして、後半の “ケキョケキョケキョ・・・”のパート。このリフレインがまた
凄い。何と言っても、あの繰り返しのリズム感と無限に続くのでは?と思わ
せる囀(さえず)りの回数。そんじょそこらの鶯じゃ絶対に真似できないだろう。
自宅近辺には梅の畑があって、通常、鶯の声はそちらから届くのだが、この
アーチストは他と交わることを好まないのか、少し高台に繁っている雑木林に
ステージを設けている。出勤時間には少し余裕があったので、立ち止まって
暫くの間見事な歌に聴き惚れた。その場を去るのはとても残念だったけれど、
だんだん遠くなっていく歌声に感心しながら駅に向かったのです。
そして、本日のこと。先日と同じステージにあのアーチストが再び登場した。
変わらぬ美声と技術。今朝もまた立ち止まり、暫く歌を楽しんだ。これだけで
嬉しくなれる。一日の始まりに極上の音。いいねぇ、こういうのって。
ブラボー!
定期的にライヴしてくれんかなぁ・・・。
常々思うのだが、僧侶が読み上げるお経、それに伴って使用される道具から
生ずる音。これらから表現されるのは完璧に “音楽” のようです。
時々複数の僧侶による読経を耳に(目に)することがある。最近参列した葬儀で
三人同時のおつとめがあって、その時も感心してしまった。僧侶の唱い、木魚や
大小の鉦(かね)などの様々なパーカッション類。特に鉦の打音から湧き出る
サスティーンに、声質の違う三人のハーモニーが乗ったエンディングは、故人に
対する弔いの気持ちを深く明瞭にする効果があるように感じた。それは素晴ら
しい音楽だったのです。
弔いの場所でそんなことを思うのはいけないかもしれないが、あの独特の音響に
よって鎮魂される要素は確かにあるように感じるし、“音”をきちんと聴く(=自分に
取り込む)のは決して不謹慎なことではないだろう。
そして叔父の葬儀があった今日、今回は別の音楽性を感じた。それは・・・
“リズム感”
お通夜には参列できなかった。本日は一日で葬儀・告別式~納骨まで済ませ
てしまうというハードスケジュール。今日は天候が不安定で、斎場からお寺に
移動する頃には頭上に大きな黒い雲がひろがっていた。
叔父が入るお墓のあるこのお寺は当家の菩提寺でもあり、住職のことももよく
存じ上げている。とても立派な方です。ただ・・・、一般的に僧侶には落ち着いた
イメージを想像するが、この住職は少し違う。割とせっかちなタイプ。(笑)
今にも雨が降りそうな状況を住職は心配したのだろう。斎場で唱えていた時
とは明らかにお経の何かが違う。
テンポだ・・・
速い。(笑)
しかし、リズムは乱れないのである。そればかりか、参列者もそのリズムを
感じ取ったようで、各人の焼香手順が斎場の時のそれとは明らかに違う。
テンポ(流れ)だ・・・
速い。(笑)
経のテンポと焼香のテンポがシンクロしているのです。凄い!
亡くなった父親から生前に聞いた話を思い出した。
菩提寺は古いお寺であるので本堂に冷房は無い。ある夏の盛りの法要で、
オヤジは住職の後方に位置して扇子でバサバサと風を送る役をしたことが
あったらしい。
オヤジは・・・
「俺が扇子を振るピッチに合わせて読経が速くなった」 と言うのだ。自分の腕
振りのピッチ通りに速くなるのが面白くて、(オヤジは) 「どんどんとテンポを
速めた」 とも言っていた。冗談が好きなオヤジだったので今まで話半分で
受け止めていたが、今日の住職の様子を見てあながちウソでもないように
思えてきた。(笑)
あの読経と焼香のテンポだと、叔父はかなりのスピードで浄土までの道を走ら
されたことだろう。
今頃ゼイゼイ言ってるかもしれないなぁ。(笑)