遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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最近「痛い」ことが続いている。
まず、腰が痛い。
数年前ぎっくり腰を二度発症したことがあり、その辺りから慢性的な
腰痛を抱えているのだが、今は結構重症。寒いせいもあって痛みの
程度は最悪レベル。洗面台で屈めない。同じ姿勢が続けられない。
胡坐(あぐら)がかけない。まともにパンツを穿けない。(笑)
先週は起床して立ち上がるまで5分かかった。
マジ、「痛い」。
身体の部位で言うと肩も痛い。
五十肩ってやつなのかなぁ。左の肩が完全には上がらないのです。
かなり不便。通勤電車で吊革につかまるのがキツクなってきた。
着席している時、考えずに肘を着くと肩が固まってしまう。普通の姿勢に
戻ろうとすると肩に溜まった痛みが出てくる。これがかなり辛い。
やっぱりマジ、「痛い」。
十日ほど前に一万円を失った。
土曜の朝、財布の中を見て「何か足りない・・・」。
酔って帰った前日の夜中にコンビニで数万円引き出した。
が、何故か金額が不足している。コンビニで数百円の買い物をして、
その後はタクシーに乗って帰宅しただけ。タクシー内で気付かずに
落としたんだろうか。そんなに酔っていなかったのになぁ。
なんだか懐が「痛い」。
先週の土曜の晩、正吉に右の親指を強く噛まれた。
爪の付け根のところを久し振りに激しく噛みつかれた。
散歩途中のこと。道端のガムを口に入れたことに気付き、確認しようと
手を首輪に近づけた瞬間・・・ガブッ、とされて血が止まらず。
土曜の夜は痛くて眠れなかった。打撲に近い感覚も合わさって、
治るまでには暫く時間がかかりそう。爪に触れただけでも激痛。
ギターが弾けなくて「痛い」。
いろんな痛みがあちこちに。
期待に満ちた一年のスタートなのに、1月はずっと冴えなかった。
年末~年始の休みが長かったことで、キモチの切り替えが上手く出来ず
終わった年を引きずって新しい年に突入してしまったせいかしら。
自分自身に対する「締(し)め」とか「自戒」が欠けて引き起こした
痛さもあるのだ。
腰痛の大きな原因。体重を増加させている自分。
面倒見ることを疎かにした結果、正吉に逆襲された自分。
浪費する中でお金に無頓着になり、注意散漫になっている自分。
落ち度は自分にあり。
そう考えることで納得しなきゃいけない痛みなのかもしれない。
まず、キモチをしっかりさせて自分に厳しく。
そろそろ気合を入れないと。
特に体重・・・。(笑)
少年の頃、青春ど真ん中の頃、結婚した頃、子供が生まれた頃。
嬉しかった時、楽しかった時、喜んだ時、幸せだった時。
打ちひしがれた時、辛かった時、怒った時、悔やんだ時、悲しかった時。
そういった場面で流れていた曲。
自分が唄ったり、口ずさんだりした曲。
心に沁み込みんでいる歌って誰にでもあると思う。
場面が強烈であればあるほど忘れられないものです。
自分にもそんな曲が幾つかある。
元々、私は音楽をそれほど熱心に聴く方ではありません。
加えて、今はインストのギター音楽を楽しむことが主体なので
歌詞のある曲(唄入り)はそれほど聴きません。
でも、昔からずっと好きな歌手も何人かいて、邦楽では玉置浩二さんが
お気に入りです。
私が玉置さんの楽曲に惹かれるのは、音楽から感じられる「叙情性」。
“花咲く土手に” という曲がありますが、この作品は、情景が心の中に
リアルに浮かび上がってきます。玉置さんの作品の中でも私が一番
好きな曲。「叙情性」を代表する名曲です。
それと、もう一つの魅力は「元気の素」を感じさせてくれるところ。
自分が弱っている時に元気付けられる。チカラをもらえる作品が多い。
その中に、やはり私の大好きな曲があります。タイトルは、
“しあわせのランプ”
『人は幸せになるために生まれてきた』
玉置さんのお母さんの言葉が曲のモチーフになっていると
聞いたことがあります。
透明なガラスの器の中に暖かい灯りが見える。ランプとはそういうもの。
人に置き換えると、どうなんだろう?
暗闇の中にいても感じられる、常に暖かい灯を燈してくれている人。
透き通ったガラス越しに見える灯りのように、裸の暖かいキモチが見える人。
そんな気遣いや思いやりの灯を消さずにいられる人。
傷んだ人の癒しのよりどころになれる人。
そんな人が周りにたくさんいたら幸せになれるだろう。
家族、友人、仲間、同僚。弱った時の自分は、周囲にいるランプのような
人たちに頼りたいと思う。
そして、それよりも・・・
まず、自分が灯りを出し続けられる人間でありたいと思う。
そんなランプみたいな人間でありたいと思う。
目に入ろうが入るまいが、相手に関係のないところでも
自分の中では灯りを燈していたいと思う。
なかなか出来ないけれどもそうありたいと思う。
昨日、今日と一段と冷えてきた。
明日は明け方から雪が降るらしい。
“しあわせのランプ”
体内時計が備わったかのように、寒く、雪が降りそうなこの時期を迎えると
聴いてしまう。ここ数日は何度も繰り返して聴きこんでいる。
ずっと灯りを消さないことぐらいは出来るのです。
長女が仕事でタイヘンに忙しそう。
勤務しているアパレルブランドのショップでは、クリスマス・年末~年始に
かけた時期が稼ぎ時。元旦は一日だけで単独店舗として1千7百万円以上
売り上げたようだ。娘によると、さほど広くない売り場面積、且つ、福袋無し
という状況からは驚異的な数字らしい。そのせいか勤務状況も過酷に
なっており、このところずっと “通し” と呼ばれる開店~閉店までの当番
シフトが続いている。
今朝もまた、娘は家を飛び出して行った。
洗面所、脱衣所、テーブルに、泥棒が侵入したかの如き跡が残っていた
ことで、いつもと変わり無い朝の様子が伺える。
長女は生活面がだらしない。全てが “やりっぱなし” で片づけができない。
このあたりは父親である自分にソックリ。(笑) ただ、働くことに関しては別。
現場を見たワケではないが、本人の話を聞く限りでは、とても真面目で
些細なことにも絶対に手を抜かないタイプ。
もともと労働意欲の旺盛な子で、高校生の時のアルバイトから始まり、
ここ迄の職種遍歴には凄いものがある。現在の会社の前に派遣で収入を
得ていた時は、「2~3時間が勿体無い」と言って、深夜まで掛け持ちで
コンビニでも働いていた。
交通費を実質の身入りにするために、ターミナル駅までは私鉄に乗らず
チャリを使う。雨の日も、雪の日も、ペダルさえ漕げれば多少のことでは
電車は使わない。それ故、道中で転倒することも多く、始終手足のあちら
こちらにカサブタを作っている。正真正銘 “傷だらけのオンナ” です。(笑)
その娘が壊れたチャリを修理に持ち込む時間も無いほど忙しくしている。
帰宅が遅くなって私鉄の乗り換えが間に合わず、ここ数日はターミナルの
駅まで私がクルマで迎えに行ってあげている。
家に着くまで10分もかからないが、この時間は貴重。
自分に置き換えると、この時間を使って(迎えに来てくれた)カミサンに
弱音を吐くことでストレスを無意識に解消している。
だから、
同じように、今は自分が娘の疲労を解放してあげたいと思う。
こんな時間しか使えないけれど、話を聞いてあげたいと思う。
娘の様子を見ると、さすがに相当疲れている。
が、
弱音を吐かない。『疲れたぁ~』 とは言うが、娘は弱音を吐かないのです。
今の時期に限ったことでは無いが、体調が悪くても、嫌なことがあっても、
精神的に辛いことがあっても、何があってもめげない。とにかく働く。
長女にはそんな強さを感じる。将来の形が見えてきたことで一層気合が
入ったのか、最近は “傷だらけのオンナ”に加えて “たくましいオンナ”にも
なっているようです。
三人の子供の中で一番自分に似ているのは長女。でも、この強さは
自分にはありません。どうしようもない娘だとばかり思っていたけれど、
長女のたくましさには感心している。ホントに立派なヤツです。
がんばれ! たくましいオンナ (笑)