昨日は達也の合格祝いを兼ねて家族で焼肉を食べに出掛けた。ただ、自分は前日
前歯を二本抜いて、差し歯を入れる前の「仮歯」の状態。痛みも少しあって、美味しく
食べられませんでしたが、次から次へと上タン塩を注文し、食べまくる達也を見ている
だけでこちらも満腹になりました。(笑)
振り返ると、合格に至るここまでいろいろなことでお金が出ていった。進学予備校の
費用、受験料など、計算すると間違いなくハカランダ材のギターが買えるレベル。(笑)
でも、お金は“使って価値が出る”モノだし、これが後でいい形に変われば出費した
甲斐があるというものです。
夏期講習の受講や参考書の購入などで費用を出すその都度、(決して余裕がある
訳ではないが)私はことあるごとに「どんどん出してあげなよ。これで達也が老後の
面倒をみてくれるんだからさ。ある意味、投資だよ」とカミサンに言っていた。目標を
持って結果を出そうと本気で頑張っている奴を応援してあげようというのに、制約を
つけて窮屈にする必要はない。
でも、“投資”という言葉を持ち出すと、カミサンは必ず「私は達也に面倒をみてもらう
つもりはない。そんなことでお金を出す訳じゃない」とストレートに反応する。が、私は
分りやすくする為に“老後の面倒”と表現しただけであって、お金を出すことでそれを
強要したり、前提条件にするつもりなど毛頭ない。キモチだけで勉強道具を揃えて
あげることは出来ないし、キモチだけで受験させることも出来ない。そこにお金が
必要だから拠出した。希望を抱く子どもを応援するキモチの使い方が単純にお金に
換わっただけです。そんなことよりも、恵まれている(・・・と私は思う)環境を本人が
どう考えるか? そして、その恩恵を自分がどう感じるか? に興味があるのです。
食事中「(亡くなったそれぞれの)おじいちゃんたちは大学はどうしたの?」と、達也が
私とカミサンに訊いてきた。
「大学どころか高校にも進まない方が普通。それよりも手に職を付けなきゃいけない
時代だから、時計の職人になったのさ」
と私が言い、カミサンは
「本当は勉強したかったらしいけれど、家の事情で働かなきゃいけなくて材木屋の
小僧になったのよ」
と返した。すると達也は、
「俺は恵まれているんだよなぁ・・・」
こうポツリと言う。
投資効果の兆しが直ぐに見えてきたような気がして、何故か嬉しくなる。(笑)
『老後の面倒を見て欲しい』なんて本気で望んではいない。本人の中にそういう
キモチが生まれればそれだけでOKだと思う。そして、きっと親に必要なのは“投資”
ではなくて“投志”なのだと感じる。決して胸を張れるほどではないが、私は両親の
“投志”を受け留めてきたし、それを返すキモチも常に持ち続けてきたと思っている。
それはカミサンも然り、です。一定の年齢に達した達也が両親の投げた“志”を
どう受け止めるのか、これからが楽しみだなぁ。
とは言いながら、キモチを形にするのはまだまだ不得手だろうと思い、そのキモチを
表現し易くしてあげようと、早速あるモノを準備してやった。「俺もそうしたんだよ」と
言って、本人自身が卒業後に返還する旨をさり気なく提案しつつ、奨学金の案内書を
大学から取り寄せてあげたのです。(笑)
あわよくばハカランダ・・・とは言わないが、これでギター代を浮かすことが出来ます
ように・・・。
この父親は基本的に意地悪で狡猾なんです。(笑)
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