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Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

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夜空を見上げて・・・

飼い犬の正吉と散歩で廻るコースはほぼ決まっていて、その日の気分で多少は変えることも
あるが、家の裏の公園を必ず抜けて行く。そこは水害時に機能する調整池のある公園で、
結構広い。周囲約1.2キロのランニングコースがあって、それが土手のように中の広場と池を
囲んでいる。そんな形状なのでスペースの上空はポッカリと抜けていて、傾斜に座ると
自然と顔を上げる感じになり、空の広さをすごく感じる。星の綺麗な夜などはホントにまるで
プラネタリウムのよう。先日「ふたご座流星群」が出現した晩も、正吉と一緒に一時間以上
流れ星を楽しんでいた。特に、散歩の時は自分の世界に入れるのでお気に入りの場所なのです。

ここでぼんやり空を見ていると、いろいろな事が頭の中に浮かんでくる。こういう時は不思議な
もので、仕事の事だとか遊びの事だとか現実的なものはイメージされない。どちらかというと
心の中にあるもの、それも陰陽であれば「陰」の方の“キモチ”が出やすいみたい。

この一週間、決まりごとのように散歩途中で小休止。この公園で空を暫く見上げることが続いた。
ちょっと悲しい気持ちを抱えていたせいなのですが、空に向かってため息を吐き出してその日の
自分を整理している感じでした。夜中の公園なので、人気(ひとけ)も無く音も無し。静寂な
夜空に助けられて知らず心を落ち着かせていたようです。

考えてみると、天候を確かめたり星を見つける以外に“空を見上げる”という行為は滅多に
しない。(もしかして私だけ?)たまには意識して空を見上げるのもいいかもしれません。
自分など普通に前を向くことさえ儘ならず、どちらかと言えば気持ちはいつも地面を見ている
気もします。(笑)しかし、それじゃいけませんね。青空を見りゃ元気になるだろうし、星空なら
気持ちを落ち着かせることもできる。広い空と向き合うとそれだけで気分が変わる気がします。


暫くの間「上を向いて歩こう」の歌詞のような散歩が続いていたけれど、切っ掛けがあって
昨日からやっと少し元気が戻ってきた感じがする。


今晩からはゆっくり星を眺められるくらいの余裕が出ますように。

・・・そう思ったら今日は午後から天気が悪くなるようで。



いじめっ子の神様は、なかなか私を本調子にさせてくれません。(笑)



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しあわせのランプ

最近はギターのインストしか聴かなくなってしまったが、玉置浩二さんと平原綾香さんの曲
だけはヴォーカルも聴く。特に玉置さんはずっと昔からお気に入りです。ホントにいい曲が
多い。叙情性を感じさせるところが一番嵌(はま)っているのかなぁ。それと、元気にして
もらえる素(もと)が溢れていて、嫌なことがあった時はその唄で結構助けられています。
中でも「しあわせのランプ」が大好きです。

   『人は幸せになるために生まれてきた』

これが曲のモチーフ。歌詞の内容は?というと・・・

人は幸せになるために生まれてきたのだから、先ずは自分の思ったとおりに生きましょう。
でも、そうやって生きてりゃ嫌なことや辛いこともあるでしょ。そんな時は“しあわせ”だった
頃を思い出してみようよ。そこには「しあわせのランプ」があって、それに触れるともう一度
自分を取り戻せるはずだよ・・・

こんな感じでしょうか。で、「しあわせのランプ」とは何ぞや?って事になります。

人が“しあわせ”を感じる時、そこにあるのは「物」や「形」ではなく「心」や「気持ち」。
言い換えれば「人間」です。裸の心や気持ちを通わせ合える、気が付いて振り返ってみると
必ず暖かく灯りを放ってくれている、傷んだ時にはそこに還りたいと思わせる、そんな存在の
人=「しあわせのランプ」なのでしょう。そして、それが大概は家族であったり、友人で
あったりするのだと思います。

ふと思うと、自分の周りには「しあわせのランプ」が溢れていることに気付きます。カミサン、
子供たち、親、友人、仲間・・・。どんな時もあちらこちらに“暖かい灯り”を灯(とも)して
くれている人がたくさん、たくさん、たくさん・・・。果たして、自分を振り返ってみると・・・
自分は他人に対して「しあわせのランプ」になっているのだろうか?

そんなことを感じさせる日が稀にあります。近い人が辛い目に合っているのが分かった時
などは特にそう・・・。こんな時はどうすればいいのでしょうかね?「ランプの灯」は自ら寄って
行っちゃいけない気がする。とにかく“灯り”を放ち続けるしかないんだろうなぁ。無力かも
しれないけれど、いつもよりは強く、暖かく・・・それぐらいは出来るだろう。


今日はそんな“稀”な日です。



自分の中のオイルは絶対に切らさないように、灯りを強く。


その気持ちだけは忘れないように・・・。




辛いなんてもんじゃ済まないのに・・・

くそぉッ・・・ 




“くるくるぱぁ~”のお願い

私はデパートの地下フロアの売り場が好きです。今でこそ「デパ地下」と呼ばれていますが、
そんな名称が出来るずっと前から(40年近く前の私が小学生の頃まで遡っても)歩いて
眺めているだけで十分楽しめるフロアでした。何で好きなのかというと、まず食品のライン
アップが豊富であること。特にスウィーツの美味しいお店が多いってことは、私のような
甘い物好きにはかなり魅力的なのです。(笑)それと、実は別の理由がもう一つあります。

私の住まいの近接乗り換え駅には二つのデパート「T」と「S」があって、都内から転居した
13年前当時よりご用達は「T」の方。店のラインアップが良いのと同時に、ショップの
店員さん(当然女性ですよ)に綺麗な方が多い・・・と認定しておるのです。これは作戦?
そう思わせるほどホントに粒ぞろい。(笑)やっぱり美しいものには弱いです。別に店員さん
目当てで行く訳じゃないけれど、いざ「物を買おう!」っていう時に綺麗な方が対応して
くれると嬉しいものです。そんな店員さんが・・・手前のケーキ屋さんの娘(こ)、あっちの
お惣菜屋さんのあの娘(こ)、あの和菓子屋さんの娘(こ)・・・などなど、あちらこちらに
キラキラしていらっしゃいます。私のような不届き者のお客さんは間違いなく購買意欲が
高まりますね。(笑)そこで、カミサンと買い物に行くとこんな会話が始まります。

夫:いつ見てもあのケーキ屋さんの娘(こ)はカワイイね。買いに行こうよ
妻:はぁッ!? どこがいいの? 基準がおかしいわよ。一人で行ってくれば 
夫:そりゃお前も綺麗だけど(←これが大事です)遜色ないでしょ
妻:そぉ? たしかにカワイイけど、私よりはちょっとね(←単純そのもの)
夫:おぉ、またまた発見!見て、見て、あのパン屋さんの娘(こ)もカワイイ。新人?
妻:あなたホントにバカじゃないの?
夫:そう言えば、このごろ肉屋さんの伊藤さん(仮称)見かけないなぁ
妻:何で名前を知ってるのよ!?
夫:この前本人に訊いたから
妻:最低!
夫:ウソだよ。胸のプレート見りゃ分かるじゃん
妻:私はほとんど毎日来ているけど、確かにずっと見ないなぁ。きっと結婚して辞めたのよ
夫:エ~ッ!? 適当なこと言うな!店の人にちゃんと消息を訊いてこい!
妻:何、バカなこと言ってんのよ。そんなこと自分で訊きなさいよ

などと、綺麗な店員さんのおかげでコミュニケーションも促進するという、実にありがたい
側面もあるのです。(笑)

話を戻しますが、

最近、その肉屋の伊藤さんがホントに辞めてしまったようで残念。GoroランキングでNo.1
だったのになぁ・・・。肉を買う時、他に手の空いている売り子さんがいるというのに、タイ
ミングを計ってわざわざ伊藤さんのところに向かうほどお気に入りだったのです。しかも、
例えば“すき焼き用”を買うにも、笑顔で応答されると何故か高い方に変えようという気にも
なります。このように売り上げに貢献した男性はワタクシ以外にも多かったのではないで
しょうか。そんなこたぁ無いか(笑)

で、何が残念って、もう叶わなくなってしまったことがあるからなのです。伊藤さんに
「お決まりですか?」こう訊かれて注文する時、

   『ひき肉400とこのすき焼き用800、それと“あなた”を少々』

一度でいいから、このように言ってみたかったのですよ。(笑)

「言いそびれているうちにチャンスを失ったなぁ。ホントに残念」

こうこぼすと、カミサンからは案の定・・・

「バカ過ぎ。あなたは“ひき肉”以下よ。値段も付かないわ、くるくるぱぁ~」

上手~い! 

・・・って、感心している場合じゃなくて、伊藤さんにお願いです。デパ地下にもう一度

   Come Back,Please!  from くるくるぱぁ~





こんな人が好き!

出かける用事が大雪で中止になり暇をもてあましている。何もできないので思いついたまま
ちょっと書いてみよう・・・。

こんな人が好きです!

■電車編

①(隣の大股開きの人との間で)空いている半人分の座席スペースをより拡げようと、懸命に膝を
 締(し)めて1㎜でも自分を小さくしようとしている人

②通勤の満員電車の中、無頓着に新聞を読んでいる人の横で垂れてきた新聞に当たらないよう
 首を苦し気にずっと曲げている人

③同じく、なすがまま背中に回っている(隣の人の)ショルダーバッグに圧迫されつつ、自分が掛けて  
 いるカバンを(周りに迷惑かけまいと)自力でコントロールできるよう顔と身体を歪めながら常に気を
 遣って保持している人

④同じく、揺れでド~ンと襲ってきた人波のうねりを隣の人に伝えないよう、防波堤になるべく必死で
 吊り革に掴まって顔を真っ赤にして耐えている人

⑤同じく、たとえ次が下車駅であっても(混雑緩和の為)誰も座らないで空いている席に率先して座る人

⑥掴まっている吊り革の前(座席で寝ている人が積み上げた)網棚の荷物がずれて落ちそうになる
 のを防ぐ為、こまめにその荷物の位置修正を繰り返している人

⑦電車が揺れた瞬間(杖をつかれていた)ハンディキャッパーの手を躊躇せずガシッと握ってあげられる人


■スーパー編

⑧駐車場で(駐車スペースに)他人が放置したカートを所定の置場まで転がしていく人。それが雨の日の
 屋外で“傘をさしながら”なんてぇことだったらもっとGood!

⑨スーパーで他人が(カートに入れた後、心変わりして違う棚に)放置していったと思われる商品を元に
 戻すべくはるか離れたところまで棚を探し回る人

⑩カート置き場で、種類の違うカートが入り乱れているのを秩序ある並べ方に直している人


私はこういう人たちが好きです。どうでしょうか?(笑) 


120円の意義

私はほとんど本を読まない人間なのですが、読む対象としてどんなジャンルが好きかと訊かれたら
「スポーツドキュメンタリー」と答えます。まぁ、それとてアクティブに読もうとしている訳ではないの
ですが・・・。

その最初は30年前、大学生なりたての頃に読んだ沢木耕太郎の「敗れざる者たち」だったと思う。
沢木さんの文体があまりにカッコよくて、題材の前に自分がいるかの如き臨場感を感じました。別に
物書き志望ではなかったけれど沢木さんには憧れていましたね。

レベルはともかく、自分で経験したスポーツ(野球・陸上競技・サッカーなど)や、観戦の対象として
好きなスポーツ(ラグビー・モータースポーツ・格闘技などあらゆる種目)、いずれもその文章表現には
興味が湧くのです。特に心の動きであったり、題材となっているプレーヤーの人間描写はフィクションで
ないだけにとってもリアル。そこに嘘が無いから好きなのだろうと思います。でも、実は“読みたい”
という気にさせる源(みなもと)は人間描写している書き手の方の人間性なのかな、という気もします。
題材に対して著者が(人間として)共感できる向き方をしていると感じさせる文書は、やはりリアルです。
目の前の事実を伝えるだけでなく、そこから人間性を感じ取り、書き手の気持ちを反映させた文書こそが
本当のドキュメンタリー。なので、書き手に共感を持てると気持ちの良い読後感を得られます。また、
そういった意味では、書物ではなくスポーツ新聞のコラムからも同じ感覚を味わう事ができます。

仕事上(特に今の私のポジションでは)通勤中には日経新聞を読むのが一般的かもしれませんが
私の読む新聞は「東京中日スポーツ(=トーチュー)」です。(笑) 120円で他紙より10円安いのに、
この新聞は侮れません。登場するスポーツコラムニストは代々自分のツボに嵌まる人ばかりです。
特に、かつては(もうお亡くなりになってしまったけれども)佐瀬稔さんの文章が大好きで、読む度に
その中に引きずり込まれた。才能ある作家だったと思います。こんな文章が書ける人ってホントに
凄いなぁ!・・・いつもそう感じさせる文体でした。

そんな観点から言うと、今一番のお気に入りコラムニストは、遠藤智(=えんどうさとし)さんです。
この方は二輪(バイク)のワールド・グランプリレースである“WGP”を追い続けているグランプリ
ライター。私自身はバイクには乗らないけれども、この人の人間味溢れるコラムがとても好きです。
今のところ著作が無いのが残念。それと、もう一人がスポーツライターの増島みどりさん。この方は
女性の視点が文章に適度に散りばめられており、文体がとても優しい。けれどもきちんと“キモチ”の
込められた表現をしている。やっぱり共感できるタイプの書き手です。

私は感受性が弱い人間と自覚しているのですが、スポーツドキュメンタリーやスポーツコラムの文章で
心が“じわっ”とさせられた事が珍しくない。気持ちに入り込んでくる要素は何でも身につけておきたいと
思います。だから120円のスポーツ紙と言えどもバカにはできません。自分にとっては『経済情勢』
よりも『人間探求』の方が大事なのです。興味をくすぐってくれる対価としての120円は安い! 



黒板五郎としては・・・

昨日から部下の女性が産休に入りました。出産予定日は2月17日。一応、予定では2年間を
休職期間に充てます。退職される訳ではありませんが、見慣れた人物が目の前からいなくなる
のは寂しいものですね。このあと無事に出産までこぎつけて欲しいものです。

妊娠~出産~子育てと、女性はタイヘンです。いろいろと障害になることも頻発するだろうし、
早く解決してストレスがたまらないようにするには、今、一番リスクの少ない方法をその都度
探って実行するしかない。それにはサポートしてもらえる要素を"使えるだけ使う"事と、周りの
ヘルパー意識が必要なのだと思います。夫、双方の親、兄弟、祖父母、親戚、友人、保育施設、
会社などなど。それでも、きっとどこかに負荷がかかるでしょう。本人も、サポートに入る人間も、
全ての人がうまく回ることは有り得ないので、その時には(カワイソウですが)その時点で最も
耐えられそうな人に溢れた負荷を集める事になる。但し仕事と違って、これから「幸せを作って
いく過程」と誰もが納得できているだろうから、ある意味無理を言っても協力は得られるはず。
すべては出生してくる子と、子育ての主体者である母親の為に・・・そう考えてあげれば上手く
いくのでしょうね。

その時期、自分がカミサンに対して何をケアしてあげたのか振り返ってみると・・・・

ウ~ン、全く覚えてな~い。(笑) 大事にしてあげていた意識は間違いなくあるけれども、それを
向けている先は、実はお腹の中の「胎児」と出産後の「赤ん坊」という‘宝物’であって、そこに
気を取られて産み出してくれる(くれた)大事な‘海’のケアをしてあげられなかったようにも思い
ます。荒っぽさが過ぎるかもしれないけれど、子供は放っておいても育ちます。まだまだ動物の
域でしかない‘Baby’よりも「心」が出来上がっている‘親’の方こそホントに気をつけてあげなけ
ればいけない対象なのでしょうね。ウチのカミサンみたいに強い人間はそれでもOKだったのかも
しれない。でも、そういう女性ばかりではないですから。

仕事でもそうだけれど、早めに危険サインを出してもらった方が(勿論こちらがそれを感じ取る
ことが前提です)物事は複雑にならないで済む。私のように『ヘルプ・ミー!』って叫ぶ臨界点が
低過ぎるのもどうかと思いますが(笑)、すぐに“音(ね)をあげる”ことも大事です。

ご挨拶としては「頑張ってね」とは言うけれども、黒板五郎的には・・・

  “ じゅんこぉ~、あんまり頑張り過ぎるな~。その方がいいんでないかぃ~ ”

というのも正直な気持ちです。

頑張り過ぎないように頑張る・・・難しそうですね。(笑)  


裸の心境で・・・!?

明日はお年玉年賀ハガキの抽選日でしたよね。年賀状といえば・・・

ワタクシは数年前から年賀状を複数パターン作るようになりました。ちなみにどんな種類を
作るのかと言うと、①=上司用 ②=知人用 ③=同僚用 ④=友人・親戚用 そして
⑤=会社部下用スペシャル、ってな感じです。差し出す通数のうち大半は④を使う。大体
家族の写真を入れて動向を伝えるパターン。そもそも文字だけじゃつまらないし、なかなか
会えない友人などにはハガキとはいえ姿を見せておきたいから。が、本当はハガキ作成
ソフトを使って遊ぶのが好きなだけかもしれません。(笑) で、作る際に手間のかからない
順番は①→②→③→④→⑤となります。①は写真も使わない、それこそ味も素っ気も無い
もの。それで十分。明らかに "手間=気持ちの込め方" の順になっているようです。
なので、⑤の「会社部下用スペシャル」は結構気合を入れてプランを練っているということ。

どちら様も同じでしょうが、私は会社に隷属するつもりは毛頭ありません。だったら会社の
人間に何でそこまで? そう考えるのが普通なのでしょうね。しかも年明けにはすぐ顔を
合わす訳ですから。でも、自分なりの理由はあるのです。会社人間では無いことを自覚して
いても、実際の生活のほとんどは会社にある。そこで始終顔を突き合わしてコミュニケー
ションを通わせているのが自分の部下です。組織の中で仕事をする以上、無理が生じて
自分では無茶と分かっていながらもやってもらわなきゃいけない場面もある。そんなふうに
毎日を繰り返していると(上司にはそんなことを全く感じないのに)不思議なもので自分の
部下が、ある意味家族のように思えてくるのです。"家族" には正直な自分を見せなければ
なりません。それで年の初めの心境として

    「自分はこういう人間です。皆さん、裸の自分を知ってくださいね」

そう伝えるのが礼儀なのではないかと考えるようになりました。勿論やっていることは自己
満足に過ぎません。でも自分には結構大事なことで、たかだか20枚前後の年賀状に真剣に
なってしまうのです。「裸の自分・・・」を有言実行した訳ではありませんが、実際にそんな
絵柄の年賀状になった年もあります。 

今年もそれなりに自分を晒してみましたが、年賀状を受け取った部下はどう思っているの
でしょうかね? もしかすると「毎年何やってんだよ」と感じているかもしれない。でも、
絶対にやめません。これからも年の初めには毎年「(気持ちだけは)裸になるぞ!」(笑)


(↓)捨てられなくなってしまった年賀状がこちらに・・・。


http://www.kikumax.com/nenga/home 



好きよキャプテン♪

高二の長男が、いつのまにか通っている高校の卓球部の部長になっていたらしい。どの
学校も大体そうでしょうが、通常は前年の秋に現3年生は引退しているので、去年の
内に新チームの部長になっていたということです。普段それなりに会話は交わしている
けれど、本人的には親に言うほどのことじゃないのでしょうね。その事には今まで全く
何も触れてはいませんでした。分かったのはつい先日のこと。

新年の4日に制服を着て出かける際、バケツを2個バッグに詰め、ドライモップを手に
しているのです。「どしたの?」と聞いてみると、「練習始めなので、部室の掃除から
率先して自分がやる」と言うのです。そこから話をしてみて初めて部長になっていた事が
分かったという訳。(笑)

県立高校でそれほど強くもなく、卓球という比較的マイナーな部活なので部員もたいして
多くはありません。それでも聞いた時は嬉しかったなぁ。そういう役になったという事よりも、
役に付くことで経験の幅が拡がるからです。18人とはいえ、人をまとめる過程で得られる
物は貴重です。まず、リーダーというのはいいことばかりじゃないのがよろしいですね。逆に
トラブルが多ければ多いほど良い。そのたびに人間が積み上がっていく。他人の事を考える
ようになるし、知恵も使わなければうまく仕切れない。計画性とかプランニングとかも要求
されるし、言動に真実が見えないと周りがついてこないからウソがつけなくなる。あ~、いい
ことだらけじゃん。(笑)目一杯苦労して欲しいなぁ。難しい性格の部員、特に、わがままな
ヤツや自己中心的なヤツとか、言う事聞かない部員ばっかりだったら最高です。(笑)

それとキャプテンってイメージ的には"もてる"でしょ。新しい恋に落ちていない(と思われる)
今の長男には肩書がつくのはありがたい。(笑) それだけで少し恩恵があるかもしれない。
30年くらい前、リリーズという双子デュオが「好きよキャプテン」という曲をヒットさせていた。

  好きよ 好きよ キャプテン♪

   (で、このあと)テニス焼けの笑顔♪・・・でしたっけ?(ちょっと怪しいかも)

40歳台の人には耳について離れていないであろう、あの "好きよ 好きよ キャプテン"
というフレーズ。やっぱりキャプテンは特別なのですよ。

以前は何かにつけ「恋しちゃってるもんね♪」と言ってからかっていたけれど、これから長男
には、事あるごとに「好きよキャプテン♪」と言ってあげよう。(笑)

おぉ、楽しみ!


と書いているそばから・・・

新キャプテンは一昨日、正吉をからかっている時に右手を噛みつかれ、かなり深く歯を入れ
られました。(当家実績では過去最大級の被害)昨日は練習を休んで帰ってきたようです。 


おい、おい、自分が出来なくても練習には付き合うでしょ?

いきなり・・・

   だめヨ、だめヨ、キャプテン♪  です。(笑)


56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

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