遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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今週、月曜日の夜はカミサンと待ち合わせて
新丸ビル6階の『四川豆花飯荘(シセントウホァ)東京店』へ。
本店がシンガポールにある四川料理のチャイニーズレストランです。
5月に利用して以来、私は二度目の訪問になります。
料理の内容は基本的に四川ですが、
広東、上海、北京、そして東南アジアのテイストを加えた
新感覚の中国料理という趣き。
前回同様に今回もコースでオーダーしましたが、
特に定番の麻婆豆腐が抜群です。
「辛さ」というよりも「痺(しび)れる」感覚が堪りません。
また、麻婆豆腐に限らず、その他の料理も全品美味しく
同じ料金設定の有名なチャイニーズと比べたら
間違いなくコストパフォーマンスは高いと思います。
更に、
このお店には、
色々なポーズ(動きの型)でテーブル上の八宝茶のカップに
お湯を注いでくれる茶芸師さんがいて、そのパフォーマンスが有名です。
茶芸師は中国では国家資格だそうで、
所作と注入の美しさを見せられると、それも納得。
パフォーマンス見たさにお茶を何杯も飲んでしまうので
確実にお腹が苦しくなります。
美味しい料理に満足感も高く、おまけに、フォーチューンクッキーで
ラッキーをゲットしたことでカミサンも大変に喜んでおりました。
近いうちの再訪確実。
BSフジでドラマ「北の国から」の再放送が始まりました。
この先スペシャル編も放映されるでしょうが、
今は、毎週月曜日の22時から連続編(全24話)が流されていて、
現在、第三話まで回が進んでいます。
コアなファンでしか分らないと思いますが、
東京に逃げ出そうとした純が思い留まって麓郷に戻ったところです。(笑)
*
ということで、この機にマニアとして触れないワケにはいきません。
*
「北の国から」について個人的な思い入れを少し・・・。
今年は「北の国から」が放映されて30周年に当たります。
連続編は1981年10月~1982年3月に放送されました。
その後に続いたスペシャル編の8作を含めると、
シリーズ完結まで足掛け21年間放映されていた大長編です。
主人公の家族と他の主たる登場人物のキャスティングを
全く変えずにドラマを進めたことで、常に物語がリアル。
一貫して臨場感を保ち続けていたことが素晴らしい。
日本のテレビ史上でも特筆すべき番組の一つで、
正に名作ドラマだと思います。
1981年の秋、
私は就職して2年目で残業に明け暮れる毎日。
翌年4月に決まっていた結婚式を前に
プライベートでも結構ドタバタしていた時期でした。
そんな中で偶然第一話を目にしたように思います。
それが何回か見るうちに釘付けになり、
終いには夜10時に放送されるこのドラマが外せなくなりました。
当時は未だビデオが無く、オンタイムで視聴するしかなかったので
金曜日はとにかく必死に頑張って仕事を終わらせ、
開始時間に間に合うよう帰宅しました。
そして、毎週のように泣いていたのです。(笑)
ただ、このドラマに私が本当に嵌(はま)ったのは
スペシャル編の7作目、『98 時代』の頃です。
職場の部下に自称"純"なる「北の国から」マニアがいて、
酒の席でドラマの話題に花が咲いた時があり、そこで、
眠っていた引き出しの中身が一気にはじけてしまったのです。
それからは、
現地に行きたい気持ちが高じてロケ地巡りに励むようになり、
富良野を中心に上砂川、落石(根室)、帯広、羅臼、中標津など
北海道内各地に足を運びました。今でも北海道旅行を
常としているのですが、それは、その延長です。
息が詰まってちょっと落ち着きたいなぁ・・・と思った時は、
真っ先に富良野に向かいたくなります。
2002年のシリーズ終了後、何か形を残したくなり、
会社の仕事とは較べ物にならないくらい頑張って(笑)
2003年の7月に拙いホームページも立ち上げました。
その年の暮れに五夜連続でスペシャル編の再放送があった際は、
自分のお粗末なホームページにも最終日翌日には
1日で44,000人以上の訪問があり、このドラマの影響力に
あらためて驚かされたりもしました。
そんなこんなで、私はもう30年も「北の国から」に寄り添って
もらっているのですが、当然、思い入れを強くした理由があります。
上手く表現できませんが、それは、このドラマが自分のあり方や
家族との向き合い方を示唆してくれていたからです。
例えば、
・正直に謙虚に生きること
・無いものは自分で作ること
・無形の価値を背中で家族に伝えること
であったりしますが、
これらは全て自分に欠けているものです。
黒板五郎はそれを強烈に教えてくれます。
だからこのドラマに傾倒しました。
*
今週の月曜日、帰宅すると嫁いだ長女が遊びに来てい ました。
すると、娘が『●●(旦那の名前)が「北の国から」をちゃんと
見たいって言っているのよ』と、言うのです。
娘が父親のマニア振りを喧伝したせいなのか?
それとも婿殿自らが興味を持ったのか?
その辺りは良く分らないが、どっちでも良い。
再放送が始まった時期にこのドラマに婿殿が興味を持ったこと、
その巡り合わせが微妙に嬉しい。
娘の家ではBSが見れないので、夜、婿殿が迎えに来た時に
早速DVD全12巻のBOXセットを貸してあげた。
返却時には「スペシャル編も貸してください」って、
きっと言ってくるだろう。
こうして、黒板五郎主義のDNAが受け継がれていくのです。(笑)
早い夏休みを取り、26~28日で北海道へ行ってきました。
今回は長距離移動せず、知床に連泊して周辺地域を巡ってみた。
夏・冬(流氷)合わせ、知床にはもう六度目の訪問かと思います。
でも、一向に飽きない。何度でも行きたくなる。
もともと北海道全般にそうなんでしょうが、
動物、植物、景観など、この地域では他に増して
全てに原生感の強さを感じます。
そこに道東の魅力があるように思う。
今まで、知床は駆け足で回ることばかりだったので、
今回は腰を据えてじっくりと楽しむことにしました。
ポイントは二つあって、まず一つ目は・・・
■知床五湖のガイドツアー
知床五湖は今年から散策ルールが変わりました。
5月10日から7月31日の「ヒグマ活動期」は、
ヒグマ対処法や環境知識を習得している認定ガイドが同行しないと
五湖の散策が出来ないルールになりました。
有料、且つ、現地でレクチャーを受け、
写真のような立ち入り認定証の発行を得てからでないと
五湖を散策することはできません。
但し、予約制で最大10人のグループ単位(ルート周回内MAX80人)に
限定されるので、ゆっくりと回れます。
過去に一度、1湖~5湖の全てを回れた時がありました。
ただ、そんなことは稀で、
大概はヒグマの出没で散策禁止になることの方が多かった。
私たちのような遠方からの旅行者には、今回の新しいシステムは
却ってありがたい仕組みのように思います。
実際、通常1時間弱のコースを3時間近くかけて回りましたが、
中身の濃いガイドツアーに満足感が高かったです。
そして、二つ目は・・・
■ホエールウォッチング
知床半島を挟み、いわゆる知床(ウトロ)の反対側にある
羅臼町では、船からのホエールウォッチングを楽しめます。
生き物が相手なので100%の目撃を約束してくれるワケでは
ありませんが、クジラを見れる機会などそうそうありません。
やっぱり経験してみたいという気になる。
特に5月~6月はシャチの現れる確率も高く、
私はどちらかというと、そちらを楽しみに乗船しました。
また、日露中間ライン(実質的には国境線)付近まで船は進みます。
かなり近寄ってくる国後島など、景観を楽しむだけでも十分な
価値があります。
今回は、残念ながらミンククジラ数頭の観察に留まりましたが、
また、乗りたい気持ちになっております。
三日間で撮影した写真をアルバムにアップしましたので、
興味ありましたらご覧になってみてください。
デジブック 『 Scene -Ⅳ 』
※当ブログ左側の【56's Theater】からでも観ることが出来ます。
乗り換え駅で階段を下りる途中、
斜め前を行く高校生のYシャツの奥襟に
サイズ表示のシールが付いているのを見つけた。
初めて着る新しいシャツで、はがし忘れたのでしょう。
こういうことはありがちです。
よく見かけるのはクリーニング屋さんの識別タグとか
新品のジャケットやコートの仮留め糸を取り忘れている人だろうか。
でも、その程度で収まれば、
気付いた時の本人の恥ずかしさも知れたものです。
ダメージは少ない。
だが、
「そりゃ、気付かされた本人は絶望的な心境に陥っただろうなぁ・・・」
と、想像できるほどの、
そんなとんでもない場面に遭遇した経験をもつ会社の先輩から、
その時の面白い話を聞いたことがある。
・
もう20年ぐらい前のことです。
自分が目にしたワケではありませんが、
話をしてくれたその先輩が当事者として見たことですから、
決して作り話ではありません。
教えてくれた先輩をAさん、やらかしちゃった恥ずかしい人を
Bさんとしましょうか。BさんはAさんの後輩で、私にとっては
Aさん同様先輩にあたります。
朝、出社した二人は社内のコーヒースタンドで一緒になり、
モーニングコーヒーを注文しました。
ここから「とんでもない場面」が始まります。
コーヒーが出てくるのを待つ間、談笑を始めてすぐに
AさんはBさんの身なりに違和感を覚えます。
ネクタイを締めたYシャツの襟元から、首筋の肌色と似た色の
異物がのぞいていることに気付いたのです。
ん?
あれ?
あれれっっ!?
え~っっ!!!
やっぱりそうだよなぁ・・・。
あれっぽいよなぁ・・・。
どうしよう?
Bさんに伝えてあげるべきか、そのまま放っておくか?
Aさんは悩んだ挙句、結局、言葉を選んで遠まわしに
言ってあげたそうです。
『おい、Yシャツの襟から何か出てるぞ』
・
・
鏡を見れば自分の姿も分ったはずですが、
Bさんにそんな時間的余裕はなかったのでしょう。
多分・・・
前夜の徹夜作業がたたり、
Bさんは不覚にも寝坊してしまったのです。
目覚めた瞬間から猛ダッシュ状態で、
たいそう焦って出勤の支度をしたんだろうと思われます。
穴の左右ををまちがえて足を通し、「何やってんだよ!」と
自分に叫びながらパンツを穿き直す。
下着に首を入れたと思ったら、今度は前後逆。
そんなことを繰り返し、顔を洗う暇もなく飛び出してきたはずです。
その際、順番に服を着込んでいった時に、前夜、
自分が脱いだ衣服の近くにあったモノを巻き込んでしまったのでしょう。
そんな運の悪い日は誰にでもある。
ただ、その朝、出社して直ぐに仲の良いAさんと出会えたのは
Bさんにしてみればツキがあったことになる。
もし、コーヒースタンドで会わなかったら、その後
Bさんにはタイヘンな一日が待っていただろう。
襟元の異物が発見されるタイミング次第では大珍事に、
いや、本人にとっては大惨事になっていたことは間違いない。
上司との会議の席上か、はたまた、
得意先にクレームの謝罪をしている最中になるのか、
危ない場面が次から次へと襲ってきたと思われる。
『あれ!? B君、首に何か挟まってるよ』
オフィシャルな場でそんな指摘を受けることなく
朝イチで重大な局面を乗り切れたのは、
Bさんにとって不幸中の幸いだったはずだ。
・
・
Aさんから指摘を受けたBさんは首元に手をやってみる。
Yシャツの下に何かを入れた覚えなどない本人にしてみれば、
全く見当がつかない。
ましてや、あごの下は自分からは死角になっているので
それが何か分からないまま、Bさんは半信半疑で
飛び出していた異物の先端をつまみ出してみた。
でも、なかなか途切れない。それはとにかく長かったのです。
手品師の如く、両手を使って手繰(たぐ)るように引っ張り出した後、
それが公衆の面前で、ましてや、会社の中などでは
絶対に出てきていけないモノであることに
Bさんはようやく気付いた様子だったらしい。
最後に薔薇の花や白鳩が出てきたのならともかく、
正体を現したのは、誰のものかは存じ上げないが、
ご婦人のパンストだったのです。
だらしなく二股で垂れ下がるパンストを呆然と眺め
Bさんはさぞかし絶望的なキモチになったことだろう。
・
他人には笑える珍事。でも、本人には惨事ということ。
ちなみに、Bさんが誰であるかは絶対に言えない。(笑)
私の勤務先では社内報を月刊で発行しています。
最新の6月号が先日配布されました。
新入社員が仮配置を終え、6月1日付で正式配属されるので、
例年、ルーキー全員が6月号の社内報で紹介されます。
各人が学生時代のモノクロ写真と共に
簡単に自己紹介をする体裁になっています。
そのうちの何人かは表紙にも登場し、
そちらには入社後に撮ったカラーのスナップが使われます。
今回は長男の達也も登場してくるため、私としては
例年とは多少違う感覚で誌面を眺めることになりました。
達也はモノクロ頁とカラー表紙の両方に載っていましたが、
どちらも殊(こと)のほか写りの良い写真で爽やか。
特に表紙の方はスーツ姿のせいか、実体はともかく、
しっかりしたイケメンのフレッシュマンに見える。
今回だけは一応カミサンに見せておいた方が良いかと思い、
珍しく社内報を自宅に持ち帰ってみた。
「達也が出てるから社内報を持ってきたよ」
そう言うと、
カミサンは私から奪うようにして冊子を取りあげ、
表紙もまともに見ずに、いきなり本文頁を開いた。
闇雲に開いた頁に目線は走らせているが、
そこは23年3月期の業績内容を報告している頁だ。
カミサンは売上高や利益数字の解説文の隙間に
自分の息子を見つけようとしているが、そこにいるはずがない。
「ほら、ここだよ。あと、表紙にも出てるから」
そう、教えてあげた。
すると、カミサンは文章を読むこともなく、達也の写真を見て
『これ、いいじゃない。ちょーいいわよ、これ。
凄くいいっ。ねぇ、どう思う。いいわよね』
と、あっという間に反応してきた。(笑)
自分が写っているワケでもないのに『いい』を連発し、
私にも共有するよう持ちかけてくる。
見せたら絶対にこうなるだろうと想像していた通りの展開。
分かりやすい興奮ぶりに笑ってしまう。
まぁ、母親としては、会社内の息子の様子が気になるし、
どんな些細なことでも知りたいのだろう。
それが垣間見れたことで、嬉しくてしょうがないのです。
・
実は、息子の名前が社内報に出るのは二回目だ。
本人が誕生した際にも、「お誕生おめでとう」のコーナーに
出ているのです。その時の社内報はもう手元にないけれど
ここまで22年という時間が流れているわけで、同じ会社に
勤務することになった今、自分としてはそっちの方が感慨深い。
・
自分が産んだ息子の写りの良さに納得し、
ちょっと落ち着いた様子のカミサンが私に質問する。
『どうなの評判は? 周りから何か言われたりする?』
「残念ながら、部外者に会社内のことは教えられない」
そう答えておいた。(笑)