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Goro・とおく

遺言代わりに書き留めています。 自分と自分の周りのこと・・・

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冷静に考えた先には・・・

長男の達也が通う高校では昨日体育祭が開かれた。先日、文化祭が終了して高校生活の大きな
イベントが終わったはずだったのに未だ残っていたのね。(笑) で、帰って来た本人の話を聞いて
笑った。

競技の中に全学年の男子による棒倒しがあり、当然達也も出場。基本的には達也たち三年生が
攻め手となり、一年生と二年生が防りにつく決まりだったらしい。

棒倒しだけじゃなく騎馬戦もそうだけれど、体育祭(特に高校)の格闘系の競技って皆んなが
“マジ” になるんで面白い。たいがいの男子は経験していると思いますが、何故か異様にアドレ
ナリンが湧きますよね。例えば棒倒しの場合、ラグビーのラックの中で隠れて行われているような、
どさくさ紛れのイリーガルな行為が普通に繰り広げられます。棒と関係のないところで「蹴り」や
「頭突き」が飛び交う。特定の人物目掛けてピンポイントで突撃して “棒” ではなく “人” を倒しに
いく奴もいたりする。というか、そいつは競技に参加しているのではなくて喧嘩する為に棒倒しを
利用しているってこと。(笑) 実際、それで喧嘩が始まったりするし、とても物騒な競技である
ことは間違いない。


達也はこう言うのです・・・


『 冷静に考えて怪我をしたくないから俺は後ろで防っていたよ。だって、ここで指を怪我するのは
イヤだもの 』


あらら、なんと現実的でやる気のない奴。(笑) 本人は受験勉強のことが頭にあってそういう
行動に出たようだが、自分はそれに大笑いした。で、続けて「他に後ろに回った三年生は全部で
何人ぐらいいた?」と訊くと

『 いないよ。俺ひとり 』

・・・だったらしい。(笑)


十年前だったら間違いなく「バカじゃないの!? 棒倒しっていったら体育祭の一番の華だろ。
あ~ぁ、ホントに情けない奴ッ・・・」嘆かわしくこう言ったと思う。

が・・・

歳をとってエネルギーが枯竭し始めている自分は、何ごとにも “熱く” あって欲しい年頃なのに
妬けに “冷めて” いる息子の発言に納得してしまったのである。人生は長い。確かにここで出さ
なくても、大人になればアドレナリンは黙っていたっていくらでも出るものなぁ。ある意味達也の
選択は正しいワ。(笑) ここぞッ! っていう時に120%のチカラを出せる奴に成長してくれるなら
たかが棒倒しで血眼になる必要はない。本人が“冷静に考えた”結果ならそれでよし。


・・・そんなようなことを本人に冗談混じりで偉そうに説いていたら達也がこう言う。


『 でも、受験ヤバイかも。今日絶対に脳細胞が幾つか死んだよ。凄っげぇ頭突きもらっちゃってサ 』


なんだよ。後ろに回ったワリには結局やられてるんじゃねぇか(笑) アホ!



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綺麗な芝生の裏には・・・

美瑛の町の中、車を走らせていると綺麗な公園が目に入った。


060915_01.jpg



























このようにどう見ても公園なのだが、少し進むと何故か門がある。プレートの表示にはしっかり
「美瑛町立美沢小学校」と記されている。どっひゃ~、なんと小学校だったのです。(笑)

ぐるっと回ってみるとグランドの端には芝生のちょっとした小山(ホントに山です)が作られていて、
そちらから撮ったモノが下の写真。右手側の林が公園に見えた場所です。学校の中庭だった
という訳ですね。校庭も全面芝生だし、バツグンの環境。羨ましい。


060915_02.jpg






















美瑛には観光名所としても有名な「美馬牛小学校」があります。こちらは校舎に鐘(ダミーです)の
塔があって、まるで教会のよう。“丘のまち”美瑛の象徴としてよく写真にも撮られています。
こちらも校庭は全面芝生。グラウンドの端には芝生の小山。この日も紅白の帽子をかぶった
低学年と思われる生徒が体育の授業で広い校庭をマラソンしていた。コースにこの山が組み
込まれていて、一緒に走っていた中年の先生は死にそうな顔をして山を登っていた。(笑)


060915_03.jpg
























060915_04.jpg





















富良野の方でも見かけたが、この辺りの小学校には芝生が敷き詰められているイメージが強い。
都会の人間からは羨ましい環境だけれども、決して見栄えのために芝生の校庭を作っている
のではないように思える。多分、雪融けの後の始末がタイヘンということがあるのでしょう。



富良野に行くと必ず寄る場所がある。八幡が丘という地域にある「中の澤小学校分校」です。


060915_05.jpg






















『北の国から』で純や蛍や正吉が通っていた学校。今は学校として使われておらず集会所に
なっています。行くと分かるけれど、この近くに民家はありません。分校が存在していた時、
子ども達は確実に1時間以上かけて登校していたと思います。夏だってタイヘンなのに雪の
中を進むことを考えると、冬期の辛さは想像できないほど強烈なものでしょう。何しろ内陸の
このあたりの寒さは半端じゃない。確かマイナス20度くらいになるはず。夜中に寒さで木の
肌が裂けて大きな音を出すほどの環境。私のようなお気楽な柔な都会人などには分からない
辛さがたくさんある。観光している時にも「わぁ綺麗」とか「羨ましい」などと簡単に口に出せ
ないですね。


でも、自分は「住んでみた~い」とずっと言い続けている。カミサンは「何、おバカなことを
言ってるの。貴方、直ぐ凍死よ。そもそも寒さ以前に私がいなきゃ生活できないでしょ」と、
申される。そこで自分は「一度厳冬期を体感させて自分を諦めさせようよ」と、もう既に冬の
旅行をそそのかしているのです。(笑) 




「創れる」時間は大切です

・・・旅行感想文の続き。小学生みたいだなぁ。(笑)


私が北海道に行く時には毎度持参するCDがあります。自分にとっては必須アイテム。

車が富良野周辺に近づいたら「あのCDに換えて」とだけ言う。するとカミサンが「どれ?」と
質問することもなく分かりきったようにセットする。これがそのCDです。


060914_01.jpg 












※北の国から -Original Score Version- (さだまさし)


TVドラマ「北の国から」のサウンドトラック。これが無いと北海道が実感し辛い。ある意味病気
ですね。(笑) 私は「北の国から」が大好きで、どちらかといえばマニアに近い。元々北海道に
行き始めた理由は、熱が高じてホームページを開こうと思い立ち、そのための取材が必要だった
から。ロケ地巡りを優先し、それに合わせてオマケで旅行を組み合わせるといったことをずっと
続けていました。それもマニアじゃないと分からない場面や場所を目指すので結構タイヘン。
いろいろなところに行きました。富良野・上砂川・中標津・根室・羅臼・札幌・旭川・帯広・・・
などなど。根室に行った時は台風の中をずぶ濡れになって撮影したし、上砂川では目指す家が
見つからず、それだけで2時間探し回ったこともあった。カミサンも「私の行きたいところにも行か
せてよ」と言っていたが、呆れずによく我慢したものだと思う。(笑)

話を戻すと・・・

ドラマに関連した場所が近づくと必要になるのがこのCDなのです。目に入る風景から受け取る
臨場感が断然違う。やっぱり病気です。(笑) 今回は南の方から富良野に向かった。帯広~新得と
進み狩勝峠を過ぎて少し行くと南富良野に入る。穏やかな丘陵とその先に十勝連峰の見え始める
ポイントがあって、そこでいつものようにCDをかけ始める。『♪ア~ ア~ アアアア ア~ア♪・・・』
さだまさしサンがスキャットする例のメロディです。これで“富良野モード”全開!(笑)

ロケ地の撮影は一昨年でほとんど終わった。だからもう富良野に来る必要は無いはずなのだけれ
どもこうやって来てしまう。何度か来る内に景色が大好きになったようです。勿論私は都会の人間
なので、当地に住んでいる方の辛さ(特に冬期の厳しさ)を知らずに言っているだけ。それどころか
住民の方は観光地化してしまったことで、受ける恩恵よりも却って迷惑を被ることの方が多いの
かもしれません。そんな都会人のお気楽な感じ方だと言われても、それでもやっばり良いのですよ。

自分は富良野や美瑛が好きです。


例えば・・・


060914_02.jpg





















丘と空と木を見ているだけで心が落ち着くし


060914_03.jpg





















それが収穫後の土だけの風景であっても美しい。


060914_04.jpg





















風の中、地に映り込む雲の影を追っているだけでもあきないし


060914_05.jpg

























こんな一本の木を眺めているだけで自分を取り戻せるのです。


お気に入りの風景を見つける(探す)旅行というのはいいですね。


結局、今回も三日間の内半分は富良野と美瑛でこういう風景を見ていた。カミサンと二人で
ぼぉッと景色を見ていただけの時間だったけれど、どんな観光スポットを巡るよりも価値が
あるように感じる。それは、旅行に時間を「遣う」からではなく、旅行で自分達の中に大切な
時間を「創れる」からだろうと思う。


次はCDの音と共に雪景色の富良野と美瑛を見てみたい。



感想文は続く。・・・かも?(笑)






24年振りの湖にて・・・

二泊で北海道に行ってきた。このところ旅行と言えば北海道。
もう何回足を運んだのか? その回数を思い出すのも難しくなっているぐらい
行っている。もともとドラマ「北の国から」が大好きで、単純にそれが北海道に
旅行するようになった始まり。必然的に、向かう先はロケの行われた富良野
周辺や羅臼(知床)が多く、今回も富良野には自分に課した“ルール”として
寄った。(笑)

今年はカミサンと休みが合わず、本当は三泊したかったけれどやむを得ず
二泊に。それで、移動を減らし、ゆっくり楽しむことにして旅程を計画してみた。
こんなルートです。

■IN■とかち帯広空港~帯広周辺~然別湖(泊)~富良野・美瑛~
白金温泉(泊)~美瑛・旭山動物園~旭川空港■OUT■

珍しくレンタカーの走行距離が500キロにも届かなかった。(笑)

初日に宿泊した然別湖は24年前に新婚旅行で泊まった場所です。
当時、どうしても日高の牧場巡りをしたかった自分の願望があり、海外を
希望していたカミサンを説き伏せて10日間北海道を回った。その三泊目が
然別湖でした。そこを選んだのはプランを作っている時に偶然目にした
新聞の記事が切っ掛けだった。そこには

満天の星が湖面に映る神秘の湖

と書かれていたのです。「こりゃ凄っげぇ」そう思って日程に組み込んだ。
自分の希望だけで新婚旅行を終わらせる訳にはいかないので、カミサンには
綺麗なモノを見せてあげようと思ったのである。

然別湖はそこに宿が二軒しかない静かな場所で確かに神秘的な湖。
楽しみにして現地に着いた。ところがビックリ。4月の末ではまだ湖面が氷結
している状況。そこには星が映るどころか湖面も拝めない風景が広がって
いたのです。(笑) 

そのことがあったので(最近北海道に頻繁に行き始めてからは)絶対に
リベンジしてやろうと考えていたのです。がしかし、日頃の行い悪し・・・。
夕方から雨が降ってきて今回も星は観れずじまい。
トホホ。ホントについてません。(笑) 星は次回にまたお預けです。 

翌朝、窓から入ってくる光で目が覚めた。とっても綺麗だったので思わず
カミサンを起こした。

060913_01.jpg

来たことが無駄にならなくて良かった。(笑)



自分は意外と新婚旅行当時のことを鮮明に覚えていて、前日宿に向かう途中に
景色を観ながら

     「この先に白樺の林が続いていたよなぁ」

と言うと、カミサンは

  「そうだった?全然覚えてない」

と仰られる。

  「湖の前にあのボードがまだあったら同じ場所でまた写真撮ろうよ」

こう続けると、カミサンは

  「何だっけそれ?」

と返される。

  「俺は昨日のことのように覚えているっていうのに最低だねお前は。
       思い出の地だよ、ここは」

そう言うと、カミサンは

  「貴方は家のことを何もしないからそういうことだけは覚えていられるのよ」

まぁ、都合の良いロマンチストに対する指摘としては正しい捉え方かも
しれん。(笑) 

060913_03.jpg

なぁ~んにも変わっていないようにも思うし、いろいろあったようにも思う。
どちらにしても、こうやってほぼ四半世紀後、同じ場所に仲良く立って
いられるのは嬉しいことですね。


続く・・・


一番さわやかな人

最近長男の達也がお疲れ気味。予備校でハードな勉強を続けているのに加えて文化祭の準備が
佳境の状況じゃしょうがないね。ここ数日何度か、パソコンの前の椅子で“あしたのジョー”のように
首をうな垂れて死んだように寝ちゃってる時があった。Webの講座でテストをしている内にそう
なってしまうみたい。(笑)

一週間くらい前のこと。そんな達也が「ねぇ、聞いてよ」と話し掛けてきて私にこう言うのです。

で、続けると・・・


なんか許せないんだよなぁ。
文化祭はクラスで演劇をやるんだけれど
真剣にセリフを覚えてこない奴らがいるんだよ。
あいつらより俺の方がずっと(受験の)勉強時間が多くて
比べたら毎日絶対に三倍はやってるはず。
その上俺はセリフが多くて、しかも背景係(大道具か?)も
こなさなくちゃいけなくて、それでも一生懸命やってるんだよ。
それなのに、係にもなっていないくせして背景係のグループに
「ちゃんとやってよ」とか注文だけはつけてくる。
おかしいと思わない?


と、こんな感じ。


なるほどね。そりゃ、怒る気も分かる。だから「そりゃひどい奴らだなぁ」と簡単に相槌を打って
あげるべき・・・ところなのでしょうが、この素直じゃない父親は「お前の勉強のことなんか何も
関係ないじゃん。だからどうしたの?」と最初に言っちゃう。(笑) イライラの起点を自分に
置いてスタートさせていることが自分としてはどうも気に食わない。「お前が怒るべきなのは
そいつらがセリフを覚えてこない、ということだけでいいんじゃないの?」と続けてしまう。
おかしいところは刺激しないとね。(笑)

こういう応答の時、ちょっと前なら達也はあからさまにムスッとした顔になったが、最近は納得
出来るようになったのか表情が変わらない。ま、多少は成長しているのでしょう。それでもやはり、
誰でもいいから聞いて欲しかったみたいで、翌朝同じことをカミサンにも告げていたらしい。(笑)


そして昨日と今日の二日間で文化祭が行われ、クラス演劇も無事終了したようだ。これで学校
行事の大きいところは終り、後は受験にまっしぐら。というところで、お疲れ気味の達也にいい
ことが最後に待っていた。

達也の高校では生徒全員のアンケートで「ミスター●●高」「ミス●●高」といった人物を選んで
文化祭の時に発表するイベントがある。賞は幾つかあって、中には「一番海が似合う人」とか
「一番マッチョな人」「一番家庭的な人」なんていうのもあってなかなか面白い。で、本人はさほど
でもなく実のところカミサンがひとり大袈裟に喜んだだけなのだが、「一番さわやかな人」に選ば
れていた。まぁ、とりあえず何かもらえれば十分だろう。(笑) でも、父親が本人に獲って欲し
かったのは別にあって、それは・・・

一年生の時に見に行った文化祭で「これ、達也には無理だなぁ」ってカミサンと笑い合った賞。

やっぱりダメだった・・・。


「ベストカップル賞」


ま、これからですね。(笑)





江戸小噺とインパール作戦

先週の週末は仕事上の付き合いで伊東温泉まで行きました。お得意先に出入りしている業者で
作られている親睦会の一泊旅行です。総勢80名ぐらいの参加者。元宰相の別邸であった高級
旅館を借り切って行われた。で、何故か幹事の一人である私が宴会の司会でしたが、ギターの
発表会に比べりゃなぁ~んもプレッシャー無し。(笑) 

宴会の後、旅館内三ヶ所で二次会が開かれた。幹事が各会場の世話役として各々付くことに。
当然私も係になったのだが、一箇所だけカラオケが準備されていない和室の担当におさまった。

けれども、飲むだけという訳にはいかない。何かアトラクションが必要になる。そこで、毎回この
旅行会に参加する会員さんの中に江戸小噺(こばなし)を嗜む方がいらっしゃるので、その方に
一芸をお願いすることになった。高齢の方にはこの手の余興が好きな方がいらっしゃいます。
ちょっとエッチで洒落た、落語のような話芸で私も過去に何回か聴いたことがあります。ただ、
失礼だけれども正直なところ、自分には興味を惹くものでは無かったのです。(笑)


でも今回は違った。別の意味で興味深かった。


この親睦会の会員会社はどちらかと言えば中小規模のところが多く、必然的に大体は社長さんが
参加されている。この小噺の方も、お歳の頃80歳台後半でやはり社長さんです。今回は横に
芸者さんをはべらせ、二人の掛けあいで皆さんを笑わせてくれた。が、お歳でもあり、さすがに
レパートリーも忘れがちのご様子。それでも10本ぐらい披露してくれた。

「昔は200本以上持ちネタがあったのになぁ。イヤになっちゃうな歳とると・・・」

こう言いながら膝の上でチマチマと爪をいじっている両手に目をやり、うつむきながら

「お前には苦労を掛け続けちゃって・・・」

と、今日初めて会った芸者さんに声をかける。すると、芸者さんも心得たもので

「お前さん、わたしは幸せヨ」

と返す。そんな軽妙なやりとりを繰り返して小噺が終了した。すると、小噺を聴いていた人から
「インパール作戦の話をしてくださいよ」と声がかかった。


この社長さん、会員の間では“生きた英霊”と呼ばれている。普通、英霊は亡くなってこそ
呼称されるものなので思わず笑ってしまうのだが、そう呼ばれる理由があって、社長さんは
あの悪名高きインパール作戦に兵士として参加されていた方なのです。

私は詳しい知識を持っていませんが、インパール作戦の概要程度は知っています。特に、その
立案者である牟田口司令官の悪評振りは一般的にも知られているところでしょう。一説によれば
戦死者よりも餓死者の方が多かったと言われるほど、いたずらに多数の若者の命を奪った最悪の
作戦を指揮した人物です。

史上最悪の作戦に駆り出されていた元兵士に、戦争を知らない世代が興味本位でエピソードを
求めるのは宜しくないことなんだろうけれども、社長さんは少しだけ語ってくれます。


牟田口はホントにひどいヤツだ。初めから無理なことは分かっていたんだ。

あいつのせいで仲間が何人死んだか・・・。でも、不思議なことに俺は何度も助かってるんだ。

ある時は並んでいた両隣の仲間が敵の弾にやられた。

それだって、たまたま自分の目の前に木があっただけだ。

それと自分が動いた直後、後に入った仲間がその場所に砲撃を受けてやられたこともあったサ


この社長さんは、私などには想像出来ない経験を自分の人生の中に取り込んでいる。そもそも
戦争を最前線の兵士として体験してきたこと、生死の境目を行き来していたであろうこと、
きっと悲惨な場面を見てきたであろうこと・・・。多く語らずとも容易に分かる。

で、自分が興味深かったのは、そんな“暗”の部分と“明”である小噺とのコントラストでした。

きっと、固まった心や精神の緊張を解放させるモノが御自身の中に必要だったのだろう。考え
過ぎかもしれないけれど、他人である私にはそう思えたのです。自分の落ち着かせどころ、
そこに戻れば自分を保てる場所。今の自分にとって、それがギターであることは間違いない。
自分が80歳の後半まで生きていたとして、あの社長さんの小噺のように洒脱にギターを弾けて
いたらそれは楽しいことだなぁ、と思います。

自分は運良く銃弾や砲弾に当たらなかったというインパール作戦の話。締めの一言を耳にして
そんなことを感じました。社長は最後にこう言って皆を笑わせたのです。


『 俺は一生、“カネ”には縁がないんだよ 』


お見事!



※社長さんと同じ経験をされた方が事実を伝えるべくアップしているサイトがあります。興味の
  ある方は下のURLからどうぞ。

http://www.geocities.jp/tondaseishun/




ユウキのこと・・・その③

過去に二度書いたカミサンの受け持ち園児、ユウキ。昨日、また面白い話を聞いた。

ユウキは手の掛かるヤツで、同じことを何度も教えてあげないとダメらしいのです。カミサンも
いろいろと辛抱強く指導を繰り返しているようだ。それでも、何回言って聞かせても会得でき
ないことがあるみたいで、最近そんな場面でカミサンが「ユウキ、これ、前からもう何回も
言っているよね。ちゃんと先生の言うこと聞いてる?」と問いかけたらしい。別に怒っている
訳でも投げやりに言い放った訳でもないのだが、ユウキはこの言葉を真に受け止め、マジな
顔で反応したようだ。


ここからのユウキが可愛い。私がファンになってしまうのはこういうところ。


●ユウキ●

せんせい、ボクはね・・・生まれた時はもっと頭がよかったんだよぉ。ホントはもっといい子
だったんだよぉ

■カミサン■

へぇ~、そうだったんだぁ。じゃあ、今は悪い子なの?

●ユウキ●

そうなんだよぉ

■カミサン■

どうしてそうなっちゃったの?

●ユウキ●

じつはねぇ、お母さんに延髄蹴りをされてから頭が悪くなっちゃんだよぉ。お母さんがボクに
延髄蹴りをするんだよぉ。悪いことすると延髄蹴りされるんだよぉ  

■カミサン■

えッぇ~!? それは恐いねぇ

●ユウキ●

そうなんだよぉ

■カミサン■

でも、ホントには蹴らないんでしょ

●ユウキ●

うぅん、ちゃんと蹴るよ

■カミサン■

どれくらいの強さなの? せんせいにやってみてよ

●ユウキ●

痛いよ

■カミサン■

いいよ、やってみてよ


座って話をしていたカミサンの太ももに入ったユウキの“蹴り”はかなりの衝撃であったらしく
カミサンはユウキの言うことが、あながちウソでもないと感じたらしい。


延髄蹴りはいけないよなァ。コブラツイストぐらいが妥当でしょ。(笑)


昔ならこういう時、男の子には「電気あんま」って決まってたはずなのにね。


頑張れユウキ!



ワクワク! 最後の壁をアタック中

今、ギターで練習している曲は演奏時間が結構長くて5分以上あります。今までに自分が練習
した曲の中では最長。これはそのまま「間違う可能性が多くなる」ということに繋がりますが、
全く気にしていない。逆にそれがいい。頑張る部分が多くなるわけであり、自分を鍛える為には
とてもいいことです。

最近の数曲、練習を続けている内に意外と進み具合が早いことに驚く。結局、今回の曲も運指
(どう押さえ、どう弾く・・・ってことです)は自分で予想していた日程の半分で終わった。
蓄積というのは大きいもので、今までやって来たことがそれなりの経験値となっていて、何かに
つけ生かせているんですね。

で、運指が完了したところで一曲通して弾いて録音してみたのだが、何かヘンな部分がある。
あらためてもう一度CDで音源を聴いてみたら「ありゃりゃ~、ここ違うじゃん!」というポイントが
あった。運指を終わらせた気になり浮かれてしまい、TAB譜を全く見なくなっていたのがいけ
なかった。簡単に終わるはずがないのよね。(笑)そこであらためて譜面を見直し。

そうしたら・・・・・

「あっれぇ~ッ、ここ一番強烈じゃないの!」

という部分にしっかりぶつかりました。

そこで二日間、この災難関のパートをずっと練習しているのですが、自分がギターをやって
いて一番楽しいのが真にこんな時。正直、何物にも替えがたいと言っていいぐらい楽しいです。
きちんと弾きたいという強いキモチ、弾くためにひねり出すいろいろな知恵、達成した時の
至福の喜び・・・。途中で止めると無駄になってしまうけれど、やり遂げた時は倍になって
自分の中に蓄積されるものがある。これが自分には貴重なんです。


頑張っているうちに出来るようになるのも不思議。苦しんで練習して煮詰まり、一晩寝て翌朝
起きて弾いたら出来るようになっていたことが何回かある。今回も、そうなるといいんだけどなぁ。

こうやって「やれば出来る」のグレードを少しずつ上げていくこと、私ぐらいの年齢の人間には
絶対必要。たかだかギターの練習です。やっていることは確かにちっちゃなことだけれども、
少なくとも自分にとっては、実に大きい意義があります。


これで弾けるようになっても、本番の発表会でまともに弾けないのが少しツライけどね・・・。(笑)



さぁ、今日も練習、練習!





56's hobby 【Photo】

写真撮影が好きです。 時々、以下のサイトに写真をアップしています。
-工事中-

56's hobby 【Guitar】

46歳の時からギターを弾き始めました。録音音源をアップしています。

◆Goro's guitar play



《所有ギター》
Hiramitsu-SJ 56's custom
Martin-M38
Morris-S55

56’s Theater

趣味で撮影した写真をBGM付きのスライドショーにしています。
-工事中-

最近のあれこれ

50歳を迎えた節目の記念にオリジナルギターを作りました。ルシアー(ギター製作家)は平光泰典さんです。
平光さんはクラシックギターの製作家として高名な一柳一雄氏に師事。独立され、現在は鉄弦(アコースティックギター)の世界に転じていらっしゃいます。私のような素人の下手っぴーがオーダーするなど失礼なことと思いましたが、快く引き受けてくださいました。

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