忍者ブログ

Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

カテゴリー「自分」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


アンフェアを自覚・・・

達也が大学に入学して七ヶ月が過ぎた。

早いね。

去年のこの時期は受験勉強に明け暮れていたんだよなぁ。
今は毎日、刺激的な新しい経験が続いているみたいだ。


この頃はサークル活動に関する会話量が多い。

所属するのはインバウンド(訪日外国人旅行)を研究しつつ
旅行なども楽しむ団体です。大学準公認、発足して数年の若いサークル。
本人は、特に強い目的をもって入部したワケではなかろうと思う。

メンバー構成としては、二年生が少なく一年生が多いらしい。
そんなこともあって、一年生と言えども予測を超えた忙しさがあるようです。
先日開催された学祭では(一年生なのに)展示の要職を命ぜられたそうな。

先輩を手伝う中で日々発生する様々な出来事は、本人にとっては
新しいことばかりなのだろう。例えば、各地の観光協会とのやりとりに
際しての接触方法、文書作成、それに伴うビジネスマナーなど、
分からないことを一番身近な社会人である父親に質問してくる。

心配の種、関連する質問が新入社員のようで、これを教えるのが
結構面白い。


で、最近のこと・・・。

四年生は引退、三年生は就活、そして二年生は人数が少ない。
この背景ゆえ、次年度は現一年生が主導的立場になることから
先般、そのリーダー選びが行われ、達也がその役に選ばれたらしい。

あ~らタイヘン。(笑)

正確に言うと、恣意的に “選ばれちゃった” ようなのだ。
だから、本人はもう、超~ッ心配でたまらないのである。


俺につとまるはずがない。 

どうすればいい? 

親から見て役目を果せる人間だと思う?

投票の数が割れて、最後は先輩のリーダーが決めたんだよ。
そういうのって大丈夫なの? 許されるの?
それで皆んなが付いてくると思う?


・・・などなど、杞憂のかたまり。

自分を卑下する言葉がたくさん湧き出てくる。(笑)


自信なさげにうろたえる “リーダー候補” を目にすると、どうしても
私の方が“管理職” モードに入ってしまう。自宅にいながら管理職?
これは、ある種の職業病ですね。(笑)



「立場が人を作る」ってことがあるんだ

自分にチカラが無いと思ったら、泥臭くてもいいから行動で示すんだよ
場面にきちんと向き合って、とにかく一生懸命やる
そうすれば時間が多少掛かっても皆んな信頼してくれる

リーダーが偉いんじゃない。任せっぱなしじゃなく、部下の先頭に立ち
一緒に考えて動いてくれるヤツがリーダーなんだ


などと応答してあげるが、それでもグズグズしている “リーダー候補” に

「じゃ、止めちゃえよ」

と、突き放しの一撃を加えた後、


なかなかそういう経験できないでしょ。自分を磨くには絶好なのにね。
リーダーの立場なんてことばっかり考えないで、
自分の上積みを作れる立場だと思えば楽しいんだよ

それはそのポジションの人にしか経験できないんだぜ
それでも、自分の可能性を捨てちゃうんだ? 
ありゃりゃら、もったいないねぇ


こう刺激する。すると・・・


「分ったよ。でも、皆んなに物事を指示する時はどういうふうに命令したらいいの?」


と、今度はいきなり具体的な場面を想定して訊いてくる。

ホントに小心者だなぁ、と心の中で笑いつつ



簡単、簡単。仕事を指示する時に一言、

『これ、お願い。分らないこととかあったら言って。手伝うから』

こう付け加えてあげればいいだけだよ


今度は一瞬でスッキリした顔に変わった。


    あぁ、そうか。なるほどね!



こうした5~6分程度の会話も結構な内容である。
話の内容は何でも良いけれど、自分の子供とオトナ寄りの会話が
出来るのが、自分には格別に嬉しいことでもあります。


遥か遡って自分が大学の頃、父親とこんな会話を交わした覚えは無い。

・・・と書くと、

父親の方が話してくれなかったように聞こえてしまうが、
それは、父親を遠ざけていた自分のせいだった。


最近、父親もこんな会話をしたかったんだろうなぁ、と思うようになった。
自分だけ楽しさを享受しているようで、恥ずかしさを感じる。


アンフェアだよな、やっぱり。

PR

インディアン・サマー

ギタリスト、下山亮平さんの楽曲に「インディアン・サマー」という作品があります。
とてもいい曲で、聴くたびに心が落ち着く。

“インディアン・サマー”

下山さんもライヴのMCで都度説明してくれるが、

北アメリカで

「晩秋から初冬にかけての穏やかで暖かい日和(ひより)」 

を意味する言葉。

日本語では、“小春日和(こはるびより)” という言い方に置き換えられます。



今日は自分にとって、まさにこんな日だった。

実際の陽気は勿論、それよりも、自分のキモチが「小春日和」に
なったのが心地よかった。


疎遠だと思っていた友人と、久しぶりにコミュニケーションが取れたのである。
言葉は少なかったけれど、キモチを交わせた気がした。
昔を思い出して懐かしく、嬉しい時間だった。


自分にとっては・・・

大事な人との交差を強く意識できた、暖かくて「格別な日」だったように思う。


“インディアン・サマー”


ウン、ぴったり。


絵になった自分

職場で仕事を手伝ってくれる臨時社員の方に絵を描く女の子がいます。
絵に関する造詣が無いので評論は出来ないけれど、
(自分の印象では)彼女は “懐かしくて、少し恐い” 感じの絵を描きます。
その “恐い” というのは「恐怖」ではなくて、例えて言うならば・・・

『自然の音や景色が生き物に感じられてビクビクする子供の頃の胸の中』

・・・みたいな感覚。

自然に限らず 『モノ』 や 『ヒト』 なども同じで、子供の頃って初めて奇異な
場面に出くわしてドキドキすることがありますよね。あの感じです。
ちょっと見た瞬間の恐さの後、じわっと懐かしさが湧き上がってくる。

こういうの好きなんです。


作品展は今年で六年目になるそうで、私は去年から観させてもらっています。
今年も下北沢で開かれていた作品展に先日お邪魔しました。
今回はちょっと楽しみにしていたことがあって、実は彼女に自分の絵を描いて
もらったのです。裸になってモデルをした訳ではありません。(笑)

「自分を動物に見立てて描ける?」

春の頃、動物は指定せず(無謀にも)単純にこうお願いしてみたところ

「いいですよ」 と快諾してもらえたのです。


以来、途中で何度か描いている内容を訊いてみたが 「作品展に展示するので
その時まで楽しみにしてください」 と、笑いながら返されていた。

そして、ドキドキしながら・・・

下北沢のギャラリーで 「絵」 になった自分と初めてのご対面です。




題名:ぽんぽこライヴ


ウ~ン・・・。体型が彼女本来の味である “恐さ” を消してしまったようで、
モデルに問題があるような気もする。(笑) 
私以外の方がこれを観る場合は、その先にいるモデルを想像せず
純粋に作品として鑑賞するのが宜しいかもしれません。

と言いながら、実はタイヘンに嬉しい。(笑) 何も言わなかったのに
ギターも持たせてくれたし感謝、感謝。


(絵を描く人達にとって)作品の紹介機会は多い方が良いと思うので、
彼女と仲間たちが開いているサイトを紹介しておきます。興味があれば
覗いてみてください。

http://kurayamigocco.fc2web.com/enter.html


オオヒラ、ありがとう。

次は “裸夫” で。(笑)


嵐だって心地良い

今週、火曜日から遅い夏休みを取っている。

いつものように本当は北海道に行きたかったけれど、花の盛りはとうに過ぎ、
鮭の遡上には未だ早い。カミサンと休みの取り方も合わず、二日間が限度。
結局、今回は一泊で近場に出掛けることにした。久し振りに車で旅行です。

ならば・・・

『ちょっと贅沢しちゃおうか』 ということになり、奥日光の露天風呂付きの個室が
用意されているホテルを予約。


で、宿泊した部屋はこちら。

いい感じです。いつでも直ぐにゴロ寝出来るのがとても宜しい。

畳に寝っ転がるとこんな “画” が飛び込む。

緑が素晴らしい!

テラスはこのような設定です。

脚を目一杯伸ばしても十分な余裕があるバスタブ。スモールライトもあったが
夜中はランプの灯だけで入浴した。チョーご機嫌!

目の前はホテル敷地の深い森。そのせいか、部屋の備品にはこんなモノもあり。

鳥だけではなく、シカなどの動物たちがやって来るらしい。

時には・・・

時期に関係なく 「冬眠前」 を維持し続ける栄養十分な “クマ” も入浴する。

あ~ぁ、癒される。もう帰りたくない・・・。

バスタブでくつろぐクマの目に入る “画”はこんな感じ。

本当に動物が出てきたら楽しいだろうなぁ。雨が恨めしい・・・。


今回、観光は東照宮のみ。それだけです。
  
5日の午後、日光は台風の影響で断続的に土砂降りの状態。
でも、他に観光をしなかったのは天候のせいではなくて、旅行の目的が
 “寛ぐ” ことだったから。早くチェックインしてゆっくりしたかったのです。


鳥の声を聴けなかったのは残念。でも、その代わり、強風に揺れる樹木の
音や叩きつける雨の音が楽しめた。天候が悪くても、その分違う楽しみ方が
あったワケです。こんなこと、観光じゃありえないものね。


ゆっくりと風呂に入りながら、快適な時間を実感いたしました。


実は・・・

天気が良かったらテラスで弾こうと思ってギターを持っていったのです。
けれど、雨が酷くて車の中に置きっぱなし。それだけが残念。
ギターはリベンジだなぁ。


こういう贅沢って、一年に一度ぐらはいいかもね。




そろそろお呼びが・・・

コンビニの袋に入ったサンドウィッチとおにぎりが手元にある。既に形はなく、
だらしなく潰れている。明日に備えて中味をチェックするつもりでカバンを
開けて気がついた。実に三回目の対面である。

今は(この記事を書き始めた)日曜日の夜11:00です。

ここに至る前、二回目にお会いしたのは一昨日、金曜日夕方のこと。
その時はデスクの陰にいらっしゃった。さらに遡ると、金曜日の早朝にJRの
駅内のコンビニで初めて顔合わせをしている。
そう、これは金曜日の昼食用に購入したものだったのだが・・・

      ・
      ・
      ・

金曜日の昼、同僚が昼食を誘いに現れた。勢いで 『OK!』 と返事をして
外に食事に出かけた。そして、結構な量を食べたのである。


午後の仕事をこなして夕方になると、その同僚が「飲みに行きませんか?」と
誘いに来た。またもや勢いで 『OK!』 と返事をした。仕事が片付かなくて
直ぐに出られなかったので、ちょっと時間をもらった。資料を作っている時に
デスクの陰にコンビの袋があることに気がついた。

何、これ??? ・・・って思った自分は

『ア゛~ッッッ、昼めし食べ忘れたァ~ッッッッ』 と声を発した。

目の前にいる部下は目を点にして “信じられない・・・” という顔をしていた。
彼女は私が同僚と昼食を食べに出かけたことを知っているのです。その時、
自分は “食べなきゃ・・・” そう思ったのであるが、彼女の不安げな顔を見ると
同時に自分もやっと気付いた。

食べ忘れたのではなく置き忘れていたのであり、もっと正確に言うと

昼食を食べたことさえ忘れていた のである。

しかも  昼はたんまり食べていた  というのに・・・。


「健忘」と「食欲」、二つもいっぺんに発生した。50歳手前のメタボリカルな
人間を際立たせるに、実に相応しい行動である。

目の前の彼女に 『大丈夫ですか?』 と言われ、瞬間的に恥ずかしくなって
隠すようにコンビニの袋をカバンの中に入れた。

それでもその時は「息子か娘、持ち帰れば自分でなくても誰か食べる人間は
いるだろう」そう思ったのである。確かに・・・。

が、しかし・・・  案の定、忘れた


そして冒頭の日曜日の夜に戻るのです。

 


サンドウィッチもおにぎりも既に消費期限が切れていたので食べなかった。


が、しかし・・・


「もったいないから食べよう」と思った  のも確かである。(笑)

 

こんなところは年齢不相応でありたいと思う週末の夜・・・。 

 


本日から新しくスタート

先週、誤ってブログのIDを削除してしまった。そこまでの記事自体は閲覧可能
であるが、新しい記事の更新が全く出来なくなった。で、考えた結果ブログを
乗り換えることにした。そんな訳で今日からこちらで再スタートです。

それまでの分が消えて無くなった訳でもないのに・・・ 

土曜日の夜は旧ブログを開き、画像をコピーしてこちらのブログフォルダに
新しく登録し直し、次にテキストをコピーして過去の全記事を作り直した。
これが自分の一番アホなところ。(笑) 他人が書いたブログの“有ること・
無いこと”、遡って読む人などいない。でも、もしも、そんな向きの人がいたら
不便になってしまう?と、考えてしまう。


もう一つ・・・


ブログを遺言代わりに書いている自分としては、没後、家族が目にし易い方が
良いだろうと思ってしまうのです。分散しているよりも一つにまとまっている方が
読みやすいに決まってる。自分が存在しなくなった時にどうしても家族に読ませ
たいと思うと、こんなつまらないところで真剣になる。と、言いながら、この労力は
極めて無駄なことで、見返りが全くないこともよく分っている。


やっぱり、つくづく自分はアホだと思う。(笑)


書き始めてから二年弱。全部で174本もあった。記事を作り直しながら
読んでいると、およそ700日の時間の中でそれなりにいろいろあったなぁ・・・
と感じる。目の前の状況と自分自身、いずれも日々変化している。弱っていたり
元気だったり、悲しいこともあれば楽しい時もあった。今の自分は、適度に
バランスを保ちながら生活できている実感があるが、それはこうやって書くことで
ストレスを吐き出している結果でもある。自分自身をレコードしていくことは
決して無駄にはなっていないように思えます。


元々広くお報せしている訳ではないので閲覧者は限られていますが、ご興味
あって読んで頂ける皆様には今後とも宜しくお願いいたします。



記事は移し替えましたが、旧ブログの掲載コメントは表示しておりません。
コメントを頂いていた方々にはお詫び申し上げます。




Goro




部下の教え

4月の異動から一ヶ月が経った。

実感は「もう一ヶ月も・・・」かなぁ。ここ迄はあっという間に時間が過ぎていった
気がする。密度の濃い仕事をこなした充実感からそう感じているのならよいが、
実は違う。大した仕事が出来ているとは思えない。新設の部署ゆえに致し方
ないところもあるが、正直、自分に物足りなさを感じている。仕事そのものから
充実感や達成感を感じられるようになるには、もう少し時間が掛かりそうです。

反面、異動による自分自身の変化はしっかりと受け止めることが出来ている。

まず、早起きになったこと。(笑)

職務的に増えるのは分っていたがホントに会議が多いのです。しかも朝の8時に
開始される会議が多い。これは、朝にからきし弱い自分にとって一番辛いことに
なるはずだった。が、しかし、人間って不思議なもので、目覚まし時計無しでも
一定の時刻に目が開くようになってきた。(笑)これが変化した事実の一つ目で、
どちらかと言えば良い方の驚き。

そしてもう一つ、こちらは悪い方。

「失われた」・・・こう表現するのが妥当と思える変化があった。

異動の前後で比較すると明らかに変わったことがある。それは部下の人数です。
部分的に外勤要素を残しているものの内勤が基本になった為、営業のライン職
からスタッフ職に移ったことで23名抱えていた部下が1名になった。ラインから
外れると当然こういう状況になるのだが、部下の数を大幅に失ったこの事実が
私には大打撃なのです。

駒のように動く手下が欲しいから? 多くの部下を従えて偉そうにしていたいから?

・・・ではありません。(笑)

与えられた職務を100%以上の成果に昇華させることには興味があるものの、
上昇志向の希薄な自分にとっては、会社内の序列とかそこに繋がるつまらない
威厳は不要です。


でも、部下を大量に失ったことは痛い・・・。


何故?


私は常に「会社は自分のいいように使ってしまおう」と考えることにしている。
どういうことか言うと、例えば・・・

■クレームで得意先に責められる場面■に臨む時、大事なのは勿論 『会社の
代表(公人)として真剣に怒られること』 であるが、怒られている自分は(実は
私人でもあるので)怒られっぱなしでは勿体ない。なので、その機会を上手く
利用させてもらい、他人からの怒られ方を(私人として)学ばせてもらう。相手に
話を聞いてもらうタイミングの見つけ方、応答の中で口に出せる言葉の判断など、
要するに“相手を透察する観察能力”は、真剣に怒られるほど養われ、勉強に
なるのです。そこで経験値を増やすとプライベートでも随分と役に立ちます。実際
こうやって蓄積された能力は、カミサンと喧嘩する時の“押し・退き”に転用され
効果を発揮しているのである。(笑)

ま、それはともかく、話を元に戻すと・・・

会社に所属していれば、上と同じような要素があらゆるところに転がっていることに
気付く。その中でも、部下⇔上司という関係で日々接触することは、自分にとって
格別な勉強の場だったように思う。


上司は、部下からは「頼られ」「答えを求められ」、部下に対しては「間髪置かずに
判断し」「考え方を示し」「実行を仕向ける」、そんな立場です。(公人として)こんな
ことを繰り返していく中では失敗もあるのですが、それが多ければ多いほど自分の
上積みが増える。そして(特にキモチの面で)人間関係が強まったりするのである。
それは宝物と言ってもいいほど貴重なものであり、会社という公的な環境の上下
関係がベースとは言え、彼らとの“生”の接触点から得られる人間的な蓄積は
(私人である自分には)計り知れないほど大きく、しかも幸いなことに、それが23
通りもあったのです。

端的に言うならば今迄自分は、決して「部下を指導していた」のではなく「部下
から教えられていた」のだと思えるのです。「親が子どもに教えられる」とよく
言いますが、それは親にとって貴重なこと。上司と部下という関係は、それと全く
同義であることが23人を失ってからよく分ります。


23人の“先生”にあらためて感謝している今日このごろ・・・。




入学式の父兄席にて

昨日は達也の入学式。

入学式の予定が分った時、自分は別に行く気もなかったのであるが、カミサンは
気合も十分に「絶対に出席する」と宣言していた。彼女は“親として達也の門出を
見ておきたい”のである。

自分は? というと・・・

子どもが成長するにつれ、入学・卒業といった節目のイベントに“親として・・・”と
意識することがだんだんと薄れてきたような気がする。特に最終学府となっては
それが強い。自分固有の性格なのかもしれないが、高校入学の時には既に親が
来るのをひどく嫌がっていた。(笑) 『別に親が来てどうなるものでもないし・・・』
と、超ドライに思ってしまうのである。

とはいいながら、結局、昨日は私も出席した。それは入学先が自分の母校だった
からであって、“親として・・・”ではなく、久し振りに校歌を聴きたくなってカミサンに
付き合った。入学式をライヴ的に楽しみたくて出掛けたのである。出席の動機付けを
表現するならこうなる。(笑)

学生数がそれなりに多い大学であるため、会場は日本武道館である。これは自分の
入学時と変わっていない。


070408_01.jpg



新入生の席はアリーナと一階席にあてがわれている。達也は「アリーナに座りたい
から早目に行く」と、かなり早く家を出て行った。自分は先に用事があったので、
カミサンとは武道館の入り口で待ち合わせにしていた。九段下の駅に着くと目の
前は凄まじい人ごみ。自分の時もこんなだったかなぁ・・・と、あまりの人の多さに
驚いた。

カミサンを待っている間、坂を上ってくる密集した人並みをずっと眺めていた。
新しいスーツを纏った新入生と父兄が一緒に進んでくる。この組み合わせが多い
ことに気付く。武道館をバックに写真を撮る人も多い。立ち止まると危険なため
撮影を諦めて閉式後に待ち合わせの約束をする家族もたくさんいる。家族一緒に
会場に向かい、式に出席し、一緒の写真を撮るのは普通のことであって、そこに
全く違和感を感じさせないご家族がたくさんいらっしゃった。少し遅れて到着した
カミサンもそうありたいと希望しているようで、日本武道館に向かう道すがら
「式が終わったら達也はどうするのかしら?」としきりに気にしている。


父兄席に座るとカミサンが「達也の学部はアリーナのあの辺りよ」と、私に教えて
くれる。自分は母校の校歌を聴きにきたのであって、達也がどこに座っていようと
構わないので適当に応答していた。すると(どうしても武道館の前でスーツ姿の
達也と写真を撮りたいのに)私に熱がないことを悟ったカミサンは、携帯で達也に
メールを送り始めた。(笑) 実は、二階席のかなり上の方に座った私たち夫婦の
周りの家族もカミサンと同じようであり、下の方を指差して「あのあたりかなぁ?」
などと嬉しそうに会話し、メールと通話を使って眼下にいる自分たちの子どもと
閉式後の行動のやりとりをしていた。


カミサンと周りの家族のそんな姿を見ているうちに『これが普通の親なんだろうなぁ』
と感じた瞬間、31年前の母親とのやりとりを想い出した。

当時、母親から「入学式はどうしたらいいの?」と訊かれて「別に出なくていいよ」と
アッサリ答えた覚えがある。結局、両親は出席しなかった。もう遅いけれど、今に
なって悪いことをしたなぁ、と思う。あの時、母親は息子の門出をきっと見届け
たかったに違いない。他人の価値観を自分で決めてしまったことが恥ずかしい。


子どもの成長と親の関わり方にはバランスが必要。父親と母親では微妙に感覚が
違うかもしれないが、まずは相手の立場や価値観を優先して考えてあげるべき。
それは親にとっても子どもにとっても同じなんだろうと思う。母親が着けなかった
父兄席に座り、自分がひどくアンフェアであるように感じてしまった。


先日達也は、通っていた高校で作成される「受験体験記」の提出を依頼された。
『文書をチェックしてくれ』というので校正をしていたら、中に“僕は最初から父親が
卒業した●●大学しか頭にありませんでした”と書かれた部分があって、そんな
ふうに見られていたことが親として少し嬉しかった。加えて、今回、達也は親が
式に出席することを拒否していた訳じゃない。31年前に自分の親に向いていた
アンフェアな自分と違い確実に進化しているようで、恥ずかしさが倍加される。


式が終わって達也からカミサンにメールで返信が届いた。

「昨日知り合った友達と食事して、そのままガイダンスに行く」


自分と同じ匂いを感じて少しホッとした。(笑)





56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

プロフィール

最新コメント

Copyright ©  -- Goro・とおく --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Photo by Geralt / Powered by [PR]
/ 忍者ブログ
QLOOKアクセス解析