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Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

カテゴリー「自分」の記事一覧

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振り返ってみた

今年一年の振り返り。

■身体
 
・大病無く全体的に良好。
・体重、予定より落とせず。
・遂に老眼の兆候。コンタクトを遠近両用に切り替え。
・白髪が気になってきた。特に、眉毛の中に1本発見して衝撃。
・汗の質が確実に悪化。身体の温暖化傾向も強まり、
 発汗量の増加と発汗期間の延長有り。今年の「汗明け」は
 12月の二週目。ちなみに、年内コート未着用は過去に記憶なし。

 ※汗明け=通勤電車の中でハンカチを使わなくなる日


■仕事

・入社29年にして初めて他部門に異動。部下に恵まれ順調。
 が、自分が役立っているのかどうか確信得られず。
・部門の性格上、以前に比べ役員の皆さんを前にした報告機会増加。
 が、緊張は全く感ぜず。異様に落ち着いている自分あり。
 緊張感で言えば、Rijn発表会の方が遥かに上。 


■ギター

・初めてオリジナル曲にチャレンジ。2曲完成。
・初めてオリジナル・アレンジにチャレンジ。1曲完成。
 自作、アレンジに今までと違う面白さを発見。反面、コピー曲の
 習得進まず反省。
・Rijn発表会で2回演奏。通算7回目。初出場からの皆勤は継続。
 が、緊張感は更に倍増。例年通り我を失う。且つ、大量発汗で
 お決まりの絵姿披露。


■今年ヘビーローテーションだった曲 *インスト除く

・いつもどこかで(玉置浩二)
・名前のない空を見上げて(玉置浩二version)
・Unchained Melody (Righteous Brothers)
・First of May (Bee Gees)
・The End of The World (Skeeter Davis)
・Don't Wanna Lose You(Gloria Estefan)

ヘタっていたのか、昔の曲、しかもバラードばかり。


■今年全編を通して一回も欠かさずに観たテレビドラマ

・ラスト・フレンズ
・風のガーデン

特に後者。脚本、キャスト、音楽、スタッフ、全てに質感高し。
こういうドラマを常に観たいのです。


■旅行

・春の花見/東北(角館・小岩井)
・夏休み/北海道(小樽・積丹・美瑛・富良野)
・秋の紅葉/東北(東北・八幡平)

どちらも見事。特に美瑛と積丹。美瑛は今まで何度も訪れているが
ジャガイモの開花時期は初めて。最高の満足感を得る。
積丹は初訪問。海の色とウニ丼は忘れられず。


■印象深い購入物

・デジタル一眼レフ。Canonの入門機 “Kiss X2”。
 趣味が確実に拡がった感有り。超興奮!
・EPSONのBTOパソコン。3台目のPC。自身保有で最高スペック。
 サクサク感に大満足。
・携帯電話。シャープ “SH706iw”。万歩計付き、健康管理の
 アプリ充実に誘われ購入も徐々に使用意識失速。 
・三脚×2台。購入したばかりの新品を美瑛のジャガイモ畑に
 置き忘れ。悔しくて、同じものを再度購入。


■家族

・母親の大腿骨骨折~手術入院。その後の介護認定。
 歩行リハビリに頑張る85歳の姿に教えられるもの有り。
 一連の期間中のカミサンの行動、キモチに頭上がらず。
 いくら感謝しても足りない。が、その割に未だ暴言多し。
・子供達の極めて順調な成長に安心感。会話の質に変化を感じる。
・正吉の散歩回数激減。今年、一番の反省点。
・夫婦喧嘩の回数激減。今年、一番の充実点。


■その他

・一名と友人関係解消。人間関係は難しい。50年以上生きてきても、
 未だ新しい発見があることに驚き。人間は奥深い生き物です。
・嬉しかったことはたくさん。楽しかったこともたくさん。
 ご逝去を除き、悲しかったことは全く無し。


Good・Bad、いずれも身になった一年だったように思う。
関わって頂いた全ての方に感謝!・・・です。

皆さん、よいお年をお迎えください。
ありがとうございました。

 

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40年前に前兆有り?

昔の写真を整理していて、面白いことに気付いた。


下に並べたのは、小学校高学年の頃の遠足や郊外学習の
スナップで、ほぼ40年前の写真。モノクロなのが時代を感じ
させて懐かしい。

そんな写真を眺めているうちに、ふと

「あぁ、やっぱりね。この時からすでに前兆があったんだなぁ」

・・・そう思わせる、我ながら興味深い共通 “画” を見つけた。

どの写真にも私が写っていますが、7枚全てに一貫している
固有のポイントがあるのです。


【Goroを探せ】 (笑)

CCF20081228_00000_1.jpg

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CCF20081228_00006_1.jpg

ここまで来ると私がほぼ特定できる?
下のスナップでセンターに写っている少年が私です。

CCF20081228_00007_1.jpg

周りの友達と明らかに違う。
いつでも、どこでも、何故か私は帽子を被っていない。
帽子を忘れたワケではありません。要するに、私は・・・

大の帽子嫌いなのである。(笑)

ただ、写真の頃は、単純に頭が窮屈で鬱陶しかったのだと思う。
汗っかきに帽子は最悪の組み合わせです。

脱いだ時に髪の毛がペタ~ッとなる
   ↓
頭の輪郭を崩される
   ↓
カッコ悪い

そうして敬遠しているうちに、帽子と組み合わせた“顔”が日常で
作られなくなり、結局・・・
 
『自分に帽子は似合わない』

いつのまにかそういう自覚が出来上がってしまった。


整理した中には帽子を被った写真もあったのです。
先生の右下の野球帽がワタシ。

CCF20081228_00000_2.jpg

ホントに似合っていない。もう、イヤ・・・。

帽子の種類に関係なく何を被ってもダメ。
特に、ヘルメットは最も似合いません。

大嫌いです、帽子系。

またひとつ勉強

今のうちに吐き出しておかないとおかしくなりそう。
だから、書いちゃおう。

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

他人と馴染もうとする気質をもっている人間だと
自分自身では思っている。
勿論不得手な人もいるが、それなりにストレスなく合わせられるし
基本的に全方位OK!、のタイプです。
それと、もともとプライドを損なわれたと感じるレベルが低いので、
揉め事があったとしても主張を貫き通すことはまず無い。
大抵は退いてしまうし、歳を重ねるごとにその傾向が強く
なっている自覚もある。

そんな生き方を続けているので、長く関わってきた
友人・知人といった類の人たちに嫌悪感をもつことは稀で、
「コイツには触れたくないな」と思ったのは、50年以上
生きてきた中で一人だけです。その人は、あまりに不誠実
だったので本気で嫌いになった。正直でないのが自分的には
とてもダメなのです。

最近、それを凌駕する嫌悪感を味あわせてくれる人物が現れた。

その人とは、それなりの信頼関係が出来ていると思っていた。
が、あることがきっかけですれ違いが始まり、溝が出来、スッキリ
しない状態が長く続いていた。ただ、それは片方だけが悪い
というものではなかったと思う。

自動車同士の事故における保険の適用と同じで、両者が
関わっているコミュニケーション・トラブルゆえ、負担割合に
10対0 はあり得ない。でも、私は、自分の10割負担でも
良いと思っていた。その代わり、自分が本来負担すべき
部分の謝罪を実のあるものにしたかったので、曖昧に
されていた(相手側の)真実を教えて欲しい、とお願いした。
それを把握した上で、きちんと謝ってから友人関係を閉じようと
考えていたのである。すると、相手からは、『分かった。
場を設定するので、こちらから連絡するまで待ってくれ』と、
返ってきた。

が、

結局、その場が設けられることは無かった。

それだけではない。
間違いなく原因の一端にあったであろう自らの非には
全く触れず、いきなり、それこそ唐突に、

「貴方の10割負担だよ。それと、貴方は作為をもって事故を
拡大しているでしょ。 これ以上、この件に絡むようなら訴えるよ」

こう言っているのと同義のことを、メールで一方的に通告
してきたのである。


怒りを飛び越し、呆れ、悲しくなった。


かつて、初めて本気で嫌悪した彼(か)の人は正直さが
感じられず、あまりに不誠実だった。同様に、今度の相手は
自らの問題点については振り返ることもなく、自分視点で
自分の事情だけを持ち出してきた。それに加え、すれちがいの
状況を詳しく把握していないであろう自分と近しい人間に
対処方法を判断してもらったと言う。その時伝えられた内容が、
決して客観的なものでなかろうことは簡単に想像できる。

正直で無いどころか、そこに “本人” はいないのです。
生身でコミュニケーションできない、向き合わない、自身だけで
解決できない、踏み込んでこない。こういうタイプの人間が
私としては徹底的にダメです。中身が空洞の張子(はりこ)の
人形と応答している感覚。“人間”を感じないのである。

言いたいことを言わない。そして、それが溝を作る原因の
最大の要素になっていることを自覚しない。
結果的に生じた自分の痛みは主張するが、気遣って溝に
落ちた相手の痛みは感じない。受け入れ難い人間です。


すれ違う前までは信頼関係があったのです。互いに感謝の
気持ちも持っていたはず。だから、自分は感謝の意を表した。
それなのに、相手からは「ありがとう」の言葉の端っこも
出てこなかった。こんな人間に何で関わってきたんだろうか?
長い間、相手を気遣ってきた自分が本当に悔やまれる。

相手は、きっとどこかで人間が変わってしまったのです。
そして、これからも同じように生きていくのでしょう。
他人事ながら、そういう人生って楽しいのかなぁ?と思う。
可哀想なヤツだなぁ、とも思う。


人を、「許せない」「受け入れられない」。
その許容ラインが変更されたことで、本気で嫌悪した
彼(か)の人を許せる気になってきた。(笑)
 


26年前のデートコース

金曜の晩、パイプオルガンの演奏を聴くために、カミサンと二人で関口に
ある東京カテドラル大聖堂まで出掛けた
こちらでは毎月一回、パイプオルガンの演奏を無料で楽しめる演奏会が
開かれます。

26年前、自分達がこの教会で挙式した当時にあったパイプオルガンは
既に無く、今は新しいオルガンに変わっている。
そういった意味では、初めて聴く生音(なまおと)です。

オルガン メディテーション -晩の祈りとオルガン音楽- 

こう銘うたれた演奏会は、オルガン演奏の合間に司祭と参会者が
祈りの詞(ことば)を発声して進行する内容だった。パイプオルガンの
演奏だけを何となく想像していたが、こちらは教会なので「祈り」は当然の
ことですね。けれども、宗教的な誘導があるわけでもなく、週末に心を
鎮められる場と考えれば、約一時間、厳かな空間に自らを置くことは良い
時間の使い方かと思います。

200802081956000.jpg

オルガンは祭壇と向かい合う位置にある。
純粋な演奏会として開催される場合は、椅子の向きをオルガン側に正対
させるようだが、通常は椅子に座る自分達の背後から音が聴こえてくる。
それでも「音」は素晴らしかった。この建物は、しっかりと音響設計された
構造になっている。そのせいか、音に包まれるような感覚です。

演目は三回に分けられていた。
演奏曲はそれなりに長い。

オルガン演奏の間、自分は瞑想していた。が、カミサンの方は上体が
“迷走” していた。祈りの詞(ことば)を発声していた時は良かったのだが、
演奏が始まって暫らくしてから横に目をやると、隣人はいつの間にか
気持ち良さそうに寝ていたのです。(笑)

しょうがないなぁ・・・   

ということで、全能の神に成り代わり

『急いで助けに来てください』 

たまたま発声したばかりの、この祈りの詞(ことば)に応えてみた。
 「迷い人」 の脚を蹴飛ばしてあげたのである。
合計三回の “アーメン”。(笑)


演奏会が終わり、食事に向かう。


26年前、この教会で挙式するにあたっては(二人共クリスチャンでない故)
事前に都合4回の結婚に関する講座(教義)へ揃って出席することが
義務付けられていた。それは丁度この時季の木曜日で、2時間の講座が
終了した後は寒い中を歩いて神楽坂方面に向かい、二人で食事をした。
残業が多い職種だったので平日に会えることは殆ど無く、講座に出席する
木曜日は半分デートみたいなものだった。

当時と同じように、椿山荘の前の坂道を下って行く。
途中、江戸川橋の交差点で


ここを渡って、あの商店街のお蕎麦屋さんで食事したよなぁ

私がこう言うと

へぇ~っ、そうだったっけ? 全然覚えてない

カミサンはあっけらかんとしている。

すかさず、

相変わらずお前はつまらないヤツだな。そういう思い出を
全く覚えていないでしょ。
 いつぞやの旅行も新婚旅行で行った場所を
わざわざ選んで行ったのに当時のロケーションを忘れていたし
、 
ホント、最低だよお前は


私がこう続けると、

イヤなことは全部忘れちゃうのよ

と、カミサンからとんでもない言葉が飛び出す。

イヤなことだと!?  どういう意味だ、それ!

直ぐに頭の中が一杯になっちゃうから忘れるようにしてる、ってことよ

言葉の遣い方も分らないのかよ。ホントに頭の悪いヤツだなぁ」 


などと、ボケた会話を繰り返す内に神楽坂まで歩いてしまった。


26年前と変わらないコースをなぞった週末の夜。
変わったのは、入るお店のグレードがちょこっと上がったことぐらい。

懐かしいような、昨日のことのような・・・。

痛いところだらけ

最近「痛い」ことが続いている。

まず、腰が痛い。
数年前ぎっくり腰を二度発症したことがあり、その辺りから慢性的な
腰痛を抱えているのだが、今は結構重症。寒いせいもあって痛みの
程度は最悪レベル。洗面台で屈めない。同じ姿勢が続けられない。
胡坐(あぐら)がかけない。まともにパンツを穿けない。(笑)
先週は起床して立ち上がるまで5分かかった。
マジ、「痛い」。

身体の部位で言うと肩も痛い。
五十肩ってやつなのかなぁ。左の肩が完全には上がらないのです。
かなり不便。通勤電車で吊革につかまるのがキツクなってきた。
着席している時、考えずに肘を着くと肩が固まってしまう。普通の姿勢に
戻ろうとすると肩に溜まった痛みが出てくる。これがかなり辛い。
やっぱりマジ、「痛い」。

十日ほど前に一万円を失った。
土曜の朝、財布の中を見て「何か足りない・・・」。
酔って帰った前日の夜中にコンビニで数万円引き出した。
が、何故か金額が不足している。コンビニで数百円の買い物をして、
その後はタクシーに乗って帰宅しただけ。タクシー内で気付かずに
落としたんだろうか。そんなに酔っていなかったのになぁ。
なんだか懐が「痛い」。

先週の土曜の晩、正吉に右の親指を強く噛まれた。
爪の付け根のところを久し振りに激しく噛みつかれた。
散歩途中のこと。道端のガムを口に入れたことに気付き、確認しようと
手を首輪に近づけた瞬間・・・ガブッ、とされて血が止まらず。
土曜の夜は痛くて眠れなかった。打撲に近い感覚も合わさって、
治るまでには暫く時間がかかりそう。爪に触れただけでも激痛。
ギターが弾けなくて「痛い」。

いろんな痛みがあちこちに。

期待に満ちた一年のスタートなのに、1月はずっと冴えなかった。
年末~年始の休みが長かったことで、キモチの切り替えが上手く出来ず
終わった年を引きずって新しい年に突入してしまったせいかしら。
自分自身に対する「締(し)め」とか「自戒」が欠けて引き起こした
痛さもあるのだ。

腰痛の大きな原因。体重を増加させている自分。
面倒見ることを疎かにした結果、正吉に逆襲された自分。
浪費する中でお金に無頓着になり、注意散漫になっている自分。

落ち度は自分にあり。

そう考えることで納得しなきゃいけない痛みなのかもしれない。
まず、キモチをしっかりさせて自分に厳しく。


そろそろ気合を入れないと。

特に体重・・・。(笑)


灯りを消さないように

少年の頃、青春ど真ん中の頃、結婚した頃、子供が生まれた頃。
嬉しかった時、楽しかった時、喜んだ時、幸せだった時。
打ちひしがれた時、辛かった時、怒った時、悔やんだ時、悲しかった時。

そういった場面で流れていた曲。
自分が唄ったり、口ずさんだりした曲。
心に沁み込みんでいる歌って誰にでもあると思う。
場面が強烈であればあるほど忘れられないものです。

自分にもそんな曲が幾つかある。

元々、私は音楽をそれほど熱心に聴く方ではありません。
加えて、今はインストのギター音楽を楽しむことが主体なので
歌詞のある曲(唄入り)はそれほど聴きません。
でも、昔からずっと好きな歌手も何人かいて、邦楽では玉置浩二さんが
お気に入りです。

私が玉置さんの楽曲に惹かれるのは、音楽から感じられる「叙情性」。
“花咲く土手に” という曲がありますが、この作品は、情景が心の中に
リアルに浮かび上がってきます。玉置さんの作品の中でも私が一番
好きな曲。「叙情性」を代表する名曲です。

それと、もう一つの魅力は「元気の素」を感じさせてくれるところ。
自分が弱っている時に元気付けられる。チカラをもらえる作品が多い。
その中に、やはり私の大好きな曲があります。タイトルは、

 “しあわせのランプ” 

 『人は幸せになるために生まれてきた』 

玉置さんのお母さんの言葉が曲のモチーフになっていると
聞いたことがあります。


透明なガラスの器の中に暖かい灯りが見える。ランプとはそういうもの。
人に置き換えると、どうなんだろう?

暗闇の中にいても感じられる、常に暖かい灯を燈してくれている人。
透き通ったガラス越しに見える灯りのように、裸の暖かいキモチが見える人。
そんな気遣いや思いやりの灯を消さずにいられる人。
傷んだ人の癒しのよりどころになれる人。

そんな人が周りにたくさんいたら幸せになれるだろう。
家族、友人、仲間、同僚。弱った時の自分は、周囲にいるランプのような
人たちに頼りたいと思う。


そして、それよりも・・・      

まず、自分が灯りを出し続けられる人間でありたいと思う。
そんなランプみたいな人間でありたいと思う。
目に入ろうが入るまいが、相手に関係のないところでも
自分の中では灯りを燈していたいと思う。
なかなか出来ないけれどもそうありたいと思う。


昨日、今日と一段と冷えてきた。
明日は明け方から雪が降るらしい。


“しあわせのランプ” 

体内時計が備わったかのように、寒く、雪が降りそうなこの時期を迎えると
聴いてしまう。ここ数日は何度も繰り返して聴きこんでいる。


ずっと灯りを消さないことぐらいは出来るのです。


大聖堂のパイプオルガン

私たち夫婦は1982年の4月に、
東京の目白にある 『東京カテドラル 聖マリア大聖堂』 という教会で
結婚式を挙げました。

二人ともキリスト教徒ではありません。が、調べてみると、信者でなくても
結婚式を受け付けてくれることが分り、親族以外も臨席が可能で、且つ、
雰囲気の良いことに魅力を感じて選んだのです。


正月、カミサンと長女の三人で初詣に出掛けた際、足を延ばして久し振りに
カテドラルに寄ってみた。今はフォーシーズンズホテルと言ったほうが分り
やすいかもしれない 『椿山荘』 の目の前。閑静な場所にあるこの教会は
東京地区のカトリックの大本山のような施設で、建築家の丹下健三さんが
設計した斬新な建造物としても有名です。東京オリンピックの開かれた
1964年に建てられ、既に40年以上経つというのに全く旧さは感じられない。

church.jpg 2008.1.6

教会の中に入りヴァージンロードの始まる位置に立ってみると、聖堂は
当時と変わることなく荘厳な雰囲気に満ちていた。

こうして新しい人生をスタートさせた場所に立ち、聖堂内に拡がる反響音、
それが作り上げる深く、厳かな空気を感じられる意味は大きい。
教会は常に開放されている。いつだって此処に来て当時に戻ることが
できるのです。この教会で結婚式を挙げられて良かったなぁ、と思う。

帰り掛けに目にした掲示物で、教会のパイプオルガンが2004年の
復活祭に合わせて新しく入れ替わったことを知った。
また、その時の過程はNHKがハイビジョン特集で番組にしてDVDにも
なっているらしい。

「是非見ておきたい」

そう思って早速通販でDVDを購入したが、これが素晴らしい内容だった。
パイプオルガンという楽器そのものの構造、歴史、カテドラルに誕生した
パイプオルガン
から表現される音の背景、などなど。中身を知ったことで、
新しいパイプオルガンの音を聴きたいキモチが強くなった。

カミサンが、「私たちと同じように、三人の子供のうち一人だけでもここで
結婚式を挙げられたらいいよね」 と言う。長女をここに連れていったのは
そんな意味合いもあるのです。

カミサンと立った同じ場所に今度は娘と二人で並び、花婿に引き渡す為に
ヴァージンロードを進む。そんな場面が近いかもしれない。

立場を変えて聴く新しいパイプオルガンの音。どんなキモチで聴くことに
なるんだろうか。


一人と言わず、三人ともここで式を挙げて欲しいなぁ。(笑)


年の終わりに「ごめんなさい」

この一年を振り返って。

50歳になったことを嬉しく感じたこと・銀婚式を迎えて互いに嬉しく思ったこと・
息子が志望の大学に入学出来たこと・家族が皆んな健康でいられたこと・
カミサンとあまり喧嘩をしなくなったこと・書いたブログが200本を越えたこと・
職場異動が新鮮な緊張感を与えてくれたこと・25回もライヴを楽しんだこと・
心に届けてもらえた音が多かったこと・ギターに触れるたびに楽しかったこと・
疎遠になっていた人とコミュニケーションが通じて嬉しかったこと

・・・などなど。

手に入れた莫大な金品は無い。ギラギラと目指すような目標を達成したワケ
でもありません。只、日常で普通のことを普通に感じられるようになっただけ。

でも、

いろいろなモノやキモチをちょっとずつたくさん手に入れられた。
振り返ってみると、ホントに良い年でした。

あ~ッ、シアワセな年でよかった!!

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

昨日まではそう思っていた。(笑)


が、昨晩のこと・・・


自分の発言が弱っている他人を更に傷つけてしまったようで
数人に囲まれてそのことをとりあげられ、私は周りの人間からひどく
責められている。

「軽率だぞ」
「人の気持ちを考えたことがあるのか」
「この人の身にもなってみろ」

周りから激しい糾弾の声が飛び交う。

そんなつもりは無かったので、私は本当のところを説明したいのだが、
その人は両手で耳を押えている。そうして、更に周りから責められているうち
私はとてつもなく悪いことをした気になってくる。どうしたら本当のことが
伝えられるのか? それが分からなくなって頭を抱えてしまう。
結局、私に言葉を投げられたその人は、だんだんと小さくなって消えて
いってしまった。


・・・今年見た最後の夢。(笑)


年越しでそのまま正月に引きずりそうなほどリアル。
新しい年を迎えようかという直前、一年のどん詰まり。
夢の中には戒められるべき最低の自分がいた。 


自分にとって大事な人に対しては、常に正直なキモチを出せる裸の自分で
ありたい、と思っている。でも、それがその人にとって良いこととは限らない。
受け止める側に視点が移れば、正直者が能天気な “厄介者” に変わるのも
簡単なことです。 


自己本位、且つ、自分視点では確かに良い年だったかもしれない。
反面、その裏側では知らず迷惑を掛けてしまったことも多いだろう。
昨晩の夢でそんなことを思い始めた。

だから・・・

今年、自分と関わってくれた全ての人たちに年が超える前に言っておこう。
 
    
まず 

  「ごめんなさい」 

次に

   「ありがとうございました」

そして・・・

  「良い年をお迎えください」


Goro


56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

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