4月で85歳になった母は以前から腰が弱く、外見はひどい「腰曲がり」。
年々歩く姿が弱くなっています。外出には車を使わないと移動できません。
耳も遠くなってきたし、以前に比べると物忘れも多くなりました。
でも、頭はしっかりしているので、85歳にしては元気なほうだと思います。
その母が連休明けに膝の関節炎を起こして歩行が不自由になりました。
今はだいぶ治まってきたのですが、最初はかなり痛々しい様子でした。
元々の「腰曲がり」に膝痛が加わったことで、今の姿は年齢なりの
“高齢者” です。
先日、弟の家に行く用事があって車で送り迎えをしました。
向こうではどうしても階段を使うところがあります。本人は、
「大丈夫、ゆっくりなら自分で昇れるから」
こう言います。でも、どう見ても危ない。
高齢者が転倒などしたら一大事です。それで私が背負うことにしました。
が、
「オンブするから乗って」
私がこう言っても母は遠慮するのです。
恥ずかしいのか、子供に面倒は掛けられないという気持ちなのか、
すんなりとは応じません。
結局、母は言うことを聞いて渋々私に背負われました。
“親を背負う”
考えてみたら初めてです。
背負った瞬間に、昔に遡って親のありがたみを感じるぐらいの
息子だったらいいのですが、かなりの薄情者なせいか
そんな感慨はありませんでした。(笑)
が、感じたことが何も無かったワケではありません。
帰宅してから・・・
遠い昔、自分を背負ってくれてきた人を
逆に自分が背負うことに不思議な感じを覚えたこと。
そういう歳になったということ。
将来、自分も息子に背負ってもらうことがあるかもしれないが
弱くなっていくそんな自分はイヤだなぁ、と思ったこと。
果たしてその時、息子に背負われた自分のキモチはどうだろうか?
逆に、私を背負う息子はどんなキモチになるだろうか?
そんな想像をしたこと。
はたまた、
人間には、こんなふうに親子の絆を確かめる場面が
もしかして予めプログラムされているのではないか?
とか、
犬のリードみたいなものを繋いで幼児を歩かせている親は
何でオンブしてあげないんだろうか?
そんなところまで。(笑)
母を背負っただけでいろいろと興味深く、頭の中を巡るものがありました。
実は母親をオンブした瞬間、ホッとしたことが一つありました。
歳を重ねるごとに小っちゃく、弱くなってきた母親なので、
きっと “紙” を背負うようだろうと想像していたのです。
が、
見た目の弱さとは反対に、意外にも重みを感じた。
中味が詰まった感じのしっかりした重さ。
背中の物言わぬ母親から「元気」が伝わってきたようで凄く安心した。
だから、息子に背負われることを遠慮したんだろうなぁ。
背中の感覚から、少しだけ母親のキモチの端っこが
見えたように感じました。
背中って凄い交信装置です。
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