ある巡り会わせで引き合わされた男女二人に、神様はこう言われます。
「汝(なんじ)らに地図と一本の筆を与えます。これから二人で向かう場所を書き込んでみなさい」
もらった地図は真っ白で、自分たちがその中のどこにいるかも分かっていない二人は、しょうが
なく形のはっきりしない大きな山のような絵を取り敢えず描いてみました。
「そこに向かって進むのです。到達するまでの道のりを、これからは二人が思ったとおりに
その都度地図に書き込んでいきなさい。書き込み続けた先に目指すべき大きな山が現れる
ことを祈ります。では、そこで待っているであろう幸せを楽しみにして、いざ旅立たん・・・」
そう言って神様は消えていきました。
全くの他人同士である二人は顔を見合わせ、恐る恐る一本の筆で二人の“絵”を描き始める。
筆は一本だけ、地図も一枚しかない。一人が筆を持って描くと、相手の意思が反映されない。
地図を切って半分にし、お互いの思惑で道のりを勝手に描いてしまっても、目指す山には一緒に
着けず神様の言う幸せは手に入れられない。そうならぬ為には一本の筆を相手と均等なチカラ
加減で握り、一緒に描き込んで行く努力が必要であることに二人は薄々気づく。
ところが二人は他人同士なので、進むにつれてどうしても互いにエゴを出してしまう。片方の
主張が過ぎると山はどんどん違う方向に遠ざかっていく。
『神様に言われた“そこで待っている幸せ”なんてどうでもいいや。相手とキモチを完全に合わ
せることなんて出来ないし、もういいよ。一人で行く』
お互いにそう思う時もあるが、逆に、相手の話を聞いてあげた時には不思議なことに、大きな
山がこちらに向かってグンと寄ったようにも感じていた。遠くにあったものが近づくと何か得を
した気になって嬉しいので、結局地図に戻り二人で“絵”を描き続ける。そんなことを永いこと
繰り返しながら、とにかく山の方に向かって進んでいくうちに、気が付くと大きな山の形は見え
なくなっていた。というのも、遠くから見ていた山がいつの間にか目の前にあったからで、二人は
もう山の懐(ふところ)に入っていたのである。二人は、
『辿り着いたってことかな?』
そう思ったが、“幸せ”と思えるものは一向に見つからない。いったいどこにあるんだろうか。探し
続けている時にふと見やると、出発した時に比べて相手の姿が近く、より鮮明に見えていることに
気づく。そういえば二人が互いに見つめる視線の先、焦点がとても近くなっているようにも思える。
ここまで進んできた道を初めて振り返り、この、山と思われる場所から俯瞰(ふかん)してみると
大きな三角形のフィールドが見えた。スタートした場所は遥か先、三角形の底辺の場所だった
ような気がする。あの時、二人は底辺の両端から頂点の方に視線を向けて進み始めた。そして、
行き着く先にこの大きな山があったようだった。
思い出してみれば、最初、底辺の両端で山の方にぼんやりと合わせていた焦点が今は目の前で
合ってきている気がする。
『山に向かっていたというより、一緒に焦点を引き寄せてきたようなものなのかなぁ』
もっと進むと本当の焦点にぶつかるのかもしれない。きっとそれが神様の言う“幸せ”なんだろう。
などと、お伽話のようなことを書きつつ迎えた本日24回目の結婚記念日。
筆を投げ捨てられていないだけで“シアワセ”と思うべきなのでしょう・・・。
そう考える片割れの男がここに。(笑)
所詮、夫婦は他人の集合体。だからこそ面白い。
偉大なる他人に感謝。
記念の「秋田角館花見ツアー」は次回。
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