遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・
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亡くなった父は幼少時に関東大震災を経験しており、
その際の恐ろしい話を何度も聞かされていたので、
自分は子供の頃から地震にとても臆病です。
震度「1」でも怖い。
そのせいか、震災の発生以来、
頻発する余震や原発トラブルに怯(おび)え、
ずっと気持ちが小さくなっていました。
新たな大地震に見舞われる夢も二度見たが、
このところ余震の回数が減り、やっと落ち着いて
久し振りにブログを書く気になった。
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震災の日は会社から帰れず、翌朝帰宅。
すぐに家の周囲の地面が下がっていることに気付きました。
地盤(表土)が沈んだようなのです。
家や駐車場は、地中の岩盤まで打ち込んだ金属パイルの上に
立っているので問題なかったのですが、
あの地震の凄さにあらためて驚きました。
また、室内では食器棚の転倒、
パソコンをはじめ、かなりのモノが落下しましたが、
特に大きな被害はありませんでした。
足の弱い母親が地震の数日前に肋骨を痛めてしまい、
身体を動かせず寝たきりだったので心配したものの、
その母親を含め、とりあえず家族も全員無事でした。
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テレビ画面に流れる恐ろしい津波の映像。
そして、被災された方々の窮状。
震災発生以来、いろいろな場面でいろいろな感情に襲われた。
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こんな状況下で行われたある中学校の卒業式。
泣きながら答辞を述べる男子生徒。
自然の脅威に抗えない無力感、悔しさ。
生まれ育った故郷と友を奪われた悲しみ。
それでも負けていられないという気持ち。
言葉の一つ一つが重い。
学生服の袖で涙をゴシゴシ拭いていた彼の姿が忘れられない。
同情して一緒に泣いてあげることしか出来なかった。
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保育士は保護者が迎えに来るまで職場を離れることは出来ない。
震災の日、カミサンは最後の子供を引き渡した後、
同僚三人と保育園で朝を迎えた。
同じ地域では、迎えに行きたくても保護者が動けず、
最後の親のお迎えが朝になってしまった園もあったようだ。
翌日になっても大きな余震は起きていた。
自分で保育可能ならば、
こんな時こそ幼い子供は手元に置いておくべきなのに、
その後もカミサンの保育園には多くの子供が預けられていたそうだ。
ある母親は悪びれることなく、
「買い物に行きたいのでお願いします」
と、言って二歳の子を預けていったらしい。
大きな余震が起こった場合、何があってもおかしくない。
決して大袈裟ではなく、預かった他人の子供を守る保育士が
意味の無い買いだめに走る親のために殉職するかもしれないのです。
それ以前に、このタイミングで子供と離れ離れになる怖さを
感じない保護者がいるなんてとても信じられない。
東北の海岸部ではそんな辛い思いをした人が大勢いるというのに・・・。
怒りが沸騰した。
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ある避難所で、自閉症の男の子が弾くピアノに
避難者の方々が癒されているというニュース。
自閉症の子にとって、避難所での生活は困難だろう。
しかも大きな災害を経た直後で、普通ならパニックを起こすところ。
だが、彼は頑張ってピアノを弾き続けている。
心配していたお母さんも驚くほどの姿です。
彼が弾く “いきものがかり” の『ありがとう』を聴いて涙する女性。
彼の後ろで元気に歌う子供たち。
お母さん自身にもこの先の明りを見つけた表情が窺え、
希望が見えたようでホッとした。
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今は、復興を祈るしかありません。
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