遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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素敵な夜なんて滅多に来てくれないもの。
が、昨日の横浜の夜に間違いなくその瞬間を感じた。何しろ私の5メートル先
には “神様” がいたのです。
ギタリスト、トミー・エマニュエルのライヴ。
もっと観たい!
・・・この表現で十分だろう。
二年前に大阪で観たライヴも確かに凄かった。でも、二度目の今回は格別。
「人」「景色」「芸術」など(物事は全てそうだと思うけれど)素晴らしいと思える
対象に触れた時、そのファースト・インプレッションはいいに決まっている。
それが本物かどうかは、『何度触れても最初と同じ素晴らしさを感じられるか
否か』 だろう。
2時間20分に渡りギターを演奏し続けた。弦を弾く、タップする。ボディを叩き
ネックを捻る。トップをスクラッチし、ブラシを打ちつける。同時に、観客を引き
込むパフォーマンスも忘れない。特定の曲が良いのではなく、全て含めて
みんな良かったのである。
ホントに凄い!
派手なスタイルの後の穏やかなバラード。ハープを聴かさているのかと思わ
せるハーモニクスの連弾。何をどう弾いても魅惑的。ギターが、「弾く」ための
楽器というよりも、親しく「遊ぶ」ためのトモダチ?のように見える。
二年前、「5年先までスケジュールが埋まっていて、今回のライヴを観ないと
次の日本公演がいつになるか分らない」そう聞いて大阪まで行った。実際は
(公演回数が限定されてはいるものの)去年も今年もトミーはこうして日本に
来ている。(笑) でも、そんなことは全く関係ない。却って、ガセな話であった
ことに感謝すべきかもしれない。何度でも観たいし、ずっと聴いていたいのだ。
ギターを自由自在に操るトミーの指を凝視していたら、自分の顔が緩み、
身体の中がワクワクと嬉しくなってくるのを感じた。それは、不意に・・・
『嗚呼、きっとこの人は目の前のことを何でも叶えられる人なんだろうなぁ』
と、羨ましくなってしまったからなんだけれども、気付くのが遅かった。
そりゃそうさ、そう思って当然。
だって・・・
“神様” なんだものね。(笑)
素晴らしい夜でした。
-WONDERFUL TONIGHT-
今日は夏休みを一日先取りして会社を休んだ。
横浜でトミー・エマニュエルのライヴがあって、
時間的に間に合わないので休暇にしたのです。
7月はライヴ三昧。
発表会とその練習会も含めると、8日~(本日)23日迄
実に7回も“音”を楽しむことになった。
岸部さん×2、NUDE VOICE、ももかん、らいんファミリー×2、
そして今日のトミーです。
凄いね。(笑)
ギターを始める前は、こんな時間の使い方なんて
想像も出来なかった。
この7回戦シリーズはどのライヴも素晴らしかったのだけれど、
各演奏者のパフォーマンスとは別に、自分にとっては格別に
嬉しい事もありました。
岸部さんのギターが大好きで、私にはその素晴らしさを
大いに紹介したくなる性向(というか、もはや性癖に近いモノ)がある。
大体は取引先の方々が多いのですが、すでに20人近くの方を
お誘いしました。実際にライヴを聴かれた後で皆さんに感動の
様子が伺えると、自分もとても幸せになれるのです。
中でも、今年1月にライヴを楽しんで頂いた三人(女性編集者)に
とっては、岸部さんの音楽がたいへん衝撃的だったようです。
ライヴの翌日に皆さんから頂いたメールは読んでいて
嬉しくなる内容でした。特に、その中のNさんの文面には
岸部さんの演奏をフューチャーして、
新しい仕事に取り入れられないか、
企画を考えてみたい
と、即行動に移られたことが書いてあってビックリ。
紹介した甲斐があったなぁ・・・と、嬉しくなり、同時に
ワクワクさせられたのです。
で、実際にプランは進み、岸部さんはこの7月のライヴで、
その企画に向けて作られた曲を二曲演奏してくれました。
岸部さんがMCでも言っていたけれど、最初にNさんから
聞いていたのは “1分半で一曲だけなんです” という内容でした。
岸部さんには言うに言えないご苦労があった様子も伺えたが(笑)、
結局尺も長くなり、曲数も増え、私達ファンにとっては有り難い
企画変更になったようです。
自分がお誘いしたことで線が繋がり、結果として、
岸部ファンの楽しめる曲が増えたような気がして凄く嬉しい。
ライヴ三昧にスペシャルなトッピング付き・・・って感じ?
この7月はとてもシアワセでございます。
今朝、家を出てから駅に向かう途中で素晴らしい音楽家に出会った。ある
種のストリートプレーヤーとも言えるこの音楽家は、最早アーチストと
称した方が良いのかもしれない。
実は少し前にも一度遭遇しており(その時も朝でした)、当時の感動が
凄かったもので、再びの出逢いにとても嬉しくなってしまった。
このアーチストとは直接言葉を交わした訳でもなく、どんな容姿かも
知らない。というか、どこにいるのかも分からない。綺麗な声だけが耳に
届く “謎” の存在なのです。
そのアーチストとは・・・ “鶯(うぐいす)” です。(笑)
十日ほど前のこと。自宅を出てすぐに綺麗な鳴き声が聴こえてきた。
船橋に引っ越してから13年。今までに聴いた中ではダントツ!ホントに
上手い鶯です。
ホーホケキョ、ホーホケキキョ、ケキョケキョケキョ……
先ず、入り始めの最初のフレーズ。 “ホー” から “ホケキョ” に繋がっていく
クレッシェンドが秀逸。微妙なニュアンスを保ちながらとにかく長く、よく伸ばし
つつ、引き込むように最高潮にもっていく。透明感を感じさせる高い声質で、
周囲に放たれた声には適度なリヴァーブがかかり、観客を引きずりこむ。
そして、後半の “ケキョケキョケキョ・・・”のパート。このリフレインがまた
凄い。何と言っても、あの繰り返しのリズム感と無限に続くのでは?と思わ
せる囀(さえず)りの回数。そんじょそこらの鶯じゃ絶対に真似できないだろう。
自宅近辺には梅の畑があって、通常、鶯の声はそちらから届くのだが、この
アーチストは他と交わることを好まないのか、少し高台に繁っている雑木林に
ステージを設けている。出勤時間には少し余裕があったので、立ち止まって
暫くの間見事な歌に聴き惚れた。その場を去るのはとても残念だったけれど、
だんだん遠くなっていく歌声に感心しながら駅に向かったのです。
そして、本日のこと。先日と同じステージにあのアーチストが再び登場した。
変わらぬ美声と技術。今朝もまた立ち止まり、暫く歌を楽しんだ。これだけで
嬉しくなれる。一日の始まりに極上の音。いいねぇ、こういうのって。
ブラボー!
定期的にライヴしてくれんかなぁ・・・。
ブログにアップするの久し振りだなぁ。時間はあったけれど周辺のいろいろな
事情で、書くほどのキモチの余裕が無くて随分と間が空いちゃった。
幾つかあった理由の中で私に余裕を与えてくれなかった一番の要素は
『RIJN発表会』のプレッシャーだったかもしれない。(笑)
で、その発表会も昨日無事に終わりました。
本番の結果は?というと・・・
過去の発表会と同じように落ち着きを失い、指とキモチがプルプルと震え続け、
台風四号のような大汗を流し・・・演奏はガタガタと崩れていきました。(笑)
演奏後は予定通り(?)“いつも”のように悔しくなり、帰宅してから演奏した
曲をあらためて弾いてみた。すると、これもまた、“いつも”の発表会の夜と
同じように普通に弾ける。結局、“くそッ!何であの椅子だと普通に弾けない
んだよぉ・・・” と、自嘲して一日が終わるのです。
これを繰り返して今回で早や五回目。成長が全く見られません。(笑)
ただ・・・
それだけでは終わらないこともいつもと同じだった。自分の悔しさとは別に
それを凌駕するモノが内面でグングン充満してくるのです。それは・・・
参加者のギター演奏の一音一音から感じ取れた懸命さ
とも言うべきモノ。
あの空気を感じられることが楽しくて嬉しい。「これだからやめられない!」的な
大事なモノなんだと思う。結果としての「上手い」・「下手」ではなく、仲間の前で
発表することの意義は大きい。量はともかく、弾きたいと思って練習したものは
演奏されて形になるはず。その集合場所が『RIJN発表会』なんだろう。それは
私だけでなく他の方々も同じだと思う。発表会で得られる充実感は素晴らしい。
RIJNに向かう前日の朝が悪天候だったせいか、今朝起きた時の晴れた空が
発表会後の爽快感とリンクして凄く心地良かった。心地良さの構成比は、
(プレッシャーからの)開放感15%+(内面の)充実感85% だろうか?(笑)
冬の発表会の時は、終了後の開放感の方は消したいよなぁ・・・。
挑戦意欲を高め、充実感だけが残るように頑張ってガンガン練習しよう。
発表会はホントに楽しいデス。
水曜日の夜のこと。
カミサンは職場で打合せがあって、園を出るのが遅くなってしまったらしい。
会社にいたら携帯にメールが届いた。
「食事してないけれど、貴方もまだのようなら駅で待ってるよ」 という内容。
自分は丁度、所属している事業部の新しい取組みの説明会で30人を前に
1時間40分の間一人で喋り続けたあと。ヘロヘロの状態で労働意欲が
すっかり落ちており、早く会社を退出したい気分。カミサンのメールの雰囲気も
“話したいから待ってるよ” 感がアリアリ。お互いに疲れている。(笑)
結局一緒に食事をすることにして船橋の駅でおち合った。
・・・が、カミサンの元気が少し足りない。
この4月から変わった職場の雰囲気がイマイチ合っていないようで、それは
このところチラチラと耳にしている。今の園には長い保育園勤務の中でも経験
したことのない空気があるようだ。話の端々に、人間関係の中でストレスが
少しずつ高まっている様子が伺える。一般の会社と同様に、最近は保育士も
精神的に参って退職してしまう人が多いらしい。ま、それほど深刻な状況では
ないし、カミサンは弱い人間ではないので潰れることはないと思うけれど、
ちょっと心配ではある。
考えてみると・・・
こうやって帰宅途中に食事や買い物をしながら他愛もないことを喋る・・・
ただそれだけのことなんだけれども、そうやって自分のストレスを知らず
解消してきたなぁ、と思うところがある。決して、構えて “聴いてくれよぉ~”
って程のことじゃない。普通の会話でも受け止めてもらえる相手がいる
だけで結構楽になれる。それは自分だけでなくカミサンも同じで、短い時間を
使ってどちらも上手い具合にリフレッシュしているような気がする。
で、今日は明らかにカミサンが吐き出す日だった。
いろいろ話を聴くにつれ、思ったよりタイヘンな状況のように感じた。
『こういう時は、自分がストレスの素にならないよう気をつけないといけない』
食事中に話を聴きながら、こんなことを考えていた。珍しく殊勝なキモチに
なっている “いい人” がいて自分でもビックリ。(笑)
そして、帰宅後のこと・・・
みんなが就寝したころ達也が二階から下りてきて、
私にこの手提げ袋を差し出して、こう言うのです。
「これ、父の日のプレゼント。三人から」
どひゃ~ッ! ホント?
三日遅れというのが “緩さ重視” の当家らしくて笑えるが、こうして父の日に
プレゼントをもらったのは “自分史上” 初めての快挙。慣れていないので
反応に戸惑う。(笑)
中にはコロンが入っていた。ぎごちなく 『ありがとう』 と返した後、無性に嬉しい
キモチが湧いてきた。“いい人” になれたことへのご褒美と考えれば尚嬉し。
こういう一日の終わり方はいいなぁ。
頭から全部かけてしまおうか?ってぐらい嬉しいね。(笑)
カミサンには・・・Forza! 子どもたちには・・・Thanks!
昨日は長女と私の帰宅時間がたまたま同時。カミサンは既に帰宅していたが
食事をまだ摂っておらず、結局、船橋の駅まで車で迎えにきてもらい、三人で
外食することになった。その帰り道のこと・・・
カミサンがやけに活力のある声で、
「そうだッ! 言うの忘れてた。ねぇ、ねぇ、聞いてよ」
続けて、
「おととい、東西線で久し振りに痴漢にあったのよ」 と。
ほぉ~。(笑)
この後が面白かった。 ※母:カミサン 娘:長女 G:私 です。
母:もぉ、いやになっちゃうわ (と、言いつつも何故か明るく且つ、高揚感あり)
娘:どんな感じだったの?
母:最初は分からなかったのよ
G:で、どこを触られたの?
母:お尻よ。さわ~ッ、て感じ
娘:お母さんの周りに若い女性はいなかったの? (ナ~イス!)
母:ちゃんといたわよ。私がそんなに若く見えたのかしら? (エ~ッッッ!?)
娘:だって後ろからでしょ。それじゃ、分からないんじゃないの? (そう、そう)
どんな奴だった?
母:顔は見えなかったのよ
G:その前、痴漢に合ったのはいつ頃だぁ。相当前だろ?
母:結婚する前。総武線で。
G:ほぼ四半世紀振りってことか!? そりゃ凄いね
母:何が凄いっていうのよ。年数は関係ないでしょ
娘:それでどうしたの?
母:位置を変えようと思って動いたら止まった。顔は最後まで分からなかった
けれど、貴方みたいな体型だったわよ
G:余計なこと持ち出すなッ! そんな物好きと一緒にして欲しくないね
母:物好き? どういうことよ!!
娘:きっとその人、判断出来ないぐらい疲れてたんだねぇ (ベリーナ~イス!)
G:そいつもお前の手に触れたらハッキリ分かっただろうに。
ちょっと手を触らせてみて・・・。ほ~ら、やっぱり。
母:それがどうしたの?
G:手の甲で相手の手に触れてやればよかったんだよ
母:だからどういうことよ?
G:そのハリの無さで年齢を分からせて止めさせるってこと
母:何よそれ。失礼しちゃう!
娘:次に遭ったら何か攻撃した方がいいよ
G: そう、そう。“手が腐るわよ” ぐらいは言った方がいいぞ
痴漢になんて合わない方がいいに決まってる。カミサンも災難です。
・・・が、それをネタにしてやりとりをするのも、正直なところ楽しい。(笑)
常々思うのだが、僧侶が読み上げるお経、それに伴って使用される道具から
生ずる音。これらから表現されるのは完璧に “音楽” のようです。
時々複数の僧侶による読経を耳に(目に)することがある。最近参列した葬儀で
三人同時のおつとめがあって、その時も感心してしまった。僧侶の唱い、木魚や
大小の鉦(かね)などの様々なパーカッション類。特に鉦の打音から湧き出る
サスティーンに、声質の違う三人のハーモニーが乗ったエンディングは、故人に
対する弔いの気持ちを深く明瞭にする効果があるように感じた。それは素晴ら
しい音楽だったのです。
弔いの場所でそんなことを思うのはいけないかもしれないが、あの独特の音響に
よって鎮魂される要素は確かにあるように感じるし、“音”をきちんと聴く(=自分に
取り込む)のは決して不謹慎なことではないだろう。
そして叔父の葬儀があった今日、今回は別の音楽性を感じた。それは・・・
“リズム感”
お通夜には参列できなかった。本日は一日で葬儀・告別式~納骨まで済ませ
てしまうというハードスケジュール。今日は天候が不安定で、斎場からお寺に
移動する頃には頭上に大きな黒い雲がひろがっていた。
叔父が入るお墓のあるこのお寺は当家の菩提寺でもあり、住職のことももよく
存じ上げている。とても立派な方です。ただ・・・、一般的に僧侶には落ち着いた
イメージを想像するが、この住職は少し違う。割とせっかちなタイプ。(笑)
今にも雨が降りそうな状況を住職は心配したのだろう。斎場で唱えていた時
とは明らかにお経の何かが違う。
テンポだ・・・
速い。(笑)
しかし、リズムは乱れないのである。そればかりか、参列者もそのリズムを
感じ取ったようで、各人の焼香手順が斎場の時のそれとは明らかに違う。
テンポ(流れ)だ・・・
速い。(笑)
経のテンポと焼香のテンポがシンクロしているのです。凄い!
亡くなった父親から生前に聞いた話を思い出した。
菩提寺は古いお寺であるので本堂に冷房は無い。ある夏の盛りの法要で、
オヤジは住職の後方に位置して扇子でバサバサと風を送る役をしたことが
あったらしい。
オヤジは・・・
「俺が扇子を振るピッチに合わせて読経が速くなった」 と言うのだ。自分の腕
振りのピッチ通りに速くなるのが面白くて、(オヤジは) 「どんどんとテンポを
速めた」 とも言っていた。冗談が好きなオヤジだったので今まで話半分で
受け止めていたが、今日の住職の様子を見てあながちウソでもないように
思えてきた。(笑)
あの読経と焼香のテンポだと、叔父はかなりのスピードで浄土までの道を走ら
されたことだろう。
今頃ゼイゼイ言ってるかもしれないなぁ。(笑)