先日、従姉妹(いとこ)の四十九日の法要があった。私の父親は兄弟姉妹が多く、
乳児期に亡くなった方も入れると全部で六人。73歳で亡くなった従姉妹は父親の
兄の長女にあたる。晩婚だった父親の、しかも遅く出来た子供である自分とは歳が
離れており、従姉妹という実感は正直無くて、叔母のような感覚の人でした。
決して大きくない、親戚だけのこじんまりとした法事だった。
その日は本来、納骨式でありながら実は葬儀も兼ねていた。それには理由がある。
亡くなった従姉妹のご主人が認知症をわずらっており、しかも子供がいない夫婦
だったため、亡くなった時にきちんとした形で会葬をしてあげられなかったのである。
今回、遠く離れたところに住む(同じく私の従姉妹にあたる)末の妹さんが世話を
やいて何とか故人を弔えることになったのだ。
談笑の際、読経の時、そして埋骨に至るまで、いろいろと考えさせられることがあった。
ご主人とは以前、親戚の法事の席で何度も顔を会わせている。とても気さくな方で
楽しく会話もさせてもらっていた。今回だって外見上は特に変わりない。でも、一度
席を外してしまうと、戻った時には既に自分がどこにいたのかが分らなくなっている。
それ以前にもう私のことは分からない。周りの親戚も同様にみんな“他人”になって
しまっている。これはとても辛いことです。
現在同居している私の母親、(既に他界した)父親、亡くなったカミサンの両親、誰にも
その症状はない(なかった)ので、法事の場で目にした事実で私は初めて認知症という
現実をリアルに受け止めた。今まで耳にすることはあっても、認知症の現実を自分は
全く知らなかったのである。
帰宅してから代田幸子さんのCDが気になって聴いてみた。
彼女の祖母には同様の症状があって、代田さんは祖母に接する自分のキモチを曲に
している。「おばあちゃんの唄」というその曲を去年Rijnのライヴで聴いて、とても
心を打たれたのだが、歌詞の中に耳から離れないフレーズがある。
ずっとずっとそばにいてや
ずっとずっとここにおるで
自分もカミサンも高齢者になった時に、どちらかが、あるいは両方がそうなるかも
しれない。そんな時、互いにこの歌詞のキモチを持ち続けられる自分たちでいたいし、
そういう家族でありたいと思う。身内に認知症の方を抱える人たちから見れば「直面
してから言いなさい」と忠告されるかもしれないが、それでもそういう家族でありたいと
思った。
確かにご主人は認知症です。けれど、深いところにある心の襞は本人だけのもので
周りの人間には見えない。きっと、ご主人は自分自身で妻を送ってやりたかったん
だろうと思う。ただ、今の自分には叶わなかったんだ。辛い場面を目にしてそう感じた。
読経の最中、ご主人は肩を震わせて突然嗚咽したのだ。急に崩れたその様子を見て
周りも泣いた。
ずっとずっとそばにいてや
ずっとずっとここにおるで
あの時、ご主人にだけは従姉妹の声が聞こえたのかもしれない。
COMMENT