昨日は達也の入学式。
入学式の予定が分った時、自分は別に行く気もなかったのであるが、カミサンは
気合も十分に「絶対に出席する」と宣言していた。彼女は“親として達也の門出を
見ておきたい”のである。
自分は? というと・・・
子どもが成長するにつれ、入学・卒業といった節目のイベントに“親として・・・”と
意識することがだんだんと薄れてきたような気がする。特に最終学府となっては
それが強い。自分固有の性格なのかもしれないが、高校入学の時には既に親が
来るのをひどく嫌がっていた。(笑) 『別に親が来てどうなるものでもないし・・・』
と、超ドライに思ってしまうのである。
とはいいながら、結局、昨日は私も出席した。それは入学先が自分の母校だった
からであって、“親として・・・”ではなく、久し振りに校歌を聴きたくなってカミサンに
付き合った。入学式をライヴ的に楽しみたくて出掛けたのである。出席の動機付けを
表現するならこうなる。(笑)
学生数がそれなりに多い大学であるため、会場は日本武道館である。これは自分の
入学時と変わっていない。
新入生の席はアリーナと一階席にあてがわれている。達也は「アリーナに座りたい
から早目に行く」と、かなり早く家を出て行った。自分は先に用事があったので、
カミサンとは武道館の入り口で待ち合わせにしていた。九段下の駅に着くと目の
前は凄まじい人ごみ。自分の時もこんなだったかなぁ・・・と、あまりの人の多さに
驚いた。
カミサンを待っている間、坂を上ってくる密集した人並みをずっと眺めていた。
新しいスーツを纏った新入生と父兄が一緒に進んでくる。この組み合わせが多い
ことに気付く。武道館をバックに写真を撮る人も多い。立ち止まると危険なため
撮影を諦めて閉式後に待ち合わせの約束をする家族もたくさんいる。家族一緒に
会場に向かい、式に出席し、一緒の写真を撮るのは普通のことであって、そこに
全く違和感を感じさせないご家族がたくさんいらっしゃった。少し遅れて到着した
カミサンもそうありたいと希望しているようで、日本武道館に向かう道すがら
「式が終わったら達也はどうするのかしら?」としきりに気にしている。
父兄席に座るとカミサンが「達也の学部はアリーナのあの辺りよ」と、私に教えて
くれる。自分は母校の校歌を聴きにきたのであって、達也がどこに座っていようと
構わないので適当に応答していた。すると(どうしても武道館の前でスーツ姿の
達也と写真を撮りたいのに)私に熱がないことを悟ったカミサンは、携帯で達也に
メールを送り始めた。(笑) 実は、二階席のかなり上の方に座った私たち夫婦の
周りの家族もカミサンと同じようであり、下の方を指差して「あのあたりかなぁ?」
などと嬉しそうに会話し、メールと通話を使って眼下にいる自分たちの子どもと
閉式後の行動のやりとりをしていた。
カミサンと周りの家族のそんな姿を見ているうちに『これが普通の親なんだろうなぁ』
と感じた瞬間、31年前の母親とのやりとりを想い出した。
当時、母親から「入学式はどうしたらいいの?」と訊かれて「別に出なくていいよ」と
アッサリ答えた覚えがある。結局、両親は出席しなかった。もう遅いけれど、今に
なって悪いことをしたなぁ、と思う。あの時、母親は息子の門出をきっと見届け
たかったに違いない。他人の価値観を自分で決めてしまったことが恥ずかしい。
子どもの成長と親の関わり方にはバランスが必要。父親と母親では微妙に感覚が
違うかもしれないが、まずは相手の立場や価値観を優先して考えてあげるべき。
それは親にとっても子どもにとっても同じなんだろうと思う。母親が着けなかった
父兄席に座り、自分がひどくアンフェアであるように感じてしまった。
先日達也は、通っていた高校で作成される「受験体験記」の提出を依頼された。
『文書をチェックしてくれ』というので校正をしていたら、中に“僕は最初から父親が
卒業した●●大学しか頭にありませんでした”と書かれた部分があって、そんな
ふうに見られていたことが親として少し嬉しかった。加えて、今回、達也は親が
式に出席することを拒否していた訳じゃない。31年前に自分の親に向いていた
アンフェアな自分と違い確実に進化しているようで、恥ずかしさが倍加される。
式が終わって達也からカミサンにメールで返信が届いた。
「昨日知り合った友達と食事して、そのままガイダンスに行く」
自分と同じ匂いを感じて少しホッとした。(笑)
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