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Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

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最近の我が家の受験生クン

大学受験を控えて頑張っている長男の達也。時期的にそろそろ佳境に入ってきた。
本人はそれほどナーバスになっていないように見受けられるが、日常生活の些細な
ところで少し過敏になりつつあるようにも感じる。

こんなことがあった。

通っている高校は県立の普通校です。私も公立の普通校だったので、自分の母校と
同様にかなり自由な校風かと思っていたが、意外と伝統的な規律が残っているようだ。
例えば遅刻に関しては結構厳しい。達也が私に差し出してきた一枚のプリントを見て
それが分った。こんな内容・・・

  3年3組15番 ●●達也

  あなたは、

  今回で遅刻指導は 1 回目です。

  今回の遅刻回数は 4 回です。

  したがって、あなたの早朝登校回数は 1 日です。

  ※あなたが行わなければならないこと

  ①早朝登校を12月6日(水)から自分の日数分行う。
   
  (午前8時までに職員室前で点呼を受ける)

  ②『遅刻反省文』を12月6日(水)までに担任に提出する。


要するに遅刻のペナルティにもランクがあって、達也は「遅刻」ポイントが溜まり、
次のステージとなる「指導」を今回初めて受けたということ。「指導」の回数が
重むともっと厳しいモノが要求されるのでしょう。柔道の判定みたいで面白い。 
卒業前の三年生なんだから“場外指導”くらいでいいんじゃないの? とは思うけれど、
決まりごとなのでしょうがない。昨日は通常より相当早い時間に起床していた。(笑)

そしてもう一つの罰(上記の②)反省文の提出。

達也は書き終えた反省文を私に見せ「読んで、書いてくれ」と言う。書く?
反省文のフォーマットを眺めてみると、反省文を読んだ保護者が感想を書き込む
スペースが最後に用意してある。えっ、遅刻すると親も反省しろってこと!?
高校生にもなって何でよ? とは思ったが、却って、本人がどんな文章を書いて
いるのか興味が湧いてきた。(笑) そこで本人の言い分をじっくり読んでみると、
文意としては・・・

・遅刻したことは申し訳ありません
・遅刻したのは受検勉強を頑張っている影響です
・私は推薦入学既決定者と違って合格の保証が無い
・そのためには勉強を目一杯しなければならない
・だから遅刻もある程度しょうがないのだ

全然反省してないじゃん。それどころか完全に八つ当たり。(笑) その旨を伝えると
達也は・・・

『でも、推薦決まった奴らは入学後のバイトの話とかばっかりしてるしお気楽なんだよ。
同じ遅刻者でも俺とは全然違う。絶対に俺の方がタイヘンなんだし、そう書きたく
なるでしょ?』

こういうのが許せない。 

「だけどさ、そいつらはお前が真剣になっていない時にマジに勉強して評定を上げたん
でしょ。その結果が今、目の前にあるだけ。お前の遅刻の理由を彼らと並べるのは
おかしいよね。今、ハッキリしているのはお前が決め事を破ったってことだけだよ。
だからこういう書き方は好きじゃないなあ。確かに遅刻そのものは問題じゃない
けれど、だからといって君も喧嘩売れるほどのレベルじゃないでしょ。黙々と勉強を
続ける姿の方がよっぽどカッコイイんじゃないの」

そうけなしてあげた。(笑) で、更に追い討ちをかける。

「国語が不得意なのはこの文章力を見れば分るなぁ。ひどいね。俺が担任だったら
全面書き直しだよ。句読点の付け方も悪いし、ほら、こういう時はブラ下がりって
いって点・丸は枠外にはみ出してもいいんだよ」

ついでに国語の添削も始まり、本人の反省文はいじられ通し。(笑)


結局、親の感想として書いたのは・・・

・本人はお門違いの言い訳をしている
・それが気に食わないので父親が教育した
・全面書き直しさせたいが、本人は指導に納得したのでこのまま受け取って欲しい


遅刻だけでなく、親からは違った意味でも反省を求められて息子もタイヘンです。(笑)


最近の達也は、“自分はこんなにやっているのに他人は・・・”的な発言が目立つ。

ホントに頑張っているし、そう言いたいキモチはよく分っている。でも、それじゃ
大きくなれないのだよ。他人はどうでもいいから先ず“自分”を作ること。それは
知らせてやらないといけません。

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ヨシヒサさん、羨ましいです

先週の土曜日、姪の結婚式があった。カミサンのお姉さんの二女にあたります。

義姉のところは子供が三人いて、一男二女の組み合わせはウチと同じ。すでに上の
二人は世帯を構えており、今回の二女が最後の結婚式になる。姪のお祝いのために
出席する披露宴ではあるが、それ以外に私は楽しみにしていたことがある。ちょうど
一昨年の今頃、義姉の長男の結婚式があった。たいへんに愉快な披露宴だったの
ですが、その理由は義姉の旦那さんにある。“ヨシヒサ”さんという新郎の父親である
義兄は、酔った勢いから発せられた数々の楽しい言動で披露宴会場をとても和ませ
てくれたのです。

ヨシヒサさんは会社を経営している立派な社長さんです。彼の会社はアルミサッシ
建材を扱う商社。オーナー企業であるので、勿論社長自ら営業もする。そのせいか
他人と一緒の席では、私などでは気付かない細かいところまで良く気が回る。接客
サービスがとにかく自然で凄くて、営業職の自分としては常日頃から感心している
人物なのです。それと、職業的には現場で職人の人たちと飲む機会も多いのでしょう、
彼はお酒が強い。そしてお酒が大好きです。飲むとどうなるかというと、格段と陽気に
なって饒舌(じょうぜつ)になる。長男の披露宴ではそのパフォーマンスが実に素晴ら
しかったということ。挨拶の最中に入れる茶茶が最高だったのです。(笑) 

ただし、家族はハラハラドキドキだったようで(当たり前か?)、義姉と長女は隣の席で
『もぉ、やめてっ!』と再三注意していた。それどころか、父親の言動を終始観察して
いた新郎がひな壇から降りてきてヨシヒサさんを注意する場面もあったのです。(笑)
それでも人を侮辱するようなことは全く言っていないし、ヨシヒサさんのファンとしては
逆に、最低限の節度をキープしつつお祝いの席を盛り上げた功績を称えたいぐらい
だったのです。

で、私は今回もその時の再現を期待していた。

結婚式の数週間前、身内で不幸があり顔を合わせることがあった。私が「披露宴、
今回も期待していますから是非はじけて下さいよ。私はそれが目的で伺うようなもの
ですから」とそそのかしたところ、義兄は「いや、いや、今回は静かにします。“カズコ
(義姉です)”からもきつく釘を刺されていますので・・・」と神妙なコメントが出てきた。

ところがどっこい(笑)、本番当日は・・・

■新婦の友人が挨拶を始めると
 「みどりィィィィ~ッッッ!!」と、(顔馴染みの)友人の名前を絶叫

■変装した新郎の後輩達が出し物を終えて退場しようとすると
 「ちゃんと金払っていけよ!」と、背中に言葉を投げ

■新婦の友人がお祝いの素敵なバラードを唄っている最中に
 「待ってましたぁ~!!」と、合いの手を入れ、更に
 「それほどでもないぞ~」と、続け

■新郎の来賓の挨拶がかなり長くなってきたと見るや
 「それ以上長くなると巻きが入るぞッ」と、かまし

■新婦が泣きながら手紙を読み『パパには面倒を掛け続けて・・・』と言った途端に
 「そんなに面倒かかってないぞぉ~」と、突っ込む。・・・などなど。

父親が父親なら娘も負けていなかった。泣きながら両親に宛てた手紙を読む新婦に
向けて『こんなとこで泣くんじゃないッ!』と茶茶を入れたヨシヒサさんに対し、二女は
すかさず『泣いてないよッ!』と切り返していたものなぁ。(笑)

こんな些細な場面にもこの家族の絆の強さを感じる。特に三人の子供達は両親が大
好きなようで、一昨年の披露宴の最後の挨拶で長男が『両親のような夫婦になりたい』
と、ハッキリ言っていたのを思い出した。

私の子供たちもいずれは結婚して自分達夫婦の元を離れていく。その時、子供たち
から見える父親としての自分、そして両親としての夫婦の存在感は一体どんなもの
だろうか? 

『両親のような夫婦になりたい』

親にとっては最高の褒め言葉。披露宴でこんなこと言われたら最高の幸せだなぁ。

姪の朗読する手紙を聞きながら泣いている他人の私。その傍で酔っ払って茶茶を
入れまくる当事者である新婦の父親ヨシヒサさんを見てそんなことを感じた。(笑)

羨ましいですよ、ヨシヒサさん。貴方は実に素敵です。






訊いてあげたかった

昨日の夜はRIJNに寄った。お酒を飲み、ギターも弾けて、しかも昨日は演奏の
内容について皆さんからいろいろレクチャも頂けた。発表会も近づいているので
たいへんにありがたかった。毎度のことなんだけれども、RIJNに行くと楽しい
せいか、帰る時には疲れがとれている。とても心地よい晩でした。(笑)

・・・が、飲んでいる途中、カミサンからメールが届いた。

まず・・・

■今、園を出ました■ 個人面談してて遅くなった。何時に帰れる?

そして・・・

■いろいろあって■ 友絵と船橋の居酒屋にいます。ちょっと飲んで帰ります


「個人面談→いろいろあって→相手(長女)を探して一緒に飲む」

ウ~ン、少し気になるパターン。でも、自分は楽しく飲んでいて直ぐには帰れない。(笑) 

帰宅してから何があったのかカミサンに訊いてみた。


どうやら受け持ちのクラスの個人面談で強硬な保護者の方がいらっしゃった模様。
対応に疲れて凹んだ状態で勤務先の保育園を退出したようだ。相手は少し問題の
ある保護者で、その話は以前から耳にしていた。ここで細かく表現しても意味は
ないので要約すると『自分の子供が他の出来の悪い子供に影響されているので
それら周囲の子供たちをきちんと教育して欲しい』ということ。実はこの保護者の
子供も問題を抱えているのだが、その由来の元は他の子供にあると主張している
みたい。

確かにカミサンの受け持ちクラスには問題のある子が多いようだ。ご飯もまともに
食べさせてもらえていない子、お風呂にも入れられていないような子、それらの
原因で暴力的になっている子、要するに養育放棄(ネグレクト)の現実が目の前に
あるということ。でも、保育士は怪しいと感じてもそれらの家庭の中に入って現実を
観察することはできない。子供を助けてあげたいという気持ちとは裏腹に断定
できずに(親に)言えないもどかしさを感じている。それは発達障害の様子が伺え
る子供の親御さんに対しても同様の状況だろう。

カミサンは面談した保護者に『貴方の子供も実は別の問題を抱えているのよ』と
言いたい気持ちになりながらも「お母さん、おっしゃっていることは勿論お聞きし
ますが“影響を与えていると言われる”そんな子供たちの生活を私たちは一日中
追いかける訳にはいかないのです。朝、子供を起こしに行き、ご飯を食べさせ、
綺麗な身なりにして保育園まで連れてきてあげたい気持ちはありますが、現実は
無理ですよね。保育園は生活の一部をヘルプしているのであって、家庭内の生活は
各々の親御さんにきちんと保育意識を持ってもらうしかないのですよ。分かって
くださいね」とキッパリ答えたらしい。

この保護者は勘違いしているなぁ。保育園は福祉目的であって教育機関ではないの
だよ。本来救済されるべき人たちが定員オーバーではじかれ(前にも書いたけれど)
福祉を逆手に取って利用している悪者のせいで保育そのものが要らぬ負担を掛けら
れている現実があるのに教育だと? 笑わせてくれます。

「子共にきちんとしたことを教えられないバカ親たちにしっかり言ってください」

そう吠えていたらしいこの同類の“バカ親”も(納得していないのかもしれないが)
最後は渋々矛先を収めたらしい。


聞いているうちに何だかカミサンを褒めてやりたいキモチになって

「その言い方で正解。よくやった。えらいよ」

思わずそう言ったのだけれど、自分だけ飲んで心地よくなった気がして実は少し
気がひけていた。酒に付き合って訊いてあげたかったなぁ、と反省しているのです。

でも、カミサンはエライ!







遅延証明

今日、自分の管理下にある営業支援部署(内勤)の女の子が遅刻した。昨日の夜、
京王線で事故があり、その影響で今朝の通勤時はタイヘンだったみたい。

決まりごとなので、遅刻の場合は遅延証明が必要になる。彼女は申し訳なさそうな
顔をして証明書を私に差し出してきた。何てことない処置なんだけれども、ここで
新しい発見があった。実は入社して27年になるが、ここまで自分は一度もこれを
使ったことが無い。いや、それどころか見たことも無いのに気がついた。(笑)
なので、受け取った後、自分はどういう経路でこの書類を回送すればよいのか? 
それさえも分からなくて少し恥ずかしかったのだが、反面、凄く新鮮でもあった。

使わなかった理由は今まで無遅刻だったからではない。

私は入社以来、営業一筋。「営業」って極めて適当な職種で(ウチの会社の場合
だけかもしれませんが・・・)一般的に時間管理がルーズ。出社時間は特に顕著で
「お客さんに直行する」場合がある以上、多少遅れたとしてもその事由で完結させ
てしまうことが多い。かなり前にフレックス制が適用されてから、タイムカードに
よるガチガチの管理は姿を消しているものの、異常とも言える残業時間をこなし
ながら身体を酷使し、お客さんからは(自分の責任ではないことで)人格を否定
されるような怒られ方をしたり・・・。営業はとにかく可哀想な職種であるので
積極的に悪用しない限りそれぐらいは許される・・・はず。この程度のことを大目に
見てくれなかったら営業なんぞやってられません。(笑)

で、初めて目にした遅延証明でいろいろなことが分かった。

遅刻した場合は、まず守衛所で「入・退場時間証明書」を発行してもらうらしい。
受け取った遅刻者本人は所属管理者(今回の場合はワタシです)に提出して承認を
受け、それが人事課に渡った後にゲート通過ログ時間が強制的に訂正されて処理が
完了。やっと通常の出勤扱いになるようだ。ふ~ん、知らなんだ。(笑)

ここで笑ったのが証明書の記載内容。証明発行の種類を明らかにする必要があり、
幾つかの選択項目が書かれている。こんな感じ・・・

・カードが所定の場所になく刻印できません。(まだタイムカード職場がある為です)

・社員カードを忘れて読み込みできません。

・交通機関で事故が発生の為。※交通機関の遅延証明書付き

・通勤途中体調が悪くなった為。

と、ここまでは分かる。次を見てツボに入った。(笑)

・寝坊した為。

極めて単純で大半の遅刻の理由は実際その通りであると思うが、ここまで明快に
表現されてしまうと、これにマルを付けるのは結構恥ずかしいだろう。証明書が
回る先々で笑われそうな気がして自分だったら絶対に選ばない。(笑) 

このフォーマットを作った人事の担当者、いける!

こうして笑わせるならば、いっそのこと理由の記載はフリーワードにした方が
いいのになぁ。例えばこんなことがあっても決して不思議じゃないような気が・・・

・出掛けに用を足したらトイレが詰まった為

・履いている靴下が左右違うことに途中で気付いた為

・言葉の通じない外人に駅で道案内をしていた為

・朝から強烈な夫婦喧嘩をした為

自分なら間違いなく最後の理由を適用することがあるだろう。


内容によって遅刻時間を軽減してやれるぐらいの会社だったらいいのにね。(笑)






この父にこの娘あり

生活しているといつの間にか同じモノが溜まってきてしまうことがある。
私の場合、その大部分は“無駄”に重複して買ってしまったモノ。ガム・目薬・
生CD・生DVDあたりが代表的なアイテム。

こういうモノって重複してしまうと確かに無駄だけれども、逆にそれが便利な
こともあって、例えば目薬などは会社のデスク・スーツのポケット(上着とズボン
の両方だったりする)・車の中・家庭のPCデスク・ダイニングテーブル・枕元・
洗面台・下駄箱の上、などなど大概のところにあって、欲しい時にはいつでもすぐ
使用できるのです。(笑)ところが、「いざ使おう!」と思った時には大体それが
見つからない。これがモノの溜まるきっかけです。 

仕事中にコンタクトレンズが乾いて眼に潤いが欲しくなっても、デスクに置いた
目薬が直ぐに見つからないので(引き出しやら書類の間とか、まぁそんなところに
隠れているのでしょう)スーツのポケットをゴソゴソと探って引っ張り出すことに
なる。結局、そうして使ったその目薬はデスクに置去りにされ、仕事中にペン等を
しまう時に勢いで何気なく引き出しの中に入れ込んだりする。当然、次に外出して
ポケットを手探りした時にはもう無くなっている訳です。で、ふたたび購入・・・。
そうしたループが生活の中で途切れることなく循環している。モノを大事にしない
自分が悪いのだが本当にひどい。ガムや飴も同じで、玄関とダイニングテーブルの
上に置かれたディズニーランドのクッキー缶の中には、中途半端に残った残骸が
何種類も山のように・・・。

今、自分の身の周りに目薬は果たしていったい幾つあるのだろうか。

ドラマ「北の国から」の主人公黒板五郎はモノを大事に使い、決して“無駄”を
出さない人です。その五郎を敬愛しているくせに、私の日常は反対に“消費”の
連続。目薬やガムはその一端であり、生活の中で繰り返している無駄なことは他
にもたくさん・・・。モノだけで収まらず最近は(平気でタクシーを使ってしまうとか)
時間も簡単に買うようになってきている。五郎のように自力で井戸を掘ったり、
水道を引いたり、家を作ったり、風力発電機を築いたり、そんなことは出来ない
けれど、せめて無駄をしないことぐらいはちゃんとやれないとダメだよなぁ。


昨日、長女と会話していたら「指輪が見つからないのよ。誰か見なかった?」と
私とカミサンに訊ねてきた。カミサンが「今度は指輪!? あなた、そういえばこの
前見つからないって言っていた時計はどうしたの?」と言う。そのあともカミサン
からは「あれは? あれは? あれは?・・・」出るわ出るわ。そして、それが
全て高額商品。(笑)

“コイツは俺以上の馬鹿者なんだぁ”と呆れて口をあんぐりしていたら、カミサン
から「自分を見てるみたいでしょう」と言われたので、「そんなことは無い。俺は
決して高い物は失くさない。一緒にするな。レベルが違うんだよッ!」と、返して
やった。

昨日の朝、出勤途中にいつものようにお決まりのスポーツ紙を買った。が、乗り換
えの駅についた時、既にその新聞は見当たらなかった。たかだか5分間強の時間の
中で一文字も読まない内に同じ新聞を再度購入したのは流石に自分でも始めての
経験だ。(笑)

「塵も積もれば山となる」

その通り。

本質は娘と変わりないね、こりゃ。






やっぱり水野美紀が好きだ!

昔から大好きなのだが、やっぱり水野美紀が好きである。超美人ではないが“素”な
感じがして、何かとっても良いのである。

自分のやりたいことを実現すべく所属していた事務所から離れ、独自活動を始めて
ほぼ一年。独立した理由は・・・

表現者個人として新たな可能性に挑むという本人の意志。それはテレビから距離を
置き、舞台・映画・執筆活動に注力したい、ということ。要するに今までと違った
自己表現の出来るフィールドも見つけたいのでしょう。

公式ブログのアップ頻度を見ていると納得できる。毎日は更新していないけれど、
きちんと書いているし内容もしっかりしている。ブロガーの一人としてみれば当たり
前のことかもしれないけれど、一応芸能人だものね。立派だと思います。

先日、交際相手が携帯を紛失し、それを拾ったアホが出版社に持ち込み、アホな
出版社が取材努力もせずに遺失物の写メから原稿を起こし、写真週刊誌にゴシップ
記事が掲載されたことがあった。関わったアホ共は、もはや人間ではない。故に
その週刊誌は買わなかった。そんな時期に彼女が書いたブログを読んで、冒頭の
キモチになったのである。

彼女のブログ「628DRIVE」10月10日付の内容をそのまま流用しますと・・・


★★★★★

ドライバー(注:読者のことです)の皆様
驚かせてごめんなさいね!
でも、一番びっくりしたのは私です。
光文社から最初に知らせが届いた時の心境は
「ちょっと、ちょっとちょっと!」
という感じです。
「なんで、なんでなんで!」
と続きます。
携帯拾ったら交番に届けましょうよ。
私は今日ここに、携帯を拾ったら絶対に交番に届けます宣言をします。
と同時に、普段からお化粧しようキャンペーンを実施します。

今日は多方面からお問い合わせを頂き、
コメントコメントコメントコメントと求められるのですが、
もう特に、フラッシュの方に掲載されたコメントに
付け加えたい事も無くてですね・・・どうしたらいいのでしょうか・・・・

あ、あとですね、結婚は結婚は結婚は結婚はというご質問も
頂いたのでこの場を借りて。
現時点で、結婚はまだ考えておりません。

「そろそろ考えなさいよ!」と言われる年齢に十分達しているのは承知の
うえで言ってます。
ええ、言ってます。

現在交際している北村君は、同じ役者として尊敬できる人であり、
刺激しあえる良きパートナーであり、飲み友達です。


ドライバーの皆様には、温かく見守って頂けたら
とても嬉しく思います。

「LOVE30」の稽古も始まりました。
精一杯頑張って、皆さんに楽しんでもらえる舞台にしたいと思います!
11月、劇場でお会いしましょう!

PS/携帯拾った人、返してやってください!

★★★★★


なんとキモチの良いこと。相対するアホな編集者が哀れに見えるほどさわやか。
極めて普通なのが良い。「交番に届けます宣言」と「お化粧しようキャンペーン」
ですよ。う~ん、実に素敵。もう、ぞっこんです。(笑)

ブログのURLはこちら。宜しかったら覗いてみてください。

http://mizunomiki.at.webry.info/

自分のブラウザのホームページはMY YAHOO!。カスタマイズした画面のトップは
RSSリーダーで読み込んでいる彼女のブログです。(笑)




病は気から、治療も“気”から

我が家では風邪が流行っていて、長男から始まり次女、ついに私まで到達した。

先週末は喉の痛みと咳が止まらず、日曜日には熱も38度5分まで上がった。
週明けの月曜日は会社を休ませてもらい、39度5分の熱が出て学校を休ませた
次女と共に二人して医者に行った。

素人にも風邪症状と分るような時、当家では近くのクリニックと称される中規模の
医院に行っている。ただし、こちらは混み方が凄くて、待合室にいるだけで症状が
悪化するような気分になる。周りは病人だらけだものね。(笑) 二人で行って
そこで長いこと待たされるのもイヤだなぁと思い、今回は医者を変えた。そこは
内科と小児科を診察する個人医院で船橋に引っ越した時、口コミで教えてもらった
いわゆる町の“お医者さん”です。以前はよく診察してもらっていました。

最近行かなくなっていたのに確たる理由があるワケではない。クリニックの方が
新しくて何となく診療環境が良く見えたせいかもしれない。ところが、医者という
ものは誰もが経験するように、待ち時間に比して実際の診察時間はとても短い。
最近、お世話になっているクリニックはその典型で、診察後は却ってグッタリして
しまう。そんなこともあって元の“お医者さん”に戻してみることにしたのです。

個人の家がそのまま医院になっているお医者さんって、最近やっぱり減っています
よね。後継者不足とかが背景にあるのでしょうか。自分が子供の頃って、近所には
掛かりつけのお医者さんがいて、往診もよくしてもらっていました。時間外でも
構わず診察してくれたし、地域社会では必要不可欠な職業というか、皆が頼る場所
という側面があったように思う。やっぱり医師の原点は“赤ひげ”でしょ。(笑)

で、久し振りの“お医者さん”はやっぱり空いていた。というよりも、診察中の患者
さん以外、私たちの他に人はいない。待合室の空気の止まった感じも以前と同じ。
これ、これ。これですよ! あぁ、医者に来ている実感が湧いてくる。嬉しい! 
待合室の空気を吸っただけでもう直った気がする。何かヘンでしょうか?(笑)

バリッとした真っ白な白衣を身に着けたお爺ちゃん先生。口をア~ンとして喉を
覗き、胸と背中をトントンされて聴診器を当てて診察終了。ただの風邪です。
そんなことは分っていたので、あとはどんな薬を出してもらえるのか、それだけが
楽しみになる。

今、医者の出す薬はほとんど錠剤だけれども何か味気ない。以前、この医院では
薬を乳鉢と乳棒で調合していた。化学の実験とかで使うあれです。手作業で畳まれ
家の形になった紙包みに入った薬は、やけにリアルで何故かよく効くのです。
ところが、残念なことにその姿はなかった。やっぱり時代なんでしょうね。


あぁ、紙に包まれたあの粉ぐすりが欲しい! 

たとえ間違った調合だとしても絶対に効くはずの、あの粉ぐすりが欲しい!

それで簡単に直るのです。(笑)



泣きながら生きて

ご覧になった方も多いと思います。
ブログ表題の「泣きながら生きて」は、
昨晩放映されたフジテレビのドキュメンタリー番組のタイトル。
張麗玲(ちょう れいれい)さんという日本に留学していた
中国人女性のプロデュースによるもので、
過去、シリーズ的に何本か放映されており今回が最終章。
このシリーズの切っ掛けそのものにも意味深いものがあって、
「志し」のある人のところには良いものが生まれるという
その典型のような番組です。
もともと私は、テレビのジャンルではドキュメンタリーが
一番好きでよく見ますが、その中でも相当上質の番組
だったように思います。

全編通して泣き通し・・・。

     ・

主人公は中国人の男性、丁尚彪(てい しょうひょう)さん。
彼は上海に妻と娘を残し、借金で工面したお金で日本語を学ぶ為に
35歳で来日します。

言葉を学びながら働いて借金を返す。
そして卒業後は日本の大学に進学することを目指していました。

何故日本で? 

というのも、彼は中国の文化大革命下放政策により、
一番勉強したい時期に遠方の農村に“強制学習”に行かされ
本当の勉学の機会を逸したから。
夢を抱いて日本に向かった訳です。

ところが入学した日本語学校は北海道阿寒町の山の中。
当時、炭坑が閉山され過疎化に困窮した自治体が
日本語学校を誘致して、そこに中国人留学生を受け入れる目的で
スタートさせたもの。来日に関する彼らの金銭的な背景や
環境などは考えない、安易な人集めプラン。
働く場所も無いところでは借金は返せません。
結局、彼は学校を飛び出し、働き場所を求めて東京に向かいます。
留学目的で発給されたビザは更新を認められず、
彼は不法滞在の身で生活することになる。

ここで彼は自分の「志し」を諦め、一人娘に夢を託します。
借金を返した後も帰国せずに複数の仕事をこなし、
質素な生活の中から中国に送金。
全てを娘の勉学(進学)に向けて捧げる。
もし見つかれば強制帰国。
再入国は出来なくなってしまう事情の中、
ひたすら娘の為に一生懸命働き続ける。

幸い、娘はアメリカの大学に合格し東京経由で米国に向かう。
トランジットで許された24時間だけ接触できるタイミングが生まれる。
8年ぶりに出会えた親子、そして、また別離、親子の涙・・・。

母親はアメリカの娘に会うためビザを申請するが発給されない。
結局、五年間を費やして12回目の申請でアメリカ行きが実現し、
東京経由で米国に向かう。
その機会を利用し、娘と同じようにトランジットで許された
72時間を使って13年ぶりに夫婦が出会う。
そして、また別れ、夫婦の涙・・・。

娘の進路に目処がついた時点で彼は帰国を決意する。
帰国前に故郷(ふるさと)と呼ぶ阿寒町に出向き、
今は廃校になった校舎で涙する。
学校を抜け出したことに「申し訳ないことをした」と話し、
去り際に阿寒の地に何度も頭を下げる。
そして、ラストシーン。
辛かっただけの日本の生活だったはずなのに、
離陸する飛行機の中で日本の地に向かい
手を合わせて万感の涙を流す・・・。


この人は凄い人です。
インタビューのシーンで印象的だった言葉が幾つかある。

  「親は子供に果すべき責任がある」
  「人生すてたものではない」

自分の夢を捨て、家族の為に必死になり、
過酷な人生の時期を長きに渡って送りながらも
自信を持った表情でこの言葉を発していた。

この源(みなもと)はどこにあるのだろう?

多分、「心」や「絆」や「愛」といった言葉で割と簡単に
表せるものかもしれないが、そこにはもっと強い何かが
あるような気がする。

それは上手く言えないけれど、
「生きることの責任」みたいなものなんだと思う。
まず、あるべき自分を持つ。
それがあるから家族に向き合える。
親が果そうとしている責任を子供が感じ、
それに報いるために子供は一生懸命になる。
そうして人間は連鎖していく。

  「私は胸を張れるような人間になりたいのです」

彼が発したこの言葉。これが全てなんだろう。
胸を張っていい人間なのに、彼の終着点は未だ先にある。
人間はずっとそれを追っていないとダメなんでしょうね。


感動だけじゃ終われない番組でした。
再放送があることを願いたいですね。

56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

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