何だか歩きたかったのです。お月さまがとても綺麗でした。「月」は家に向かう自分の後ろ
側にあって、30分の道中、何度も立ち止まって振り返り、まぁ~るい光を見上げた。
今日久し振りにある友人と会話する時間をもった。というよりも、もらったというのが正しいか。
この友人に起きたアクシデントに気を遣う内に自分がヘタり、胸の中でモヤっとした状態が
続いて、逆に友人に要らぬ心配をさせてしまっていた。約三ヶ月、言葉を交わしたのは僅か。
メールを介するとどうしてもすれ違ってしまう。それは分かっていたけれど、言葉を発するのが
恐くてどうしても構えてしまう。今日会話をして、胸の中で固まっていた得体の知れないモノが
凄いスピードで解消していくのが分かった。歩きたいと思ったのは、自分の気持ちが軽くなった
のと、友人の本当の姿に触れられたこと、何よりもキモチが見えて楽になったから。
三ヶ月前、この友人のアクシデントにキモチが凹み、深夜に正吉と散歩に出るたびに真冬の
空を見上げていた。すると、身体の中から深いため息が自然と出てくる。それが出し切られると
今度は涙が流れ出る。そんな場面が一週間続いた。あの時、自分が見つめていたのは闇の中、
遥か遠くで光る「星」だった。三ヶ月前だって空には同じように「月」も上がっていたはずなのに、
『全く視界に入っていなかったなぁ・・・』と、今になって気づいた。
沈んだキモチは心の奥底に自分をどんどん引きずり落とし込む訳で、当時、それは“悲しみ”と
いう一点に向かって行った。誰でもいい、何でもいい・・・。虚しさを分かって欲しくて凝視する
先に「星」があったのだろう。不思議なもので、平静を取り戻した今日の自分は、手が届きそうな
ところで柔らかく光る「月」に目が向かった。
3月のある日、友人の顔をきちんと見れなかったことを悔やみ、そこで自分の“冬”を終わらせた
はずだったのに上手くいかなかった。逆に今日、自分は、心配していた当の友人に救われる
ことになった。俺は弱っちくて情けないなぁ、と思う。あの日からここまで友人に長い間迷惑を
かけ続けていたことを恥じる。
でも、良かった・・・。
友人はもう大丈夫。自分のことはともかく、それだけで十分。
家に向かう手前で公園を抜けていく。1月、この公園で空を見上げて泣いていた自分は、結局
三ヵ月後の今日もこの公園で涙をこぼした。悲しい涙、嬉しい涙、理由は違うけれど、これで
やっと自分の中の長かった冬が終わったような気がする。
1月のあの日、融けずに残った雪はそのまま自分の心の中で固まった。でも今日、雪は一気に
融けてなくなりました。公園の周回道路には散った桜の花びらが雪にとって代わっている。
ホントに長かったんだなぁ・・・。
お月さまのひかり、明るい・・・。
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