遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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昨日、帰宅途中の電車内で面白い場面に遭遇した。
もう下車駅に着こうかという時、座席でスマホをいじっていると
左前方で人影が動いた気配を感じた。
顔を上げてそちらに目を向けると、ドアから入ってすぐ先のスペース、
車両の中央で中年のバーコードおじさんが上半身を大きく捻転している。
見たところ、どうやらおじさんには虫がまとわりついており、
それを避けるために身体を動かしているようだった。
おじさんが太っていたせいでそう見えたのかもしれないが、
私には「動かす」というよりも「踊っている」ようにしか見えず、
虫から逃げ惑う切羽詰った表情も加わり、
それは、半ばトランス状態かと思わせるほどの激しいパフォーマンスだった。
その動きの様から、私はてっきりスズメバチのような
かなり危険な虫がおじさんに絡んでいるのだろうと推測した。
が、
目を凝らして見ると、それはホバリングしておらず、
少なくとも蜂のような危ない虫ではなさそうであった。
ただ、おじさんの様子からして、危険ではないが相当に大きな
得体の知れない虫だろうと想像していた私は、
一瞬、壁に止まったその虫を見て思わず吹き出した。
おじさんを踊らせていたのは、ただの「蛾」だったのだ。
それも決して大きくない、ちっちゃな蛾である。
脅威を感じさせないモスラとそれに逃げ惑うおじさんの動きには
見事なコントラストが付いており、当然の如く乗客の視線が集まった結果、
車両の中央は一転して立派なセンターステージと化した。
モスラが再び飛び立ち、おじさんに向かう。
おぉ!
乗客がおじさんに注目する中、
ステージではちょっとした変化が起こり始めていた。
おじさんの周囲には他に四人の乗客が立っていたのだが、
驚いたことに、その人たちもおじさんに合わせて動き出したのである。
多分それは、(おじさんの動きと表情から)ひどく危険なものが
自分の近くで飛んでいると瞬間的に誤った想像をした結果の、
自然な行動だったのだろうが、逆にその動き方が微妙に不自然。
人間の行動は直前に見たものを真似しやすいのだろうか?
ちょっと捻ればよいものを、他の四人もおじさん同様の
かなり激しい円周運動に突入したのである。
ステージは一層賑やかになり、おじさんを中心に据えた五人組は
なんてことないちっぽけな蛾に翻弄され、
まるでEXILE(エグザイル)のようにシンクロして踊り始めた。
なんだか、とても凄いシーンになっていた。
時間にしてほぼ一分間ほどのステージだったと思う。
電車は速度を緩め、駅に進入し、佳境の極みで停車した。
おじさんは通勤カバンを乙女チックに両手で抱きしめ、
今にも泣き出しそうな表情で隙間を突き破るように
ダンサーの輪の中心から飛び出した。
ドアまでの距離はそのまま花道となり、
小走りでホームに降り立ったおじさんの背中からは
「もうイヤ~ッッ!」という心の叫びが聞こえたような気がした。
ステージを退いた後も蛾がついてきた感触があったのか、
おじさんはホーム上でも何度か首をクネクネ、肩をカクカクしていた。
あのおじさん、相当の虫嫌いだったんだろうなぁ。
まさに『Choo Choo TRAIN』
こういう電車に乗車できた日はとても得した気分になれる。
東日本大震災と台風12号。
自然の脅威に晒(さら)されている今年の日本。
大きな自然災害を目(ま)の当たりにして
最近、自分なりに感じたことがある。
・
・
日本という国は凄い と、思うのです。
・
・
地震しかり、台風しかり、洪水しかり。
自然災害は今年になって初めて起きたわけではない。
日本に住んでいる人なら、個人の一生の中では何らかの
自然災害を直接的に体験するだろうし、間接的にも見聞きする。
また、連綿と語り継がれてきた過去の被災事実から、
客観的な知識も取り込んでいる。大げさではなく、この国に暮らす
ほとんどの人は危険と隣り合わせの土地に住んでいることを認識し、
被災の可能性を自覚しながら暮らしていると思う。
で、あるならば、
津波や洪水に繰り返し襲われる地域や
周期的に大地震の被害に見舞われる地域に住む人は、
命の保障のために十分な安全を確保したいと考えるのが普通だ。
少しでも危険性の低い地域に移り住むという選択に
落ち着くのが自明の理であるはず。
ところが現実的にはそんなことにならず、
同じところに留まるのである。
どうしてなんだろう?
平時の暮らしやすい生活には地理的条件も関わる。
生活に適する平野部がこの国の中では限られているから
そうせざるを得ない背景もある。また、生まれ育った場所に
戻りたいと思うのは、人間として当然の心情だ。
が、そんな事情よりも、日本人はそもそも
災害に対して知恵で対処しようとする気質を
DNAとして根本に持っているのではないだろうか。
何度同じ被害に遭おうとも、日本人はその都度立ち上がり、
真剣に考え、再び襲ってくるであろう次の災害に対向する。
家具に転倒防止を施す。
大量の土嚢を用意する。
津波からの避難にランドマークとして神社を置く。
ハザードマップを作る。
巨大な防波堤を造る。
建築物に免震構造を組み込む。
巨大地震発生を直前で知らせ、寸前の数秒を生かそうとする。
地震の発生を感知して新幹線を自動停止させる。
地震予測の技術を進化させる。
家庭内の小さな備えから、先進的なシステム構築まで
皆んながあらゆることを考える。
日本人は自然災害で全てを失い「無」になっても、
それを知恵で克服して新しく造り直し、
将来に起こりえる損害を減らすために方策を講じる。
大陸的な論理では理解不能だろう。
でも、ここは島国であって逃げ場は無いことを誰もが理解している。
だからこそ知恵を使って危険な島に住み続けてきたのだ。
地盤が動こうが、土手が決壊しようが、田畑が埋没しようが、
そこから逃げられないことを認めた上で災害に向き合い、進歩する。
・
・
ゆえに、日本人は凄い と、思うのです。
・
・
多くの犠牲者を出した災害から気付かせてもらうなんて
全くもって不謹慎かもしれないが、
最近、何か、その民族気質は世界中のどの国にも負けない
とても素晴らしいものであり、
日本人として日本に生まれたことは
とてもありがたいことなんだと思えてきたのです。
漠然とそんな気持ちになっていたところ、
タイミングよく興味深い記事を読んだ。
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■YOMIURI ONLINE 9月3日
東日本大震災を機に日本国籍の取得を決意し、
1日、成田に到着したドナルド・キーン米コロンビア大名誉教授(89)が
2日、東京・北区の自宅で読売新聞のインタビューに応じた。
「東北は必ず、復興する」。そう信じる理由などを語った。
3月11日直後は、ニューヨークでテレビ画面を通じて「黒い津波」の
脅威に打ちのめされた。しかし、「家が流されても取り乱さず、
人を思いやる日本人の姿を見て誇りがわき上がった。
私から日本をとったら何も残らない。
日本人として残りの人生を生きたい、と強く思いました」。
大地震、台風、洪水。災害の多い日本では、「すべては移り変わる」という
仏教的な無常観が根づいているが、
「不思議なことに、和歌や物語には古来、地震や津波がほとんど出てこない。
自然の無慈悲を嘆いて廃虚のまま放っておかないで、
何度でもそれまで以上のものを立て直してきた。それが日本人です」。
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読んですっきりした。そう、キーンさんの言う「誇り」です。
正にこういうことなんだと共感した。