忍者ブログ

Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

カテゴリー「家族」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


節電を実感した人

豪雨だった金曜日は帰りに駅でカミサンと待ち合わせをして、
私鉄に乗り換えず、タクシーで家まで帰った。
その時の車内でのやりとり。

※ H:ワタクシ  W:カミサン

W:今はどこもちゃんと節電してるよね。
H:そうだな。
W:この辺りはこの時間でも、もう結構暗くしちゃうみたいだね。
H:そうかぁ?
W:ほら、あのロイヤルホストだって、あんなに暗くなかったでしょ。

    カミサンに言われて目を向けたが車は進んでおり
    私の位置からはロイホを後部の窓越しに見る格好になった。
    いつもと何ら変わりなく見える。

H:節電って言うほど節電してないんじゃないの?
W:そんなことないよ。ほら、みんな、どの店も暗いもん。

    あぁ・・・。
    なるほどね。
    そういうことか。

H:そう言われてみれば暗く見えるワ。
W:でしょ。
H:確かに。
W:ほら、あのラーメン屋も暗いし。
H:あぁ、そうだね。
W:ずいぶん徹底してるよね。
H:っていうか、全体的に窓が暗いんだよ。
W:そう、どの店も窓がみんな暗いのよ。
H:じゃ、なくて。
W:何?
H:お前の目の前が暗いんだよ。
W:ん?
H:その窓がブラックスモークだっていうこと。
W:へ?

カミサンのこのへんの能力には目を見張るものがある。
PR

部外者には教えられない

私の勤務先では社内報を月刊で発行しています。
最新の6月号が先日配布されました。
新入社員が仮配置を終え、6月1日付で正式配属されるので、
例年、ルーキー全員が6月号の社内報で紹介されます。

各人が学生時代のモノクロ写真と共に
簡単に自己紹介をする体裁になっています。
そのうちの何人かは表紙にも登場し、
そちらには入社後に撮ったカラーのスナップが使われます。
今回は長男の達也も登場してくるため、私としては
例年とは多少違う感覚で誌面を眺めることになりました。

達也はモノクロ頁とカラー表紙の両方に載っていましたが、
どちらも殊(こと)のほか写りの良い写真で爽やか。
特に表紙の方はスーツ姿のせいか、実体はともかく、
しっかりしたイケメンのフレッシュマンに見える。

今回だけは一応カミサンに見せておいた方が良いかと思い、
珍しく社内報を自宅に持ち帰ってみた。

「達也が出てるから社内報を持ってきたよ」

そう言うと、

カミサンは私から奪うようにして冊子を取りあげ、
表紙もまともに見ずに、いきなり本文頁を開いた。
闇雲に開いた頁に目線は走らせているが、
そこは23年3月期の業績内容を報告している頁だ。
カミサンは売上高や利益数字の解説文の隙間に
自分の息子を見つけようとしているが、そこにいるはずがない。

「ほら、ここだよ。あと、表紙にも出てるから」

そう、教えてあげた。
すると、カミサンは文章を読むこともなく、達也の写真を見て

『これ、いいじゃない。ちょーいいわよ、これ。
 凄くいいっ。ねぇ、どう思う。いいわよね』

と、あっという間に反応してきた。(笑)
自分が写っているワケでもないのに『いい』を連発し、
私にも共有するよう持ちかけてくる。
見せたら絶対にこうなるだろうと想像していた通りの展開。
分かりやすい興奮ぶりに笑ってしまう。
まぁ、母親としては、会社内の息子の様子が気になるし、
どんな些細なことでも知りたいのだろう。
それが垣間見れたことで、嬉しくてしょうがないのです。

   ・

実は、息子の名前が社内報に出るのは二回目だ。
本人が誕生した際にも、「お誕生おめでとう」のコーナーに
出ているのです。その時の社内報はもう手元にないけれど
ここまで22年という時間が流れているわけで、同じ会社に
勤務することになった今、自分としてはそっちの方が感慨深い。

   ・

自分が産んだ息子の写りの良さに納得し、
ちょっと落ち着いた様子のカミサンが私に質問する。

『どうなの評判は? 周りから何か言われたりする?』

「残念ながら、部外者に会社内のことは教えられない」

そう答えておいた。(笑)


四六時中社内会議

本当にこれだけで良いのか?(笑)
217369_107632385989437_100002280294761_74592_6698107_n.jpg
社会人ルーキーである長男は、
毎朝、玄関の張り紙をチェックしてから家を出ます。

   ・

昨年の就活シーズンの際に書きましたが、
複数の選択肢を持っていた中で、
長男は、何故か私の勤務先に入社することを決めてしまいました。
たいへんな就職難の時代です。
職に就いたことを単純に喜びながら、反面、
私の普段の生活に会社の空気が充満することも気になりました。
何しろ、どちらかが会社を辞めるまで
四六時中同僚が近くにいるわけです。
私は、会社“命!”・・・ という人ではありませんし、
これはちょっと辛いのです。(笑)

で、いざ毎日が始まってみると、
当初の想像以上に気にしてしまう自分がいることに気付きます。
想像以上になったのは、同僚であり、且つ、
やはり、それ以上に父親であるからでしょう。

そして、昨日はとても気になる日でした。

先週までの集合研修期間を終え、
昨日は各人の仮配置部門が決まる日だったのです。
ドラフト会議の結果を待つ野球選手の心境と同じで、
この日、同期入社の誰もがドキドキしながら運命の宣告を受けます。
「仮」 とはいいながら、6月1日の正式配属先が動くことはありません。
よって、ルーキーにしてみれば極めて重大なことなので、
本人の意志を確認する機会も事前に設けられます。
100%叶う訳ではありませんが、
そこで希望を申告することができます。
実は、その時のやりとりを聞いてちょっと心配していました。

と、言うのも

その場では第一希望だけ返答すれば良いものを、
『第二希望はありますか?』 という人事担当者の質問に
本人は第二希望の事業部門を加えてしまったようなのです。

志望時と入社後で興味を惹かれる事業部門が変化することは
不思議ではありません。実際、本人の志望は変わっていました。
ところが本人は、

志望時に言ったことを簡単に翻すのはいけないことなのでは?

そう考えてしまったようなのです。
正直者というか、融通が利かないというか、律儀というか、
結局、父親と違って真面目なんですね。(笑)

その話を聞いて嫌な予感を覚えたのですが、
案の定、第二希望の事業部門に仮配置されてしまったようです。
本人は、正直落ち込んでおりました。

   ・

31年前、
同じように自分も第一希望の部門には配置されませんでした。
分かった瞬間、当時の自分も同じように落ち込みましたが、
それでやる気を失うこともありませんでした。
そもそも、ルーキーの時は毎日、毎日、覚えることばかりで
他に気を回す余裕なんて無いし、
そうしているうちに仕事が段々面白くなってきちゃうのです。

   ・

肝心なのは 「配置先」 じゃなくて
仕事を通じて自分を磨いていくことだよ。
そうじゃなきゃ、仕事は面白くない。
今は何もわからないんだから、
目の前のことを一生懸命やり続ければ良いのさ。
『結果的に第一希望じゃないところに配置されて良かった』
俺がそう感じたように、後年、お前もそうなるから安心しろ。

長男にはそんなことを伝えたくて、
昨日は寝る前に二人で暫く会社の話をした。

「まぁ、今日だけは落ち込ませてよ」

部屋に戻る間際、苦笑いしながら長男が言った
このセリフについ笑ってしまったのだが、
会社の空気を常にまとわっているにしても、
こういう “社内会議” 自体は結構面白いかも? と、思えてきた。(笑)
 


誰にも見せないでよ

昼食は会社の前にあるコンビニで購入するのが日常だったが、
震災が起きてから買占め騒ぎや生産停止などで
食べものの入手が難しくなり、ちょっと困ってしまった。
会社の食堂を使えば済むことなんだけど、
提供される料理がどうしても私のお口に合わず(笑)、
もうずっと利用していないのです。
今更使う気にもなりませんし、
どうしようかナ? と、考えていたところ

「貴方もお弁当にしちゃえば? 作ってあげるよ」

と、カミサンが言うのです。

彼女は毎日お弁当を持っていくので
ひとつ余計に作ったとしても然程手間は掛かりません。

それもいいなぁ。

ということで、有難い申し出を受けることにした。
震災の翌週から切り替え、今はずっとお弁当を持参しています。

お弁当箱はこれ。

DSC_0028_edit0.jpg

他に無かったから構わず使っているけど、
これ、本当は幼児用なんでしょうか?(笑)

お弁当を昼食にするのは38年も前の高校1年生の時以来。
当時、入学して数日経った頃のことです。
フタを開けた瞬間に貧相なおかずを目にした自分は
作ってくれた母親のことを思いやることもなく、帰宅してすぐに

『ヒルメシは明日からお金で頂戴』

そう言ってしまった。

裕福じゃなかったし、家計を切り詰めていた母親は
お金を掛けないで済むようお弁当にしていたというのに、
何てひどい仕打ちをする息子だったんだろう。
本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。
今も、それを思い出して痛くなる自分がいるのです。

数日前、カミサンがご飯とおかずのボックスを取り違え、
中身を逆に詰めてしまったことがあった。本人は、

「あれ~ッ!!」

と、気付いて入れ換えたのだが、
見た目が崩れて綺麗に収まらなくなったのを気にしたのか、

「誰にも見せないでよ」

と、念押しされた。(笑)


そういえば、恩知らずだった高校生の頃、お弁当を渡されるたびに
母親がそのセリフを言っていたことを思い出す。
見せて欲しくないという理由は各々で違うけれども、
言いたくなるキモチはどちらも同じだろう。
肝心なのは作ってもらっている側、私の受け止めです。


はい、はい、見せませんとも。
ちっとも恥ずかしくないですから。

毎日、感謝し、美味しく、少しずつ噛み締めて食べておりますよ。


砂時計を見て思ったこと

3分の砂時計を毎日使っている。
カップめん用ではない。(笑)

前々回に書きましたが、
先日、母親の眼(左右両眼)の白内障手術が終わりました。
術後、かなりヘビーになったのが目薬の点眼です。
主に、患部への抗菌が目的で、
最低一ヶ月(状況により二ヶ月)の間、ずっと続けます。
毎日、朝・昼・夕方・就寝前の4回、
朝・昼・夕方は四種類、就寝前は五種類の目薬を3分間隔で注します。
種類が多くて間隔を忘れそうなので、
時間を測るのに便利な砂時計を買いました。

点眼には決め事があって、

・手を清潔に保つこと。
・清浄綿で下まぶた周辺を清拭してから点眼すること。
・各目薬の点眼には3分の間隔を置くよう必ず守ること。
・点眼後は目頭を1分間押さえ、涙腺から鼻に流れ落ちるのを防ぐこと。
・点眼期間が終了するまで首から上の入浴は絶対不可。
・先髪は眼に水滴や飛沫が入らない状態であればOK。
 (眼の保護必須、且つ、美容院スタイル以外はダメってことです)
・左右同じ目薬であっても必ず左右別々に取り扱い、
 いっぺんに左右同時に連続的に注してはいけない。

これを忠実に実行しようと思うと、幾つか問題点が生じます。

まず、都度の投薬に30分程度時間が掛かる。(笑)
それと、

①母親は自力では点眼できないので、家族の手伝いが必要。
②加えて、週に三回利用しているデイケアの日は、昼の一回分を
  施設に依頼し、同様の手順で点眼してもらわなければならない。
③カミサンもフルタイムで働いているので、朝と就寝前は
  対応できても、昼と夕方は二人ともまず無理。
④どちらも出勤が早い日は、相当な早起きが必要。(笑)
⑤大勢の人の面倒を見なければならない施設の方々に、
  特定個人のややこしいお願いをするのは難しいし、こんなことで
  手を煩わせたくない。 
 (シャワー浴は出来ても、先髪の依頼は無理ということです)

など、など。

たかだか目薬の点眼に、
挙げるとキリがないぐらいの懸念要素がある。(笑)
中でも特に弱ってしまうのが、
私とカミサン、両者とも不在時の処理です。

どうしようか?

もし点眼が4月まで延長したら、
ヘルパーさんに頼むことも考えなければなりませんが、
まずは、当面、確実にこなさなきゃならない
目の前の3月をどうするか? です。

ここは子供たちを使うしかありません。

今、長男と二女は卒業前で3月は基本的に在宅。
もちろん、バイトや用事で出かけることもありますが、
四人で頑張ってやりくりしないと、とても回せません。
二人には点眼の手順を教えて実際に練習させ、
ローテーションに入ってもらいました。
毎日、各人の予定を確認し、
基本的に昼の分は子供たちにお願いすることにした。
以来、点眼漏れが無いようにチェック表を作って、
点眼した人が時間と名前を記入しているのだが、
夕方の回も厳しい私とカミサンに代わって、
二人が自発的に対応してくれているのが良く分かる。

自分たちのおばあちゃんの手伝いです。
当たり前といえば当たり前。
なんてことないのかもしれない。
でも、当たり前に普通にやってくれていることが
ちっぽけなことだけど結構うれしい。
核家族化していなかったことの功って
知らないうちに積まれているんだろうなぁ、と思ったりする。

どこから見てもただの砂時計。
でも、おばあちゃんのために家族皆んなで使っていると思うと、
これはこれでかなり味わい深いです。
 


適当なほうが良いかも?

今週の月曜日、母親が白内障の手術のため入院しました。
二年半前に家の中で転倒して大腿骨を骨折したことがあって、
その時の修復手術以来、本人は人生二度目の手術入院です。
片眼ならば通院手術で済むのですが、
母親は両眼が対象で、高齢、且つ、下肢障害による移動負荷もあり、
入院していっぺんに手術することにしました。

高齢者の入院はいろいろな面でリスクが高い。
よく言われるのは、入院を切っ掛けに認知症が始まること。
出来上がっている生活のリズムが狂うことは、
変化振りの大小に関わらず、高齢者にとっては影響が大きいのだろう。
前回は手術直後に「せん妄」が始まり、退院直前まで続いたので
かなり脅えたが、幸いなことに退院後は普通に戻った。
およそ40日間入院した前回と違い、今回は一週間。
その時に比べれば気が楽です。

とは言え、母親はもうすぐ88歳になる高齢者。
いろいろと不測の事態も生じます。
物忘れは齢なりにあるわけですが、まず、それが助長される。
環境が変わったことで相乗してしまうようで、
その言行にこちらが戸惑う場面も多い。

それと、

ルーチンから外れて初めて経験する場面に出くわすと
かなり不安定な状態になってしまう。
たとえば、いつも飲んでいる薬にさえ混乱する。
薬の置き場所が変わっただけでも影響があるのです。
もちろん是正されていくのだが、慣れるまである程度の時間が必要。
テレビのリモコンだって、家で使っているものと違ったら
それはもう、本人にしてみたら、見たことも無い新しい機械と同じ。
ちょっとしたことでも一から教えることになる。
何につけ時間が掛かるのです。

今、困っているのは目薬の投薬。
自分で点眼するのがおぼつかない。
87歳にして生涯初めての作業ゆえしょうがないのだが(笑)、
元来、几帳面で真面目な人なので何とかこなそうとする。
でも、上手くいかない。
すると、周りに迷惑が掛かるだろうと心配するのか慌てる。
慌てるから余計混乱する。
本人の意思とは裏腹に、悪いほうへと拍車が掛かってしまう。

手順を作らないと上手くいかないが、逆に、
手順さえ出来上がってしまえば完璧にこなす。
そういうタイプの人だから、
病院のような初体験場面が連続する場では
本当に厳しくてかわいそう。

これが、亡くなった父親だったらどうだろうか?

時計職人だった父親は几帳面かと思いきや、本質は逆。
確かに、自分の好きな手作業をするような場面では
細かいところまで拘(こだわ)るが、
それ以外は概して緩(ゆる)かったように思う。
精神的に自分を追い込まないというか、
追い込む資質を生まれつき持ってないというか、
持っていたとしても積極的に捨てているというか、
自分に厳しくないというか、
要するに、適度に適当、適度に不真面目な人だった。(笑)

目薬の点眼だって、父親だったら多分慌てることもなく
飄々(ひょうひょう)とそつなく適当にこなしてしまうだろうなぁ。
母親の不安定さの裏返しでそんなことを思った。

自分には父方の血が多く振り分けられているように感じる。
基本的に適当でなりゆき型、美味しいところだけ真剣。
そんな父親のようにはなりたくないと、若い頃はずっと思っていた。
でも、今は逆です。オヤジには感謝だなぁ。

30年後。
高齢者になった自分も同じように入院するかもしれない。

その時、

今の母親を見ていると、
真面目じゃなくて、手抜きするオヤジや自分のようなヤツの方が
ずっと呑気で強くいられるような気がします。(笑)


順調にいけば土曜日には退院できる見通し。
モノがよく見えるようになって、
退院後の母親の生活が楽しくなってくれれば宜し・・・です。
 


・・・落ちる。

カミサンは、先週の土曜日、嫁に出た長女と外で食事をした。
そこで娘から聞いた話を・・・。

長女は前日の金曜日、以前勤務していた職場のメンバーと呑んで、
帰宅が終電の時間になってしまったらしい。

ターミナルのS駅で乗車し、途中の駅で乗り換える。
24時41分発のO駅始発電車が最終です。
この電車、自分もよく使うので分かるのだが、
乗客には酔っぱらいが結構いらっしゃる。
金曜の夜は泥酔客も多く、中には足元のおぼつかない人もいます。
そういった類(たぐい)の人たちが危ないのは、
電車に乗り込む際に足を踏み外すことで、
O駅の場合、ホームと電車の隙間が広い部分もあって結構危険。
かつてのことだが、
電車が到着して自分の並んだ列が進み始めた時、
私の目の前のおじさんが上半身を残してホームと電車の間に
落ちたことも実際にあった。

話を戻すと、

酔っ払いのオヤジの如く、娘がホームから転落したそうである。(笑)

泥酔はしていなかったものの、
下をよく見ないで、普段と同じ感覚で歩を進めたのだろう。
一瞬にしてホームと電車の隙間に落ちたらしい。

中年のおじさんなら、出っ張った腹をストッパーに
落下を防止できたかもしれないが、娘は身体が小さい。
一直線に落下です。
目の前の人間が急に視界から消え、
後ろの人はさぞかし驚いたことと思う。(笑)

が、

背負っていたデイパックがホームに引っかかり、
運よく下まで落ちきらずに止まったものの、
足は地面に着地せず浮遊している状態。
両腕を上げると、逆にデイパックから抜けて線路まで
落ちてしまうという構図です。
脱出しようにも手が使えず、
赤塚マンガのキャラが足を高速で回しているような状態で、
バタバタと足を漕いでいたらしい。

実に笑える。

自力脱出が無理な状況で、結局、
本人以上に慌てた周囲の人たちが引き上げてくれたそうです。

本人は、「チョー恥ずかしかった」と言っていたようだが、
この場合は、「穴があったら入りたかった」・・・の方が、
使い方としては良いだろう。(笑)

女子らしく貧血でふらついて倒れるならまだしも、
呑んで帰る途中の転落アクシデント。
ほぼ酔っ払いのオヤジと変わらず。

嫁に出して正解。(笑)
 


ご丁寧にありがとうございます。

先週、土曜日の夜のこと。
嫁いだ長女、二女と待ち合わせて
食事に出かけていたカミサンから電話が入った。

『食事終わった。もうすぐ帰るけど、メール見た?』

「見てないよ。どうしたの?」

『達也から面白いメールが届いてるよ』


で、メールを開封。

「大学生活」というタイトルのそのメールには、

昨日の試験で大学の全日程が終わり、
後は卒業式を残すのみです。

・・・ということ。


四年間大学に通わせてくれてありがとう。

・・・ということ。


家の手伝いもせず、お金だけ出してもらって申し訳ない。
これからは親孝行できるように頑張る。

・・・ということ。


まだ暫くはこの家で暮らすことになるが、
これからもよろしくお願いします。

・・・ということ。


これらが、短い文章で書かれていた。

ほぉ。(笑)


振り返ってみて自分は、
息子と同じ歳、学生生活を終えようかという時に、
親に対してどんなことを感じ、どう示していたんだろうか?
感謝の気持ちはあったけれど、極めて薄かった気がする。
実際、両親に向けて表現することもなかったのです。

当時、学費の一部を奨学金で充当していた。
もちろん卒業後に自ら返すわけですが、
そのちっぽけな金額に関わることで
自分は大きな勘違いをしていたように思う。
当然だが、入学金から始まる費用の大部分を負担していたのは
どんなことがあれ、親である。
そのことをきちんと認識せず、感謝を示せなかった自分は
親に対し、実に失礼な息子であったはずだ。
それに比べれば、31年後、こちらの息子は偉いなぁと思う。
自分よりは確実に出来が良い。(笑)

親としては、こちらの負担が実りとなって
充実した四年間を本人が過ごせたならば、それだけで良いのです。
だから、親孝行って言われてもなぁ。
倒れる寸前の老体ならともかく、
まだ、自分もカミサンも50代の駆け出しだし、ピンとこないね。(笑)

とは言え、ご丁寧にありがとうございます。

ま、とりあえず、

「食べ終わったら自分の食器は自分で洗う」
「脱いだ靴下は床に放置せず、洗濯機に入れる」
「チョコレートケーキを食べた時、床に落としたチョコチップは
 かならず拾ってゴミ箱にいれる」

このへんから順番に始めてもらいたい。(笑)


56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

プロフィール

最新コメント

Copyright ©  -- Goro・とおく --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Photo by Geralt / Powered by [PR]
/ 忍者ブログ
QLOOKアクセス解析