去年の6月から始めたこのブログも、いつのまにか今回で100本目になりました。正直、自分
でも少しビックリしている。昔から自分は長続きしない性格だし、キモチが切れるのとネタが
尽きるのとどっちが先になるのか? なんて心配もしていたが、毎日生活しているといろいろな
ことが起きるし結構書けるものです。(笑)
考えてみると、ブログやmixiみたいなSNSの日記も、みんな何で書くのでしょうか?客観的な
ことを告知するだけとは限らないし、ある意味私小説的な発信もする訳だしね。不思議な行動
です。書いてみて分かるのは、自分の中には強い自己発信願望、あるいは存在を他者に認知
させたいという欲求があって(ある意味電信柱におしっこをする犬のマーキングに似ているとも
言えるが)多分それは深層にある寂しさを解消する為であり、一人じゃ生きられない人間の証
なのだろうと思えます。言い換えれば・・・
・自分の方を向いてもらいたい
・自分自身を分かってもらいたい
・自分の思ったことを伝えて共有してもらいたい
こんな心理だと思うのですが、反面、その全ては知られたくないという面も併せもっており、
人間は(自分だけかなぁ・・・?)随分と勝手なものだとも言える。実際、自分はなるべく裸の
キモチで書くようにしているが、結果としての文章は“紐だけでできたTバックのパンツ”を履い
ているようでもあり、肝心なところで素っ裸になれない。素っ裸になった時は卑怯にも、人目に
つかなくなった頃にそっとアップしたりしているのです。(笑)
で、そもそも何で書き始めたかというと自分なりの理由があって、きっかけはこれ・・・。
この黒板五郎の遺言状に触発されたから。(笑)
自分の葬儀の場で遺産を巡って肉親の大喧嘩が始まるような、そんな裕福な暮らし方をして
みたいとも思うが悲しいかな現実は、遺言として金銭的・物理的に記載できる物は殆ど無い。
これからも相当な悪いことをするか、余程のくじ運を掴むか、そうでもしない限り、それは変わ
らないだろう。となると、残してあげられる物が無いのも寂しいなぁ・・・こう思うところだが、
どっこい無形の財産はそれなりにたっぷりと保有していることに気付いた。「自分のキモチや
生き方」がそれです。それほど立派な生き方をしている訳でもないけれど、素っ裸の自分を
遺言に残すっていうのも必要じゃありませんかね。
その点、今はとても便利です。ブログに書き綴っていけば自分の「キモチ」や「足跡」は確実に
レコードされる。この世を去った後にカミサンや子どもたちが読んでくれれば、立派な「遺言」に
なると思うのです。だから・・・という訳ではないが、今、読まれてしまっては意味が無くなるので
このブログのURL、実は家族には教えていない。(笑) 私が世を去った後に、笑うなり泣くなり、
大いに懐かしがってもらう予定です。なので、私が今一番恐れているのは自分の死後、訳の
分からない口座引き落としに目をつけられてこのブログのIDを解約されること。あっさりやりそう
だよなぁ、カミサン・・・。
『遺言にはブログのURLを先ず記載。遺産の表記よりもその保全を優先!』
重要なポイントです。(笑)
“形になっていないモノを形にする作業”・・・自分の加齢と共に重要度を増しているように
感じます。五郎のように、お金よりも大事なものを残していければいいな、と思う。まぁ、
それだけの人間になれないとダメなんでしょうが・・・。
(死ぬまでに)こちらが間に合わないと遺言の効力も無くなったりして!?
そうならないように精進する方が先かぁ。(笑)
タイヘン・・・。